Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:世界中から1800万環のロザリオ集計中

2010年04月17日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 メンツィンゲンにある聖ピオ十世会の本部は、世界中からロザリオの十字軍の報告を受けました。2009年5月1日から2010年3月25日までのこのロザリオの十字軍は、ファチマのメッセージに従って、教皇様と全世界のカトリック司教たちによってロシアが聖母の汚れなき御心に奉献されることを天主に求める目的がありました。それによって聖母の汚れなき御心の凱旋を求めることです。

ロザリオの十字軍 既に1800万環のロザリオが集まっています


 今まだ、全ての報告が到着していないのですが、既に1800万環のロザリオが集まっています。

アメリカ管区  (5.351.500環)
アフリカ管区  (2.815.350環)
フランス管区  (2.766.709環)
アジア管区   (2.583.200環)
カナダ管区    (717.000環)
ドイツ管区    (680.000環)
南米管区     (576.740環)
スイス管区    (411.000環)
オーストラリア管区(402.000環)
メキシコ管区   (332.800環)
イタリア管区   (215.000環)
アイルランド管区 (136.190環)

 最終的に決定的な数が分かった後に、世界中で唱えられたこのロザリオは、フェレー司教様によって教皇様へと届けられる予定です。ロザリオの十字軍の軍人の方々は、心からの感謝をお受け取りください。

--------

Quels sont les résultats de la Croisade du Rosaire ?


La Maison générale de la Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X, à Menzingen, reçoit ces jours-ci, de tous les pays du monde, les résultats de la Croisade du Rosaire lancée par son Supérieur général, Mgr Bernard Fellay. Cette croisade s’étendait du 1er mai 2009 au 25 mars 2010, elle avait pour but de demander la consécration de la Russie au Cœur Immaculé de Marie par le Souverain Pontife et tous les évêques du monde catholique, conformément au message de Fatima où Notre Dame annonce elle-même le triomphe final de son Cœur Immaculé.

A ce jour nous ne disposons que d’un chiffre provisoire, tous les résultats n’ayant pas encore été recueillis. Mais DICI a la joie d’annoncer en exclusivité à ses lecteurs que les 12 millions de chapelets, qui devaient composer comme un couronne de 12 étoiles offerte à Marie Reine, sont largement dépassés, puisque plus de 18 millions de chapelets sont déjà enregistrés. Parmi les districts qui ont communiqué leurs résultats, on peut déjà noter la générosité des Etats-Unis (5.351.500), de l’Afrique (2.815.350), de la France (2.766.709) et de l’Asie (2.583.200) . Viennent ensuite le Canada (717.000), l’Allemagne (680.000), l’Amérique du Sud (576.740), la Suisse (411.000), l’Australie (402.000), le Mexique (332.800), l’Italie (215.000), l’Irlande (136.190)…

Une fois obtenu le chiffre définitif, cette couronne de chapelets récités dans le monde entier, pendant près d’un an, sera remise au Saint-Père par Mgr Fellay. Que tous les croisés du Rosaire soient vivement remerciés pour cette admirable ferveur mariale !

復活の徹夜祭の有名なエクスルテット(EXSULTET)の日本語訳を紹介します

2010年04月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 もう復活祭は過ぎてしましました。
 天主様のお計らいで、17年、毎年、復活の徹夜祭の有名なエクスルテット(EXSULTET)【別名「復活の賛歌」】を歌うことを許されています。実に、「それは、私の功徳によるのではないがこの私を聖職者の数の中にかたじけなくも入れ給うた方が」お計らいになって下さっていることで、天主様に心から感謝します。
 その内容は、とても美しく、すばらしく、歌いながら、感動して涙が自然とあふれ出るほどです。そこで、愛する兄弟姉妹の皆様にこの内容(私の作った日本語訳)をご紹介します。もとになるラテン語は、1962年版のローマ・ミサ典書です。

「従って、臨席のあなたたち、いとも愛する兄弟たちよ、
この聖なる光のいとも驚くべき輝きへと、全能の天主の憐れみを
私たちとともに、請い求めよ、と私はお願い申し上げる。」



天の天使たちの群れよ、すでに喜び踊らんことを、
天主の神秘らよ、喜び踊らんことを、かくも偉大な王の勝利のために救いのラッパを響かせんことを!

