自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

母と娘へのコメント

2012年09月18日 | 介護と自然治癒力
介護の扉最新読者のコメントから    9月18日(火曜日)
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現在、私は介護ヘルパーとしてデイサービスで働いています。
(まだヘルパーの仕事を始めてから日が浅いのですが・・・) 

会話が通じない認知症の方もいらっしゃいます。
 
その人の人格を尊重して、どのように話をしていいのか勉強中です。
 
人其々生きてきた背景が違うのでどのように対応していったらよいのか・・・・・

誰も認知症になりたくてなったわけではありません。
 
意に反して認知症になってしまったのです。

介護関係の本に書いてあったのですが認知症にならない人は、
 
次のことを経験し実践してきています。
Unknown (姫バラ)
2012-09-14 23:19:02

 



人生の挑戦にも失望にも立ち向かうこと

・希望をもって毎日の問題に取り組むこと

・自分自身や他人の間違いや失敗を許すこと

・目標を達成できない時は妥協すること

・失敗やミスをおかしたり、夢がかなえられなくても自尊心をもち続けること

・社会的そして身体的に衰えても生き続けること

・身体の衰え、愛する者の死、そして避けることのできない自分の死をも受け入れること

・生きることへの情熱をもち続けること

・過去をくよくよ思いわずらわず、思い出として楽しむこと

・新しい人間関係をつくること

・愛する人たちと仲よく暮らし、死に備えること



私も、これらの事を実践し、死を迎える最後まで言葉を介しての

コミュニケーション能力を保ち、

時間や場所の認識ができ、正しい判断ができるようにしたいと

思っています。           以上

 

姫バラさん ご意見ありがとうございます。   

上に掲げられたそれぞれの項目は私たち誰でもが老後を迎えたとき、

心に意識して、意思の力で、留置(とめ)おきたい、事柄ばかりです。

特に印象的だったのが、上から3つ目あたりから書かれている、

自分自身や他人の失敗を許すこと、ある程度の妥協も必要なこと、

そして、失敗しても自尊心を持ち続ける

ということでしょうか・・・

人は真面目な性格であればあるほど、完璧主義を目指しますね。 

自分に厳しく他人にやさしくというは 一般的テーゼですが 

どなたでも、老人の季節が深まれば

肉体が少しずつ崩壊にむかっていることを意識しはじめてます。

弱気になったり、自分が他人に負担をかけているのか気になったり、

”なぜ、これができなくなったのだろう”と

自分を無意識に責めたり、もっと頑張らなければと 

無理したりしがちになるようです。

そういう時こそ、自分に、ゆとりを持って

”みる目を養う”、”客観的な眼”を 自分の心に持つ、

それがとても大事だと思います。

また、自尊心というのは、読んで字のとおり、自らを尊ぶ 

と書きます。 

自分の理想として描いている ご自分こそが、真の自分、

中核に存在している自分の本質であることを自覚して、

自らを尊ぶことを忘れずに・・・・

これが、自他ともへのほんとうの意味での人間の尊厳を認めるということだと思うのです。

体が不自由になっても、生きる意欲と満ち足りた静かな眼をもって、

微笑んでいる ご老人たちはとても魅力的です。

若い人たちも、思わず、その重厚な美しさに感銘を受けるでしょう。

孫たちも、そんなおじいちゃん おばあちゃん がそこにいてくれる、

それだけで、幸せな気持ちを味わうでしょう。

 

 

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日暮し蝉 と オーシンツクツク

2012年09月13日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

カナカナカナのお話し

9月13日(木曜日)~夏も去りかけて~

 

”オーシンツクツク オーシンツクツク オーシンヨー 

オレシイヨウレシイヨ:ツ~~”

”ミ^ンミ^ンジ~~~ジ~ンミ~ン 

meen meen meen mi~~~”今は朝8時半。 

9月に入って中盤を迎えようと

しているのに、元気な蝉たちの声である。

 

