亡くなった方達のメッセンジャー 平成25年3月18日
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飯田教授の大学時代に起きた二つの事件を昨日書いた。
そのお話しの続き・・・
その事件によって、かつての唯脳論者がその価値観を転換させた。
飯田氏は、その著書の中で、これらの事件がきっかけで、
”亡くなった意識[魂)のメッセージをそのご家族の方々に
お伝えする”
ことを、自らのミッションと受け止めたと書いている。
自ら課した、その使命を、”社会的役割” という言い方で表現
している。
社会的 という、その理由は、”亡くなった方々のためである
と同時に、残された方々の悲しみを癒すという効果がとても
おおきいから”と
教授は、述べている。
一見、個人的なことであるようだが、死別の悲しみに暮れて
いる遺族の方達の心を癒し、その情報をできる範囲で公開する
ことによって、
社会的に多くの同じ想いを持つ方達のお役にたつと
いうことで、社会的役割 という言葉が適切なのだと思う。
さらに、飯田氏 は何気なく、付け加えておられるが、
この役割[仕事)をする条件として、生きている遺族の願い
ではなく、亡くなった魂の直接の働きかけや頼みが
心の琴線に届いた場合にのみ、霊のメッセンジャーとしての
役割を引き受ける ということである。
これは、一般の我々の耳には、少し、想像外でもある。
まず、その心に浮かんだ情報や観念が、亡くなった魂の
働きかけであるという確証は、どうやって、得られるか
という疑問がわく。
思い浮かんだ、映像や、メッセージが、自分の潜在意識
ではなく、他者の、しかも、亡くなった魂の想念であ
るということ、それを、自信をもって確信できるとすれば、
飯田氏の遭遇され体験された多くの事例が 真実であった
ということを、証明しているのだと思う。
話しは少し変わるが、このブログにも何度か登場してきた話題。
死者は死者でも 自殺した魂 の場合に、飯田氏は触れている。
引用する。
”自殺なさった方々以外の場合は、どのような形の死であっても、
死の瞬間に、必ず、まぶしい光に包まれ、同化していきます。
しかし、自殺なさった、方々は、真っ暗闇の中に放り出され、
(実際には、自ら望んで、’反省の闇’に飛び込んでいくのですが)、
光を求めて、極限の寂しさを味わいます。
したがって、自殺なさった魂のケアには、こちらの世界で
生きている人間のケアと同じように、専門的なカウンセリングの
知識と経験が必要になります。
私はどうやら、'死’のうちでも、もっとも深刻で特殊な、
’自殺なさった魂’のケアを、集中的に担当する役割を担っている
ようです。”
この描写には、これまで見てきたムーア博士の、疑似死体験の
レポートに共通する要素がある。
それは、光の登場 だ。
その 光、意識生命体の光、暖かく、愛に満ちて、癒される、
エネルギーを放出している、吸い込まれるような、
光を自覚できるか、否かの違いが 一般の死者と自殺者の
違いの一つだという。
チベット死者の書にも、この場面は描かれる。
(過去のブログ参照)現象世界に生きている我々には、
想像しても、死後の、光りの存在とか、意識の存在とか
いう概念は、あまり、ピンとこないだろう。
飯田氏が第一事件(一昨日のブログ参照)と遭遇した後でも、
カチカチの唯物感で一杯だった、にもかかわらず、
すでに自殺霊である’彼’から 送られてきたメッセージに
亡くなった後にも存在している自己の意識のことが
示されていた。
それは、死後、命が生きとおしであることは、肉体のある間は
考えてもみなかったが、こうして、死んでみると、そういうこと
が、よくわかったと ”彼”は、飯田氏にテレパシーで伝えてきた。
さらに、”それらの事実は、単に忘れていたことが、思い出
されたような感じだ” というように語っている。
私たちの心の真髄にある、ほんとうの私 はすべてを
知っているのだ。
すべてを知っているのだが、私たちは忘れているに
すぎないのだろう。
良くなろうとか、幸せになろうとか、良い人間になりたい
とか、霊性を高めたいとか、悟りを開きたいとか、
いろいろな、スピリチャルな願いを 心の片隅に持って、
私たちは生きている。
スピリチャルな願いにとどまらず、豊かになりたい、
これに恵まれたいという、物質的な願いも当然あるだろう。
もうすでに、我々の本体は良い人で 幸せで高い霊性が
あり、悟りを開いているのかもしれない。
ただ、そういう、ほんとうの自分を想いだすだけ~で
良いのかもしれない。
物質的にも、無限供給という規則に則って、すでに豊かで、
必要な物はすべて与えられる存在。
それが本質の私たちの状況かもしれない。ただ、
想いだせばいい。
自分の本質を。
円満完全無限の生命体であることを・・・
コマーシャルで一躍、脚光を浴びた、あのフレーズの説得力の
あること・・・
想いだすのは”いつ?”
”今でしょう。”
”今”、”思い出すしかないでしょう~”
私たちの生命体の実相と真髄、それを、思い出すために、
想いだすまで、肉体を捨て、また、新たな生を選び、
そうして、輪廻をつづけていく。
生まれ変わるたびに、次々と幕が 上がったり下がったりの、
現世での夢のような、寸劇を繰り返す。
引用箇所:生きがいの創造 PHP研究所出版
飯田史彦著 2005年
飯田文彦氏紹介:1962年広島県生まれ。
元福島大学教授、経営学博士。
London City University Business School(大学院)客員研究員
筑波大学大学院、東北大学大学院講師
IOU(International Open University)より、日本人として初めて
総合医学部名誉教授称号の授与。
”生きがいメディカル・ネットワーク“顧問。
あらゆる、思想、宗教団体からの中立を宣言。