地も喜ばんことを、かくも大いなる閃光を放ち、
永遠の王の輝きに照らし出され、全地球は邪悪を失ったと感じるが良い。

かくも大いなる光の輝きに飾られた母なる教会も喜ばんことを、
諸民族の大きな声でこの部屋は喜ぶが良い。

従って、臨席のあなたたち、いとも愛する兄弟たちよ、
この聖なる光のいとも驚くべき輝きへと、全能の天主の憐れみを
私たちとともに、請い求めよ、と私はお願い申し上げる。

それは、私の功徳によるのではないがこの私を聖職者の数の中にかたじけなくも入れ給うた方が、御自分の光の輝きを注入し給い、
この蝋の賛美を満たすことを完成し給うためである。

V/ 主は、あなたたちと共に
R/ またあなたの霊と共に
V/ 心を上に挙げよ
R/ 我らは主へ挙げ奉る
V/ 我らは主なる我らの天主に感謝しよう
R/ それはふさわしく正しいことなり。

目に見えない聖父なる全能の天主とその御一人子私たちの主イエズス・キリストを心をこめて愛情を尽くして声の役務により賛美を響かせることは、実にふさわしく正しいことなり。

イエズス・キリストは、私たちのために永遠の聖父にアダムの罪の負債を支払い、いにしえの負債帳を尊き血潮で破り引きちぎった。

これこそ実にパスカの祭りである。この祭りにおいて本当のあの子羊はされ、その血によって信者たちの家の入り口は聖別される。

この夜こそ、御身が、エジプトから導き出された私たちの祖先であるイスラエルの子らが、紅海を乾いた足跡をのこして渡るようになし給うた夜である。

故に、この夜こそが、罪人たちの暗闇を光る雲の柱で輝かせて清めた夜である。

この夜こそが、今日、全世界で、この世の悪習と罪の邪悪とから区別されたキリストを信じる者たちを、聖徳と結びつけ、聖寵を再び与える夜である。

この夜こそが、死の鎖を打ち壊し、キリストが勝利者として地獄から上った夜である。

私たちが生まて来たことは、キリストによって贖われなかったなら、いかなる利益もなかった。

おお!御身の私たちに対する何と驚くべきかたじけなき優しさよ!
おお!評価しきれない愛徳の深さよ!御身が奴隷を買い戻すために、御身は御自分の子を渡し給うた!

おお!キリストの死によってそれが破壊されるために、確かに、アダムの罪は必要であった。
おお!かくも偉大でかのような贖い主をいただけるとは、何と幸せな罪であったか!
おお!じつに幸せな夜である、この夜だけがキリストが地獄からよみがえり給うたその時と時間を知ることが出来たのだから!

この夜こそ、聖書に記されている夜であり、「夜が真昼のように照らし出されるであろう、私の甘美さにおける私の照らし出しの夜」と。

故に、この夜の聖化は、極悪を逃げ去らせ、罪を浄め洗う、また失った者たちに無罪を返し、悲しむ者たちには喜びを戻す。
憎しみを追放し、心の一致をもたらし、おごり高ぶる者を低める。

故に、この夜の恩寵において、聖なる父よ、この荘厳な蝋の奉献において、蜜蜂の働きから役務者の手を通して、神聖にして犯すべからず教会が御身に捧げるこの夕の賛美のいけにえを受け入れ給え。

しかし、既に天主への誉れのために火が付けられたこの蝋の柱の予告を私たちは知っている。これは、部分には分けられるかもしれないが、光に変わった部分の損失はない。火は、母なる蜂がこの貴重な明かりの材料を運んだ融けた蝋によって養われる。

おお、実に幸せな夜よ、エジプト人たちから奪い取り、ヘブライ人たちを豊かにした夜!この夜において地上のものは天上のものに、人間的ものは天主的ものに結びつく!

従って、主よ、私たちは御身に祈る。御身の御名の名誉のために聖別されたこの蝋が、この夜の邪悪を破壊するために、壊されずに守られるように。そして甘美な香りを受け入れ給い、天上の光に混ざり合わされるように。明けの明星がその炎を見いだすように。私は言う、つまり、かの沈むことを知らない明けの明星、キリストのことである。地獄から再び戻ってきた、平和の内に人類を照らしだしたかのキリストである。

従って、主よ、私たちは御身に祈願する。私たち御身のしもべたちと全ての聖職者、いとも敬虔な民を、至福な私たちの教皇ベネディクトおよび私たちの司教 N. と一つに、平和な時が与えられて、この復活祭の喜びにおいて、御身が堅い守りにおいてかたじけなくも君臨し、統治し、保存し給わんことを。

さらに、私たちを権力をもって統治する人々をご覧になり、御身のえもいわれぬ優しさと憐れみとの賜で、彼らの考えを正義と平和へと導き給え。それは地上の業から天上の祖国へと御身の民と共に彼らが到達することが出来るためである。

御身と共に聖霊との一致において代々に至るまで生きかつしろしめし給う御身の御子、私たちの同じ主イエズス・キリストによりて、

R/ アメン


--------

PRAECONIUM PASCHALE


Exsúltet iam angélica turba cælórum: exsúltent divína mystéria: et pro tanti Regis victória tuba ínsonet salutáris.

