自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

@デリー(女神の祝福)

2012年12月26日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 ハートのチャクラのつぼみ

12月26日 B夫人の体験手記 (3)  

12月16日

昨日から一夜あけて、今日は首の左部分、

右ひざに緩やかな痛みが出てきていた。

Suda(筆者)は、セッションを始めると、ゲップと咳を排出していた。 

しかし、はるかに昨日と比べると、少なかった。

Sudaはマントラを今日は唱えずに、静かに手当を始めた。 

セラピー中、私(B夫人)はSに、いろいろな質問をしてみた。 

その質問すべてに答えてもらい、納得できた。 

私の体の 気の通り道のゲートが閉じていること、

それはエネルギーのポイント地点であること、

ヒーリングが始まるや否や そのドアが開けられていくのを、

実体験で感じられた。

再び、この日、私は、トランス状態になった。

目の前に広がる光景はどこか南インドの寺院だった。 

そこで私は、花の首飾りと様々の花に飾られて

立っている像の前にいた。 

神々しく輝き、U字型の長い金のネックレスを

していた。 

その金のネックレスには金の硬貨が付いていた。 

というより、硬貨が空中にどこからか現れて、

磁石のように、ネックレスに 次々と吸い付いて

いく光景が見える.

そのネックレスをかけているのは、女神である

ことはわかった。 

ただ、お顔が拝せなかった。 

献花の花輪で埋め尽くされていたからだ。

 

私は、ラクシミ神でないかとSに示唆した。 

南インドのティルバティ寺院にある、ラクシミ像は、首の回りに

花飾りが常にかけられていて、

一般にお参りに行った人も、そのお顔を拝するのは難しいという。

Sudaはミナクシ寺院ではないかという。

あとあと、姉に電話で聴いてみたら、その姿ははやり、

ラクシミ女神に間違いないと言っていた。

姉が行ったことがある寺だ。 

実際もそのように、

献花でお顔が拝見できないほどで、ゴールドのネックレス

をかけているとのことだった。

 

今日は セラピー後、一日体が軽かった。

夜、軽い痛みがあった程度だが、エネルギーが体に循環していて 

なかなか寝付けないぐらいだった。

 

12月17日

今日はヒーリングの方法について話しをしていた。

私の言葉の中に いつの間にか 自分の受けてきた

仕打ちの愚痴が出てきていた。

Sudaは”今はその話題に触れないで”と言った。 

Sudaの足に痛みが走るからという。 

そのような話題はもう 口に出さないでほしいとも言われた。 

その理由について、Sはたとえ話をした。

 

”今、あなたの浄化がすすんでいます。 

そのような話題を口にすると、せっかく、出て行った、

黒い大きな大蛇がまた、あなたにまとわりつきます。 

今 その大蛇が、どこにいるかって? 

もう、大気圏のはるか向こうに投げ出してしまいましたから大丈夫、

でも、その、マイナスの話題を話すだけで、 

マイナス波動が餌(えさ)となって 瞬時にあなたのところへ

戻ってきて、あなたの体にまとわりつくでしょうから”

 

そういえば、思い出した。 

私の息子にもよく言われる。

”お母さんが、人の悪口を話し始めると、心の中の

アニマル(獣)が目をさます・・・”って。

それとどこか同じような言い回しだと思った。

 

今日、私は、トランスフォーメーションをした、 

それは、私のハートのチャクラにピンク色の花のつぼみ

を見出したことだった。 

 

続く・・・・

 

                                        

自分の心の扉・・どの扉を開けるかは自分次第

 

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@デリー(トランスフォーメーションの体験)

2012年12月25日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

  人の体験手記(2)    

 12月25日

 