”啼く”、”鳴く”~二つの漢字は、彼らの声にそぐわない。 

彼らは、何年も地下で過ごし、地上に出てきて

一週間ほどでその一生が終わる。 

種族を残すために残されたわずかなひと時を

尋常でないエネルギーを使って

”なき”つくす。 

 

その鳴き声が私には、高揚した臨場感とはかなさの

協奏曲のように聞こえる。 

だから、”泣” いているように聞こえてしかたがない。

 

彼らの最期は、余計に壮絶だ。 

苦しいのか断末魔の末なのか、狂ったように、

バタバタ~じーじー~と、

羽音と腹底から声を出して、そこかしこに”泣き”

ながら 低空飛行で体当たりしている。

束の間に、静かになったと思えば、階段の踊り場や

ベランダの片隅に 泣きがらとなって横たわっている。

 

ほんの時折、夕方 ”カナカナカナ・・・”と 

歌うような声が聞こえる。 

風情を誘う音色だ。秋風も誘われる。 

そして、小一時間程度で、chirichiri ji^ji^,スイッチョン 

スイッチョン と 秋虫が草陰から一斉に、鳴き始める。

 

”カナカナ”は ”日暮し” といわれる蝉カナ? 

西行法師の ”もののあはれ” の風情を想いだす。

…秋は来にけり・・・日暮らしという名前にも趣を

感じる。終日沈黙して日が沈む前のひととき、声をだす。 

その日を 生きていた証のために。”泣く” のではなく、 

これこそ、 ”啼い” ているのだ。

 

自分に残されたわずかな時間を 静かに受け止めて、

黄昏の中で、味わい尽くすように:かなかなかなかな・・・・・・

 

おもわず、人の命と重ね合わせる。日暮し蝉の歌は、 

切なくも、美しい。私たちは最期の最後まで、かれらのように

歌い続けられるのだろうか?鳴くき尽くせるのだろうか?

 

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文士と河童(かっぱ)

2012年09月11日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 ポエム *** 文士と河童   

9月11日(火)

 

バーのカウンターで on the rock のグラスを片手に、

うつむき加減で、陰りを見せている文士の横顔

レトリックなやや着崩した着物の袖が グラスを握った

手首を浮き立たせている

 

人間失格・メロスは走って・ それでもって河童の

独り言を聞いている・ 

カミユの”異邦人”の 世界に照らしている、

まぶしい太陽がそこにも差し込んでいる。

 

生と死 の境界線を 容赦なく、照らしつける

私は、人間失格 ・ 

俺 も 右同じ ・ 

否、仮面をはがせば、誰だって同じ。 


いたたまれずに、穴倉に入る代わりに 太陽を浴びて、

”醜態” という 肌に浸み込んだ”カビ”を干そう


良心ある人々の善良なる人々の、

偽善と欺瞞で 盲目になっているひとたちの、

罵倒を覚悟でその身をさらす。

  

それでも、湿った仮面の下にある 腐りかけている細胞

を持て余して、

女とともに、河童になった。


きちんと脱いだ下駄をはきそろえて、文士は河童を呼んだ。

 

”河童ってね! 子供の魂をもっててね、壊疽した

肉体の奥にある、

純な魂 を 抜き取ってくれるんだって。


知らなかった? 

河の童(わらべ)が、文士の童(わらべ)の魂を取り出して 

洗ってあげたんだってさ。” 

 

そんな童話を知ってか知らずか、わらべ歌をうたいながら、

文士は女と河童を 呼んだ。


”河童の”か”の字は、かくれんぼ! 河童の”パ”の字で、

じゃんけんぽん。

あいこはなしよ、じゃんけんぽん。

負けたら、心をくれてやる。 鬼さん鬼さん、

手のなるほうへ・・・” 

こうして、二人は河童になった。

 

そして、最後の仕上げに、人間失格者も、情死者も、

壊疽した肉体も、

on the rock の残り香も、みんな、河に流して・・・

残ったのは、

彼の魂に降り注ぐ、本物の太陽の光だけ。


カビの臭いも罵倒のざわめきも消えて 昇華された

文士のエッセンスとともに・・・・

 

 

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花のつぶやき

2012年09月10日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

花のつぶやき

華奢な花、

可憐な私、

華やかでしょう? 

