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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.1.4.毒を盛られた典礼

2010年04月05日 | ルフェーブル大司教の伝記
毒を盛られた典礼

 すぐにルフェーブル大司教は、例えば葬儀などへの消極的参列は除いては、もはや新しい典礼様式で執行されるミサに与ることに対して、黙認しなくなる。大司教は、何かが内在的に邪悪だと言われる意味で 、新しいミサが内在的に悪であると宣言することを望まなかった。ただし、このミサがそれ自体で有害であり、それは新しいミサの典礼様式が執り行われている状況(例:祭壇代わりのテーブル、又は手による聖体拝領など)に起因するものだけではないと考えた。

 しかし、教皇は、そのようなミサをどうして公布する事が出来たのか?というのも、原則として、見かけ上カトリック教会の普遍法である、このミサは、神学者たちの共通見解によれば、教皇の教導職が有する不可謬権によって、信仰に対する一切の誤謬、又は危険から免れる事が保障されているからである。そこで1981年、大司教は、この異論に答えた。

「新しいミサの外的要素から判断しても(その制定に伴う諸状況)、内的要素から判断しても(典礼様式の分析)、さらに新しいミサの実りを見ても、このミサは、異端ではないが、信仰の喪失に至らしめるものであり、真の法ではあり得ないことを示しています。何故ならドン・ジュゼッペ・パーチェ(Don Giuseppe Pace)が言うように:「この(新しいミサという)新しい法は、それが命じているように、共通善のため(ad bonum commune)ではない、つまり、この新しい法は、共通善を確保していない」からです。」

「このミサは、単に外部的、あるいは非本質的な面で悪なのではありません。それ自体に、本当に悪い何かがあるのです。それは、クランマー(Cranmer )や、テゼ共同体(Taizé-1959年)が考案したミサを原型に基づいて創られました。ローマ滞在中、(新しいミサについて)私を尋問した人々に言ったように「あれは、毒を盛られたミサです!」と言わなければなりません。」

「これは誰の責任になのでしょうか?一体誰が私たちの霊性を変えようと望んだのでしょう?私たちの典礼は、毒を盛られているのです。ある者はこう言います:「その通りですよ。でも、効き目がゆっくりとしている毒じゃないですか!」そうです。しかし、効き目の遅い毒ではあっても、やはり毒である事には変わりはないのです! 


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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