12月24日の続き~

私(B夫人)はSudaを 今日から、自分の師として、

受け入れた。 

なぜなら、ババ(注:B夫人の精神的霊的師匠)が

送ってくれた人だから。 

セッションを受けるに当たり、私は 

セラピーに関しての、

須田の言葉、忠告を素直に 心から、

受け止めようと決めた。

日のセラピーは、Sudaの真言(マントラ)の

吟唱(チャンティング)から始まった。 

Sudaが私の左腕に軽く触れたとき、思いがけず、

私の目から、突然涙があふれてきた。  

止めることができなかった。 

大声で嗚咽したかったが、理性でこらえた。 

何故だかわからない。 

涙が流れ出ていくと同時に、私の中にある、

何かが一緒に、

抜けていくような気がしていた。 

5分ぐらいで涙が止まった。 

それから、私は、言いようがない、

不思議な光景を見ることになった。

私は、次第に、心地よさとともに、

トランス状態に入ってていった。 

Sudaはチャンティングをしながら、

セラピーを続けていた。

目を閉じて横たわっている私の前に、

突然、古びた、

木製の棺(ひつぎ)が出現したのだ。 

それは、左のヒザの上から右足のふくらはぎ

にかけて、やや斜めに置かれ、

 私の足はその中にすっぽり入りこんでいた。 

そのためか、足は固まって、硬直状態だった。

須田の激しい、咳が聞こえた。 

須田は、ゲップのような、ガスを絶えず、

口から出していた。

私の耳には、Sudaのマントラが

はっきりと聞こえていた。

その時、突然、右足に激痛がはしった。 

その痛みは次第に、潮が引くように、

緩やかになっていき 、

棺の中に入っていたその部分が露出していた。 

そして、次第に棺は両足の下に移動していた。 

唯一、右足のくるぶしが、まだ、棺の中に

納まっていた。

 棺の色が次第に色合いを変えてきた。

 古びた木製のさび色の棺は、だんだんと明るい 

輝いた色調へと変化していく。

左の足はもはや、棺から抜けていた。  

棺の位置も変わり、さらに移動して、

私の足元に横向きに

置かれていた。

のくるぶしはあらわれたが、右足の親指はまだ、

棺の中だった。

棺が、どう移動したのかわからない。 

否、気が付くと、水が足の下に流れていた。 

その水の力で 向きを変えていたことがわかった。

光る草原の優しくくっきりとした緑の色。 

それが、その水の色合いだった。 

だんだん水の嵩(かさ)が増していく。

水量が増えていく。 まるで川のようになった。 

 私の体は反対にどんどん軽くなっていった。 

もう、体のどこにも痛みはなかった。  

右足の親指も、棺から出ていた。 

足元に見える緑の光る川は、ガンジス川より

広く大きくなり、

その水の力も増して、はるか向こうに滝が

見え始めた。 

気が付けば、古びた棺の上には、草すら生えていた。

 河は緑から青みがかった色合いになり、滝をつくり、

棺は滝のほうへとゆっくり、次第に早く、流されていく。

 そして、最期に滝から、落ちて行った。 

 滝の下には、大きく広がる、海があった。(*1)

 私はその時、自分が 宇宙の中に放り出されて

いるような、それでいて、中心に坐して、

”無の境地”に浸っていた。

 喜び以外のなにものの感情もそこにはなかった。

 私は、はっきり言えるだろう。 

 25年間のこの苦しい人生の日々、

今日こそ、幸せな日はなかっただろう~と。

 この日、セラピーが終わって、まったく体に痛みが

無い状態を体験した。

 

 

手記にあるように、この日、夫人は、

”空の点に自分を置いた体験” 

をしたようであった。

宇宙の中心にいるような、何も感ぜず、

何も思わず、

ただただ至福の中に漂っている自分を

見つめていたという 

夫人の心境も今日あらためて確認してみた。

大きな滝というのは、このセラピーの

象徴でもある。

滝の気 それが、このセラピーの気の本質である。

マイナスイオンとか、癒しの波動とか

いろいろいえるかもしれない。

 

その滝の気を浴びて、諸々の悪の諸元、

(相手のマイナス想念、

自分のマイナス想念、悲しみ、恨み、など)