Gáudeat et tellus, tantis irradiáta fulgóribus: et ætérni Regis splendóre illustráta, tótius orbis se séntiat amisísse calíginem.

Lætétur et mater Ecclésia, tanti lúminis adornáta fulgóribus: et magnis populórum vócibus hæc aula resúltet.

Quaprópter astántes vos, fratres caríssimi, ad tam miram huius sancti lúminis claritátem, una mecum, quæso, Dei omnipoténtis misericórdiam invocáte.
Ut, qui me non meis méritis intra Levitárum númerum dignátus est aggregáre, lúminis sui claritátem infúndens, cérei huius laudem implére perfíciat.

V/ Dóminus vobíscum.
R/ Et cum spíritu tuo.
V/ Sursum corda.
R/ Habémus ad Dóminum.
V/ Grátias agámus Dómino Deo nostro.
R/ Dignum et iustum est.

Vere dignum et iustum est, invisíbilem Deum Patrem omnipoténtem Filiúmque eius unigénitum, Dóminum nostrum Iesum Christum, toto cordis ac mentis afféctu et vocis ministério personáre.

Qui pro nobis ætérno Patri Adæ débitum solvit, et véteris piáculi cautiónem pio cruóre detérsit.

Hæc sunt enim festa paschália, in quibus verus ille Agnus occíditur, cuius sánguine postes fidélium consecrántur.

Hæc nox est, in qua primum patres nostros, fílios Israel edúctos de Ægypto, Mare Rubrum sicco vestígio transíre fecísti.

Hæc ígitur nox est, quæ peccatórum ténebras colúmnæ illuminatióne purgávit.

Hæc nox est, quæ hódie per univérsum mundum in Christo credéntes, a vítiis sæculi et calígine peccatórum segregátos, reddit grátiæ, sóciat sanctitáti.

Hæc nox est, in qua, destrúctis vínculis mortis, Christus ab ínferis victor ascéndit.

Nihil enim nobis nasci prófuit, nisi rédimi profuísset.
O mira circa nos tuæ pietátis dignátio!
O inæstimábilis diléctio caritátis: ut servum redímeres, Fílium tradidísti!
O certe necessárium Adæ peccátum, quod Christi morte delétum est!
O felix culpa, quæ talem ac tantum méruit habére Redemptórem!
O vere beáta nox, quæ sola méruit scire tempus et horam, in qua Christus ab ínferis resurréxit!

Hæc nox est, de qua scriptum est: Et nox sicut dies illuminábitur: et nox illuminátio mea in delíciis meis.

Huius ígitur sanctificátio noctis fugat scélera, culpas lavat: et reddit innocéntiam lapsis et mæstis lætítiam. Fugat ódia, concórdiam parat et curvat impéria.

In huius ígitur noctis grátia, súscipe, sancte Pater, laudis huius sacrifícium vespertínum, quod tibi in hac cérei oblatióne solémni, per ministrórum manus de opéribus apum, sacrosáncta reddit Ecclésia. Sed iam colúmnæ huius præcónia nóvimus, quam in honórem Dei rútilans ignis accéndit.

Qui, lícet sit divísus in partes, mutuáti tamen lúminis detrimenta non novit. Alitur enim liquántibus ceris, quas in substántiam pretiósæ huius lámpadis apis mater edúxit.

O vere beáta nox, quae exspoliavit Aegyptios, ditavit Hebraeos! Nox, in qua terrénis cæléstia, humánis divína iungúntur!

Orámus ergo te, Dómine, ut céreus iste in honórem tui nóminis consecrátus, ad noctis huius calíginem destruéndam, indefíciens persevéret. Et in odórem suavitátis accéptus, supérnis lumináribus misceátur. Flammas eius lúcifer matutínus invéniat. Ille, inquam, Lúcifer, qui nescit occásum. Ille, qui regréssus ab ínferis, humáno géneri serénus illúxit

Precamur ergo te, Domine: ut nos famulos tuos, omnemque clerum, et devotissimum populum: una cum beatissimo Papa nostro Benedicto et Antistite nostro N. quiete temporum concessa, in his paschalibus gaudiis, assidua protectione regere, gubernare, et conservare digneris.

