自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヴェーダ:護符の意味

2013年03月25日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

創造・維持・破壊           平成25年 3月25日

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護符(お守りの札)と波動について、ヴェーダの中に触れている部分。

その前に ヨガナンダ師のエピソードをお話しします。

師の幼少の名前は、ムクンダ。

母親は、信仰深く、困っている人が家の前に 物乞いに

来ると、必ず何かを持たせて帰らせたといいます。

その母親が遺言を書いて、’ある、聖者から預かった’という

護符~お守り札 について、述べている部分です。

 

その護符を渡される前、聖者が ヨガナンダ師の母親に、

会いに来て こう伝えます。

”あなたには、有る種の護符を保管してもらうことになります。

私は、私のいう事が真実であることを証明するために、

その護符を今日お渡ししないで、明日、あなたが瞑想している

時に、それをあなたの手の中に物質化してあげましょう。

貴方は死ぬとき、それを長男のアナンタに渡して、一年間

彼に保管してもらい、次男に手渡すよう言いつけなさい。

ムクンダ(将来のヨガナンダ師)は、偉い師たちが、その

護符の意味を教えられ、理解するようになるでしょう。 

その護符は、彼があらゆる、

用意ができたとき、わたさなければなりません。

護符は、数年間彼の手元に在って、その目的を果たすと消えて

しまいます。

どんな場所に隠しておいても、それは元あったところに戻って

しまいます。”

 

そして、母親が亡くなると、その護符は長男のアナンダが管理し、

それから 一年後、ようやく、ムクンダの手に渡りました。

兄は、こう言いながら、その護符を渡すのです。 

”ムクンダ

私は今まで気が進まなかったのだが、実はお前に不思議な伝言

を伝えなければならない。 

この事をお前に言うと、お前の家出(ヒマラヤへ)しようとする気持ち

に油を注ぐことになりはしないかと恐れていたのだ。”

兄、アナンダが心配していたこと。

それは少年期のムクンダが、ヒマラヤにあこがれて、何度か

家でを試みていたようです。

その護符を与えるということは、そこに秘められている不思議な

話しを、ムクンダが知ることになり、さらに、ヨギ(聖なる修道者たち)

のいるヒマラヤへの郷愁を深めることになると、

兄は案じていたのでした。

 案の定、この護符を手渡されて、ヨガナンダは、様々な不思議な想いに

かられました。

 

ヨガナンダがこの護符を受け取ったとき

“私は強い光の炎に包まれた。

すると眠っていた様々な記憶が一時によみがえってきた。”

と著書に述懐しています。 

さらに、

”ごの護符が、後に、私の障害の申告な苦悩のさなかに

消えてなくなった。

そして、そのことが私と師の巡り合いの前触れになった”

と書いています。

 ”ともあれ、ヒマラヤへの脱出を阻止された少年は 毎日護符の

導くままに、遠い旅を続けることになったのである。” 

護符には 真言(マントラ)がサンスクリット語で掘り込まれていました。

創造、存続 破壊 という三つの事象は、ヴェーダ、

タイテリア・ウパニシャッド1~8)において、

実存するものの、顕現の在り方として、定義されています。

実存が物質として顕現したとき、はじめは創造として、 

それが存続している時期があって、破壊という一見 

それが亡くなる相が現れます。

そして、再び、新たに、創造という形で 生まれます。

私たちの一生を例にとっても、同様の事象が当てはまるわけです。

 

護符に刻まれている、サンスクリット語のマントラは正しく発音される

ことによって、波動として効力をもつからこそ、お守りの御札になるのです。

それは、真言の力が発現されるからです。

祝詞でも、お経でも、言葉そのものが、波動をだし、物事の創造に関与して

います。

それが、創造、維持、破壊の どれかの事象を動かすだけの力を持つとき、

真言の役目をはたすとみなされるのです。

私たちが日ごろ、日常生活で口にしている言葉も例外ではないでしょう。

良い言葉を話す、

確信をもって話す、

言葉と行為と心を一致させる

真実の波動をだす

などは、こうした、言葉の波動の並々ならない力を物語っているのだと思います。

護符が現れたり、消えたりするのは、それが波動で成り立っているからという

ことになります。

物質化したり、幽玄化したりするというのが、実際、ヨガナンダ師の体験で

わかります。

 

私の父も、黄色い小さなサファイアの指輪を 右手にしていました。

本人はお守りとして 身に着けていました。

葬儀の前に、形見として 父の指から抜き取り、私はある、

ケースにしまっておきました。

ところが、その直後、その指輪は無くなっていました。

誰も見た人はいません。

母が持っていたのかと思っていたところ、母も 必死で

探しているようでした。

こうして、その指輪は 父の肉体が荼毘にふされた翌日から、

行方不明になりましたが、もしかしたら、行くべきところに

帰ったのかもしれません。

 

参考文献

あるヨギの自叙伝 パラマハンサ ヨガナンダ著 森北出版 1994年

 

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