が、棺(ひつぎ)という象徴の中にこめられて、

流されていった。

そして、*2大海に流れ、アートマに溶け込んだ。 

[海は大いなる生命力の象徴]

 

2日目の今日、夫人の ”体と心そのものが、

一皮むけていた・よって軽くなった”~

という表現が適当だろう。

続く~

 

*1 2012-09-28  | アートマセラピー~ この内容を

読んでいただければ、滝の気の意義が書かれています。

 *2 2012-11-09  |"物質主義(迷信)” ブログ内容 

参照’海”と自分の本質について、書かれています。

  B夫人のこのブログにあげている手記原稿。 

彼女の名刺も添えられている。 

霊気のマスターとなっている(インドでも霊気の

プロになるための錬成コースがあり、それを受講し

修了書を与えられた)

 

 

 

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アートマセラピー@デリー手記

2012年12月24日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 

@ニューデリーB夫人の体験手記                            

 

12月24日

昨日の続きから・・・・

今回、私のセラピーを受けるに当たり、夫人は、

ボンベイ近くに住む、

夫人の師の許可を得たという。

といっても、デリーからボンベイに電話を

したわけでもなく、

ましてや、師の元へ行き、お伺いをたてたと

いうことでもない。

師は、”自分の名前を呼び、心の奥深く瞑想すれば、

いつでも、彼女の前に来る” 

と かつて約束してくださったという。

それからが、誰もほかの人に気が付かれないうちに、

彼女は師を呼び出し、

心で会話することが可能になっていた。

例えば、こんなエピソードを話してくれた。

文鳥を2匹飼うことにしたD夫人は、

そのことを師に(心で)報告した。

師はやがて、1匹の文鳥が亡くなることを示唆した。

そして、ほんとうに亡くなった。

ここまでは、特に不思議な話でない。 

報告したのか、予言されたのか、

自分の想いなのか、潜在意識のトリックなのか

いくらでも解釈がつくことだ。

それから、B夫人はお姉さんと一緒に、

ボンベイのババのところへ実際訪れた。

その時、ババは”鳥が亡くなったようだが”と

話を切り出した。

”言った通りになったなあ”と 師は続けた。

お姉さんは驚いて、”え、いつ、ババに話したの? 

ここに来る前にどうして、ババが 鳥のこと、

ご存知なの?”

とB夫人に聞いたという。

”いいえ、私が話したいとき、ババはいつでも、

答えてくださる。

のことも、すでに相談していたの、だからご存知なのよ。” 

そう、D夫人は、姉に答えた。

 

その時、師は、B夫人にこう語ったという。

”鳥が亡くなっても悲しむことはない。 

鳥は誰が面倒みていたのか? 

お前か? 家族か?

否、天におられる、大生命こそ、

ほんとうの飼い主だ。 

この鳩をごらん。この犬をご覧。 

誰が養っているのか?

ちゃんと、天が養う。 

何も怖がることはない。心配もない。 

必要なものは天が与えてくださる”

まるで、キリストの言葉のようだと、

私は、聞きながら、思った。

”何を着ようと思い煩うなかれ。

天の父は、空を飛ぶ鳥すら、

養ってくださる。” という、聖書の言葉だ。

師はD夫人をどんな時でも、見ているし、

面倒を見ているということを、

その話の行間に込めて語られたのだとも感じた。

 

師の話をしてから、婦人は続けた。

だから、”あなた(注:須田のこと)は、

ババ(師)から 遣わされたのよ。

師が、あなたを送るとはっきり言われたのよ”

と 確信を持って語る言葉も 

誇張や不自然さはなかった。

私の師が、送ってくれた人だから、

あなたの言葉と、

あなたのセラピーを、信頼して受け入れますと、

素直な心を私に向けた。 

そのせいか、セラピ―セッションの効果は、

予想外に早かった。

 

