罠を仕掛けられた叙階と堅振の秘蹟
1968年6月18日には既に、司祭叙階の儀式は、同じ毒が盛られていた。叙階の秘蹟の形相を明快にする、聖職授階候補者がカリスに触れる時に唱えられる祈りは、“犠牲を捧げ、ミサを執行するための権能”にもはや言及し表現していない。この祈りは、「聖なる民の供え物を、天主に捧げるために受け取りなさい」という命令と置き換えられてしまった。そうなると、叙階の秘蹟授与者である司教の意向は歪曲され得るのだ。さらに「聖霊を受けよ、あなたが赦す人には、その罪が赦されるように. . .」という聖主の御言葉を復唱しつつ、罪を赦す権能の譲渡を意味する儀式(rite)の削除は、次のような疑念を増した。
「何故この御言葉を削除したのだろうか?確かに、ピオ十二世が定義したように、叙階授任者聖別の序唱を唱えながらの按手という本質的な儀式において、罪を赦す権能は授与されてはいる。しかしこの教皇は、叙階式に付加されていたこれらの儀式への変更など、決して要求しなかった。聖主のこの御言葉を削除したと言う事実だけで、第二バチカン公会議の教会(l’Eglise conciliare)を排斥するのに十分である。」
叙階式の儀式に含まれる本質的な意味は、付け加えられたものらによって(ex adjunctis)損なわれてはいないだろうか?ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議以前の司教用定式書を司祭叙階式には使用し続け、さらに、新しい叙階式により叙階され、その有効性が疑わしい或る司祭たちを、条件付で叙階することさえもした。
同様に、大司教は、神学生たちを聖職者に加える剃髪式や、四つの下級品級(守門、読師、払魔師、侍祭)と、副助祭 の品級を授与し続けた。これは、1972年8月15日にパウロ六世により廃止され、平信徒による「聖書朗読係」と「侍者」という二つの“奉仕職”によって取り替えられたにもかかわらずである。
大司教は、251年に教皇聖コルネリウスによって証言されているこれらの品級の持つ歴史の太古性に基づくと共に、「それを通して司祭志願者が、徐々に司祭職に向かって進んでいくところの、司祭職以外の諸品級、つまり下級品級と上級品級」の存在を、第23総会(規定<canon>2)において定義したトリエント公会議の権威に、自分の行動の基礎を置いた。彼は、この漸進的な司祭職への進行こそ、公会議後の陰気な平等主義により破壊された聖職位階制の生活と熱烈な典礼生活とを神学校に提供すると考えた。
大司教はさらに、堅振の秘蹟の有効性は、1971年8月15日発行の堅振の秘蹟の新しい“形相”によって冒されたと判断した。この新しい「形相」は東方教会の堅振(chrismation)の形式文から来ていた。とりわけ自国語への翻訳文においては、時折なされる全く空想に基づく翻訳など、堅振特有の性格をそれ程明確に表現していない。
1972年11月30日にパウロ六世が、カトリック教会の全歴史を通じて一致している聖伝に反して、唯一オリーヴ油だけをこの秘蹟の質料として使用することにもはや限定せず、全ての植物油の使用を質料として認可すると、(この秘蹟の有効性に対する)疑念はより深刻なものとなった。「信徒たちには、教会の秘蹟を有効に授かる権利があります。」と大司教は、1975年に、自分のことを、様々な司教区において、教区司教たちの許可なく堅振を授けたとか、条件付の堅振さえ授けたとか言って非難して来た枢機卿たちに対して述べた。
「私には賢明からくる(新しい堅振の秘蹟に対する)疑いがあるのです」と大司教は主張した。ところが、フランス人神学校時代からの親友で、トゥール大司教であるフェラン(Ferrand)大司教は、このようなことを容赦しなかった。「よくも私が授ける堅振の有効性に疑いを持つなどという事が出来ますね!」
こうして、この大司教はルフェーブル大司教との親交を絶ってしまった。
ルフェーブル大司教はこう言う。
「なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです 。」
