自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

バカバッド・ギータ;神人:

2013年03月26日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

物質主義と精神科学の距離 平成25年3月26日

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物質科学は 精神科学の後を追っているという説がある。

たとえば、インドヒマラヤの聖者たちは 通常ヨギと呼ばれて

いるが、彼らの弟子たちの前で行う、奇跡の数々は、ある意味、

現代の物理学を飛び越えてしまっている。


1934年 11月26日 ローマのローヤル大学で実証されたこと

があった。(以下)

“神経心理学の教授 G・カリガリス博士が、被実験者の身体

のある部分を抑圧すると、彼は向こう側の人々の詳細な描写

を行った。

博士はまた、教授たちに、被実験者の皮膚の、ある範囲に

刺激を与えると、普通では見えないものでも、超感覚的に

知覚する能力が生じると発表した。“


次のお話は、ヨガナンダ師が著書で、体験エピソードの一つ

として物語っている(以下)。

 プラバナンダ というスワミ(僧侶の意味)は 二つの体を

持っていたという。

ヨガナンダ師が、そのスワミの家に訪れた時の出来事だ。

家から少し離れた、ガンジス川で 沐浴していたある男の元に 

同スワミ(ヨガナンダ師が会う)が 近づいて来て、こう

誘った。

”ヨガナンダが来るので、良ければ家にこないか”と。 

その男と、ヨガナンダ師の父上とは知人同士であったので

その誘いを快く受けた。

沐浴をやめて、男が声をかけてきた、そのスワミと一緒に、

スワミ宅を目指して歩き始めると、スワミは途中から足を

速めて、こう言って立ち去った。

“今 ちょっと用をたしてから、帰宅します。

あなたを家で待っているようにします“ 

 

30分後、その男は一人で 歩いて、スワミの家に着いた。

すでに到着していたヨガナンダ師が、その男を迎えた。 

そして、スワミからその男がヨガナンダ師に会いに、来る

ことを聞いていたのでその男の名前を言い当て、男を家

に向かい入れた。

すると、男は、どうして、自分のことを知っているのか? 

と ヨガナンダ師に怪訝に思って、尋ねた。

’私は、今、そこで、スワミと会って 途中まで一緒にきた

のに・・・私が来ることをどうして、君は知っていたのかね?”


そこで、ヨガナンダ師は 答えた。

”私はすでに、一時間も前から スワミと談笑してますから。

あなたのことも窺いました” と。

男は それを聞いて、困惑した。 

一時間前から、スワミは在宅して、ヨガナンダ師を接待
していた?

’そんなはずはない。
30分前、スワミは確かに、ガンジス川で沐浴をしていた自分と
会って、家に来ないかと誘ってくれたのだ・・
あれは幻想だったのか?’

現象世界の時間でいえば、ヨガナンダ師が スワミと 自宅で、

すでに会っている間に、確かに、スワミは、男に家に来るよう

誘いをかけたのだ。

そのことを 当惑している男から聞いて、ヨガナンダ師も 

畏怖感をもって、あらためてスワミの霊的な力を知った。


そこで、ヨガナンダ師は、スワミに 実情を聞いた。

スワミは こう話した。

 “これしきの事に、何をそんなに驚いているのです。

真のヨギは、現象界の万物が、霊的には一つに結ばれている

ことを体得しています。 

私は、遠いカルカッタに居る弟子たちとも、即座に会って、

話ができます。

そして、彼らも同様に、どんな物質的障害でも、自由に

超越することができるのです


どうしたら そのような 時間や物質に煩わされない 

ヨギの力を持つことができるのか? 

それはここでは 深くは 触れていないが、

古典書で聖典でもある、”バカバッド・ギータ” の中に、

自我を超越した 神人になることについてのヒントが

述べられている。

 

1・真理を 会得せる者は、見るも、聞くも、触れるも、

嗅ぐも、歩くも、眠るも、呼吸するも、“自分自身では

何事もなさず”と感じている。


彼は、語るも、手放すも、受け入れるも、眼を開くも、

閉じるも、己自身とは別なる “感覚” が、その対象に

対して働くにすぎぬことを知る( 5章 8~9節)


2.万物に、等しく内在する神を見るものは、まことの

自己を自我意識によって、けがすことなく、至高者への

道をたどる。(13章29節)


3・我は 本来不生不滅にして、万物の主なるも、おのが

幻術を用いて現象界に化身する。(4章6節) 


4・三つの属性(グナ)より、有る 我 が、幻術を

つきやぶることは難しい。 


されど、まことのわれに頼るものはこれを克服する 

(7章14節)


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説明補足)

3 にある、我(が)は、自己の本質 と置き換えられる。


4 にある、我(が)は、3のそれ と異なり、現象界に

顕れている"我" をさす。

つまり、実存を物質化するための3つの事象(昨日のブログ参照)

として存在する”我”(が)のこと。


それは、創造・維持。破壊の現象は時間と空間の中で行われ、

時間と空間の規則に、縛られない”我”(3の’我’=自己の本質)

になるために、その”我”(4の’我’)を “克服” しなければ

ならない。


ヒマラヤのヨギたちは、このような、現象では考えられない

事象をおこして、その克服したことを弟子たちに時として

知らしめる。

 

1 の ’自分自身は何もなさず’ という意識は、小さな

自我 で何かをなしているのではなく,大きな自我(本質)

が 何事も(自分の身体を使って)なしているのだという 

自覚による。


 3 の、その大きな自我こそ、内在する、神 でもある。


 4 の 不生不滅 は、般若心経の言葉通りである。 

実存する真の自己は、生まれたり死んだりすることなく、

 3つのグナ(タマス・サットヴァ・ラジャス)を駆使して、

現象界に物質化した形をとる(化身する)


これらのギータの中に書かれている、真言が、物理的事象

を越えた奇跡を起こす人の資質の条件でもあるのだろう。

だが、奇跡そのものには あまり意味はない。


奇跡を越えて、いかに、自分の中の真なる自我を探し

求め一体化するか ということこそ、本来の目的で

あるからだ。

 
引用箇所:”あるヨギの自叙伝” 

パラマハンサ ヨガナンダ著

 

 

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