毎日時間が許す限り、私は彼女の家に通い、

セラピーセッションを持った。

その間、彼女はいろいろな 

トランスフォーメーション体験をした。

その手記を、まとめてくれた。

 

ヒンディー語で書かれている。

それを、Mr.B の英語の補助を

いただいて、日本語に訳した。

彼女の想いが、日本語で、どこまで

正確に表現ができたかわからない。

B夫人の ヒンディー語で書かれた

原文はとても美しい。 

読んで聞かせてくれた。 

韻を踏んでいて、詩 を聴くような

流れがある。

それを日本語で表現できないのが

多少残念でもある。

以下 B夫人の手記を お許しを得て、

公開させていただく。

 

12月12日

今日は美しい夜だった。 

ある意味で、今夜は、suda(筆者のこと)

とのセッションがスタートしたと

言っていいのかもしれない。

音楽に包まれ、ダンスをしたい気分

にもなった。 

Sudaに、セラピーを 改めて、お願いした。

12が三つ重なる、今日という日、こうして、

意味ある出会いと祝福された気持ちに包まれ、

私は一生、忘れることはないだろう。 

12/12/2012、心に刻む日だった。

 

12月15日

私は、25年間ずーっと苦しめられてきた。

それは、体の不調であり、心の重さであり、

消えたことのない苦しみでもあった。

特に、この4~5か月間は、その痛みが

究極に達していた。 

3か月前から、フィズオセラピー*1 

を受けていた。

神経の鋭い痛みに対し、医師から薬も

処方してもらった。 

Sudaと会う、一日前、医者が

”そろそろ薬を減らそう”

と提案してくれた。

そんな状況の中で、アートマセラピーの

セッションを受けることに、

Sも同意してくれた。

続く~

 

注)*1 ヨガの概念を入れて、

機械を使って身体の調整を行うセラピー。

薬は西洋的医学に基づいて、

ビタミン剤などの配合されたものを

サプリメントとしてとっていると、

D夫人は語っている。

 

                        

デリー コトブミナガールの門。 

73メートルの高さを誇る 世界最大の高さの石塔 。 

1193年 アフガニスタンがデリー征服記念に建てられた、

クトゥブディンという名の武将によって建てられたという。

工事着工されて、1368年に増築された。

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アートマセラピー@デリー(B夫人の覚悟)

2012年12月23日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

12月23日  B夫人アートマセラピー開始する   

12/22 より続き

 

12月13日、B夫人のセラピーへの期待が膨らんでいることを感じた

 ”明日、夕方いけたら行きますね”と 昨日別れたときの、

返答を思い出しながらも、足が彼女の家に向かなかった。

結局、連絡もしないまま、その日はB夫人と会わなかった。

 

12月14日、

昨日から、B夫人の波動が来ていると見えて、体が重く感じられ、

微熱も出ているようだった。 

約束した、夕方がきても、ソファーに横たわったまま。 

起き上がる気力も出ないまま、自己セラピーをしていた。

昨日から、B夫人の強い念波と 夫人についている黒い念波と 

同時に受け取っているような気がしていた。

自己セラピーとは、相手から受けたものを浄化するセラピーである。

こうして自分を浄化することで、相手も 同時に軽くなるはずである。 

相手に面と向かってセラピーしていなくても、セラピーの効果は

期待できる。 

そう感じた。

だから、あえて連絡もせず、とりあえず、B夫人の浄化を私の体を

通して行うことにした。

 

ところが、そんな折、B夫人の使用人がドアのベルを鳴らした。

”うちの奥様が、Sudaマダムの携帯番号教えてほしいと言っていますが・・・” 

と言う。

彼を使いに出したB夫人の今日も待ちぼうけをくらってしまったという、

がっかりした心の波動、

”私は、こんなに待っているのに、Sはまだ来ないのかしら?” 