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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1968年6月18日には既に、司祭叙階の儀式は、同じ毒が盛られていた。叙階の秘蹟の形相を明快にする、聖職授階候補者がカリスに触れる時に唱えられる祈りは、“犠牲を捧げ、ミサを執行するための権能”にもはや言及し表現していない。この祈りは、「聖なる民の供え物を、天主に捧げるために受け取りなさい」という命令と置き換えられてしまった。そうなると、叙階の秘蹟授与者である司教の意向は歪曲され得るのだ。さらに「聖霊を受けよ、あなたが赦す人には、その罪が赦されるように. . .」という聖主の御言葉を復唱しつつ、罪を赦す権能の譲渡を意味する儀式(rite)の削除は、次のような疑念を増した。
「何故この御言葉を削除したのだろうか?確かに、ピオ十二世が定義したように、叙階授任者聖別の序唱を唱えながらの按手という本質的な儀式において、罪を赦す権能は授与されてはいる。しかしこの教皇は、叙階式に付加されていたこれらの儀式への変更など、決して要求しなかった。聖主のこの御言葉を削除したと言う事実だけで、第二バチカン公会議の教会(l’Eglise conciliare)を排斥するのに十分である。」
叙階式の儀式に含まれる本質的な意味は、付け加えられたものらによって(ex adjunctis)損なわれてはいないだろうか?ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議以前の司教用定式書を司祭叙階式には使用し続け、さらに、新しい叙階式により叙階され、その有効性が疑わしい或る司祭たちを、条件付で叙階することさえもした。
同様に、大司教は、神学生たちを聖職者に加える剃髪式や、四つの下級品級(守門、読師、払魔師、侍祭)と、副助祭 の品級を授与し続けた。これは、1972年8月15日にパウロ六世により廃止され、平信徒による「聖書朗読係」と「侍者」という二つの“奉仕職”によって取り替えられたにもかかわらずである。
大司教は、251年に教皇聖コルネリウスによって証言されているこれらの品級の持つ歴史の太古性に基づくと共に、「それを通して司祭志願者が、徐々に司祭職に向かって進んでいくところの、司祭職以外の諸品級、つまり下級品級と上級品級」の存在を、第23総会(規定<canon>2)において定義したトリエント公会議の権威に、自分の行動の基礎を置いた。彼は、この漸進的な司祭職への進行こそ、公会議後の陰気な平等主義により破壊された聖職位階制の生活と熱烈な典礼生活とを神学校に提供すると考えた。
大司教はさらに、堅振の秘蹟の有効性は、1971年8月15日発行の堅振の秘蹟の新しい“形相”によって冒されたと判断した。この新しい「形相」は東方教会の堅振(chrismation)の形式文から来ていた。とりわけ自国語への翻訳文においては、時折なされる全く空想に基づく翻訳など、堅振特有の性格をそれ程明確に表現していない。
1972年11月30日にパウロ六世が、カトリック教会の全歴史を通じて一致している聖伝に反して、唯一オリーヴ油だけをこの秘蹟の質料として使用することにもはや限定せず、全ての植物油の使用を質料として認可すると、(この秘蹟の有効性に対する)疑念はより深刻なものとなった。「信徒たちには、教会の秘蹟を有効に授かる権利があります。」と大司教は、1975年に、自分のことを、様々な司教区において、教区司教たちの許可なく堅振を授けたとか、条件付の堅振さえ授けたとか言って非難して来た枢機卿たちに対して述べた。
「私には賢明からくる(新しい堅振の秘蹟に対する)疑いがあるのです」と大司教は主張した。ところが、フランス人神学校時代からの親友で、トゥール大司教であるフェラン(Ferrand)大司教は、このようなことを容赦しなかった。「よくも私が授ける堅振の有効性に疑いを持つなどという事が出来ますね!」
こうして、この大司教はルフェーブル大司教との親交を絶ってしまった。
ルフェーブル大司教はこう言う。
「なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです 。」
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