ひっそりと咲くのが好き・

気取っているって? 

ただ、咲くために、生まれてきた・・

何も言葉を発しなくても存在感がこんなにあって・・って?。

 

 自己主張って? 

相手が誰もいないのに・・

ああ、空気が、風が リズムを

与えてくれる

私は一人でそっと、ダンスしているの。


庭の片隅で、ヒマラヤの麓で、

草原で、沼地で・・・・

 風が私の一番の仲良し。

そよ風、突風、空っ風、

雪風、雨風、秋の風、

嵐になっても、吹雪になっても、

ただひたすら、お日様を信じて待っている

静かに咲いて、黙って散るの・・・ 

それが私の定めだから。

 こんな歌知っている?

”小さな花に口づけしたら、

 小さな花が僕に言ったよ。

 おじさんあなたは、優しい人ね、私を摘んで

 お家へ連れて行って。

 おじさん、わたしは、あなたの部屋で

 一生懸命咲いて、慰めてあげる~わ。

おじさん、見てて枯れるまで。。”

 そ・れ・で・・・とても・・・し・あ・わ・せ・・・

あなたはもっと幸せね、愛する人がそばにいて。

一生懸命咲いて、何気に咲いて、風に吹かれて身をまかせ、

空いっぱいに向かって咲いて・・・・

そして黙って散るの。

 それで幸せ。 わたしの定め・・

 


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家庭内暴力記事反響

2012年09月10日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 家庭内暴力記事(9月7日~木曜日)への読者から反響

« 幼児の時のトラウ... |  4 コメント :     

Sept.10th 2

コメントをいただいた。 

とりあえず、皆様と一緒に、ご意見をシェアーさせていただきたい。


1)      Unknown (ゆーこ)
2012-09-06 23:57:45
 
 私も体の一部(意識)で感じる時がある
一瞬一瞬の狭間でその気づきの部分を感知した瞬間に瞬時に
スルーしたくなる。
 
それは、見たくないものであったり、恐れであったりと本来内省し、
分析し意識を変換し努力しようと
 
自分にいつもいい聞かせている事なのに、日々の現象を
目の当たりにすると葛藤がはじまり、なかった事にしよう
とする自分がある。
 
そういう弱さも認めながら自分本来のアートマにたどりつければと
願うばかりです
 

2)   ゆーこさんの意見にプラスして (サナトクマラ)

2012-09-07 09:29:52
 
ゆ^こさんの意見、私も賛成だ。
 
弱さや見たくないものに、
目をそむけないか、受け入れるか、
もっと、奥へ進む勇気があるか、
意識の変換がうまくいかず、ますます落ち込む原因になったり・・・

アートマにたどり着くためには、道のりがあるような気がしていた。
でも、本当は、アートマ地点に立っている自分を自覚すれば
いいだけだということにも気がついた。
もやや霧がかかっている、今。
 
アートマにすでに足を付けている自を自覚しないと、
ますます、霧の中で 
迷路に入って行ってしまう。
 
自動的にみな、アートマに立てる。
左右 揺れているように見えるが、実は、
振り子の中心が自分なのだから。

だから・・・・心をどこに焦点をあわせるか・・・ということ
 
 
3)   追加 (yamatonadeshiko)
2012-09-07 14:39:36
 
いやあ 深くて難しい問題ですね!
 
 
 
4)   Unknown (向日葵)
 
2012-09-07 19:38:26
 
いつも本当に楽しみに拝見しています。
私は過去に夫の暴力で離婚を経験しています。

このブログを読み、更に深く、その時の自分を内観し、今まで自分が
思っていた事とは違う事にも多く気づく事が出来ました。

そのひとつは自分でも今まで気が付かなかったバリアーが自分の
深く奥にあった事・・・
 
この出来事での自分の奥の内観は痛みもありましたが、
この事に気づく事で
 
相手への思いもまた良い方へ変わる事ができました。
 
ありがとうございました。

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