が伝わってきた。 

”一両日中に行きますから。 昨日今日と、ちょっと体が重いので。” 

というと、”一両日中ですね?”と

使用人は念を押して、帰っていった。

 

12月15日

朝9時、B夫人に、電話をした。

二日間のプレシャーはストレスにもなりかねない。 

”お待たせしていますね。 それでは今日伺いますから。”

こうして、この日から、本格的なセラピーがスタートした。

 

B夫人は、霊気マスターの資格を持っていて、8年間ほど、

プロとして活動していたという。

元大臣やら、それ相当の社会的身分の人たちが

クライアントとしてついていた。

しかし、B夫人の霊的先生、いわゆる、聖なるヨギ に、

その活動を止められた。

それを素直に受け取り、ヒーリングの仕事を辞め、現在に至っている。

 

現在、息子夫婦の離婚でもめて、裁判沙汰になっている。

同時に、B夫人は神経症にかかり、外部の治療も受け、

薬も処方してもらっていた。

その日、伺ったとき、首と腕、足、腹にも、厚いサポーターを

つけていた。 

まるで、重症むち打ち症患者のリハビリのように、動作一つに

時間がかかり、彼女の体の重たさが伝わってきた。 

足をひきずり、ベッドに上がるにも、ようやく、体を少しずつ

移動させて、時間をかけて横になった。

痛みを我慢している様子がよくわかった。

 

B夫人が、心から、信じ、その助言を受け入れている、

聖なるヨギはボンベイ近くに住んでおられる。

御年(おんとし)何百歳か、だれも知らないという。 

夫人は 霊気マスターとして成功していたが、師の言葉通り、

その仕事を辞め、それをきっかけとして、

ますます、師の祝福を受けとっているかのようであった。 

体の体調は最悪だったが、心とのバランスがとれていない

ことが明白だった。 

アートマセラピーは、このバランスを整えることから始める

ことにした。

 

私の知らない間に、彼女の特別な能力が開花していた。

数年前に、私がセラピーを施術して、

”熱が出た”と不安を訴えてくる彼女ではないと感じた

トランスフォーメーションが容易にできるだけの、力を

つけていた。

支離滅裂、理性が飛ぶ、強迫観念に襲われる、自分でなくなる、

”愛の大切さを心で感じ、報復を考えている頭”、

それが今のB夫人の状況を顕わしていた。

トランスフォーメーションとは、現在の次元を超えた高い次元に 

自分の意識を置くことをいう。

それは、幽体離脱するかのように、自己の意識が飛んでいき、

そこで、はっきりとしたカラーのヴィジョンを観ながら、

心の浄化とハイヤーセルフ(アートマに近い自分)の体験が

できることを、意味する。

続く~

 

インドの風が心地好く吹き抜けていきます

冬とはいえ、心地よい季節に変わりありません。 

この部屋は4階です。 

時々、クジャクが飛んでいます。 

クジャクの泣き声は、まるで猫のようです。 

地図を見ると、家の前の広大な空き地は

”野生動物保護地域”に指定されています!

 

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アートマセラピー@デリー(Mrs.Bの体験)

2012年12月22日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

インドでのセラピー体験    12月22日(土曜日)

 

あと余すところ滞在が2日となった。

今回は、以前関与していた会社関係の、出張という形で銀行やら、

会計士事務所、弁護士との慌ただしい話し合いを重ねる旅であった。

 

その合間をぬって、近隣のB夫人が私にセラピーを頼んできた。

お茶に誘われ、よもやま話から、ご自身の黒魔術の話になった。 

以前このブログでもふれたように、私自身、黒魔術とは

二度とかかわりたくない体験を持っている。

B夫人の話はよく理解できた。

B夫人のベッドのマットレスの下から、異様な数の、

女性の長い髪の毛が出てきたというところから

話しが展開した。 

そういうこと、信じるかどうかと聞かれる前に、すでに、

D夫人宅玄関に足を踏み入れて 私自身、

重苦しい灰色の空気が時々、流れるのを感じていた。

 

B夫人の体は、様々な部位に痛みを覚え、歩くことも大儀で、

枯葉が落ちたり、鳥が鳴いたりするだけで、

急に、腹だたしくなったり、当り散らしたくなったり、感情が

高ぶりやすいと話した。

B夫人は 元女優。映画にも出ていたというぐらいなので、

若いころの美貌が偲ばれた。

その面影残る、額と眉間に皺を寄せて、家族の不幸な体験を次々と

語って聞かせた。

街に出ると、皆が自分を痛めつけようとしていると感じ、それほど、

神経過敏になっていた。

そういう状態では、ただただ、落ち込むだけなので、

ストレスを忘れるために、昔とった杵柄(きねづか)で映画の歌を

習い始めたという。 

 

”あなたも、シタール奏者でしょう? 私の歌に合わせて、弾いて

くれたら、楽しいわね”と 話が音楽の話題に移行した。

ヤマハのキーボードがあるという。

シタールは無理だけど、キーボードならというと、即座に即興音楽会

の準備をご主人が始めた。

私も日本の歌などを歌った。

こうして、2時間、ご夫妻と思いがけない、音楽の夕べを楽しんだ。

古い、ゆったりとした、インド映画音楽を 奥さんは歌う。

ご主人は、アカペラ調に、口を器用に使って、タブラ(インド太鼓)

の音を演出した。

リズムも、正確で、なんといっても、そのタブラの音の

バリエーションが 口遣いと思えないほど、素晴らしかった。

ヤマハのキーボードもそれなりに音楽を盛り上げた。

即興だったが、どうにか、そのメロディーに合わせて伴奏をした。

大いに盛り上がり、笑い、歌い、素敵な時間を過ごすことができた。

 

時は 2012年 12月 12日、12の並ぶこの日、B夫人の心の中に

何かが生まれていた。

それは、マヤ暦で地球最後といわれていた象徴的意味合いに

関係するかのように、小さな、でも、大きな変化だった。

この日を境に、彼女の古い自我が死んで、新しい自我が生まれ

始めたのかもしれない。

 

彼女は 音楽に興じながら、私にこう、笑いながら言った。

”Suda、前にセラピーしてくれたわよね? どうして、今回して

いただけないのかしら?”

わたしも笑いながら答えた。

”B夫人、もう、セラピーは始まっていますよ。 

 こんなにあなたが笑ったのはひさしぶりでしょう?”

B夫人が答えた。

”そういえばそうね。音楽って、すごいわねえ。 

 楽しくなって、心も軽くなって。 そうだわ。

確かに、これは癒しの時間だわ。”

そして、急に、生真面目になって、私に 問いかけた。

”Suda、私を助けてくれない? 重くて、暗くて、ときどき私、

このまま、死んでしまうのではないかと思うほど、苦しくなるの。”

その表情には、すがるような真剣さがみられた。

私は、内心 ”ウ~ン・・・”と 唸った。 

一瞬、返答ができずに、想いだしたことがあった。

 

 過去、1~2度、D夫人にセラピーをしたことがある。 

2回目のセラピーだったと思う。

セラピー中はとても気持ち良いと言っていた。

しかし、その翌日、電話がかかってきて、少々きつい口調でこう

言われた。

”今日、起きれないぐらい、体の調子が悪くなったのだけど。    

どうしてかしら?

あなたに、セラピーしてもらって、どうして、こんなに、熱が出て、

咳がでて、こんな症状になったのか。。。?”

 

合点がいかないということだった。 

同時に私は、無意識に、責められている感じがした。

”浄化作用だから” と答えてもわかってもらえないだろう。

そう、咄嗟に感じるほど、当時のD夫人は心をかたくなにしていた。 

 

そのことを思い出しながら、私は返事にとまどった。

やっと、答えた。

”そう。 また、夕方、来れるときに来ますね。”

こう言って、私は D夫妻に別れを告げた。

 

 続く

       

今、私は、自宅の、この飾り棚の前の席で、、この記事を書いています。

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