Respice etiam ad eos, qui nos in potestate regunt, et, ineffabili pietatis et misericordiae tuae munere, dirige cogitationes eorum ad iustitiam et pacem, ut de terrena operositate ad caelestem patriam perveniant cum omni populo tuo.

Per eumdem Dominum nostrum Jesum Christum Fílium tuum : qui tecum vivit et regnat in unitate Spiritus Sancti Deus :

Per omnia sæcula sæculórum.

R/ Amen.


聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.4.1.カトリック教会の自己破壊に参与せず

2010年04月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ.エコンは存続する


カトリック教会の自己破壊に参与せず

 ジャン・マディラン(Jean Madiran)氏は、第二バチカン公会議に、ニケア公会議以上の権威を付与する途方もないこの主張に突っ込みを入れた。彼らは、この公会議は司牧的公会議であって教義的なものではないと言ってはそれを繰り返したが、今ではそれを教義に変更することさえ望むようになったのだ!

 エコンでは、生き残りの問題に対処しなければならなかった。(その後二度と授業を教えに来ることのない2人の高名なドミニコ会士たちは別にして)4人の教授が神学校を去ることになり、彼らの中には最後に行った授業中に自分たちが出て行く理由を神学生たちに説明する者までいた。残った教授たちは、神学校を小さなグループに分けて、秘密裏に継続したらどうかと提案した。ベルト参事会員は反発して
「大司教様、そうなったら神学校は死に絶えてしまいます。ここは私たちが神学校を存続させるか、しないかのどちらかです!もし私たちが分散すればこの存続はあり得ません。神学生たちの勉強や、司祭になるまで持ち堪える事、そして神学生の募集は不可能になってしまいます。エコンは存続しなければなりません。エコンはエコンです!」 と言った。

 他方で、神学生たちの方は完全な平和の内に過ごしていた。大司教は引き続き彼らに事の進展を知らせることを怠らなかった。状況を見抜く彼の目は賞賛に値するものであり、個人攻撃、とりわけ教皇に対する批判などは決してしなかった。神学生たちは、「皆さんを決して見捨てません!」と約束した大司教に対して完全な信頼を寄せていた。

 そこで大司教は非常に淡々と決断した:「新学年度は9月14日から始まります。神学校存続。私たちはこれまでカトリック教会が行って来た事をしたいと思います。ですから、アッペンツェル(Appenzell)近くのヴァイスバット(Weissbad)で、私たちはドイツ語圏の司祭志願者向けに神学校計画を進め、それを開校するつもりです。」

 聖ピオ十世会廃止に対する大司教の答えは前進することであった。1975年11月21日、大司教が行った“宣言”の記念日であると共に、エコン、アルマダ、そしてヴァイスバットなどの神学校に127人という神学生たちを目にする学年度が始まって二ヶ月目にあたる日に、ルフェーブル大司教は、“例の3枢機卿たち”の命令(大司教は依然としてパウロ六世に疑問を投げかけることを避けていた)への拒絶に含まれる根底原理を明らかにした。

「聖ピオ十世会は依然として存在しています。聖ピオ十世会の廃止は違法であり、どんな事情があるにせよ不正です。何時の日か、御摂理は聖ピオ十世会に公式な名誉回復を行われるでしょう。しかし、聖ピオ十世会は既に天主とカトリック教会の御前に存在しているのです. . . . 法律とは生命に仕える為の手段です。しかし現時点において、法律は死に仕える手段として利用されています。人間の権威は、生命の創り主である天主の権威への参与です。ですが、この公会議以後、カトリック教会法は死と霊的堕胎をもたらす法律となっている以上、このような法律は無効です。」

 10月27日、ヴィヨ枢機卿は全世界の司教評議会に書簡を書き送り、聖ピオ十世会会員たちの司教区への入籍を拒否するように“厳格に”招いた。しかしルフェーブル大司教は、この決定的な死をもたらす政策によって妨げられる事はなかった。

「もし司教区への入籍が難しいのなら、私は皆さんの聖ピオ十世会への入籍を考える事も躊躇しません 。」

 この見解の根拠は、ライト枢機卿によって書かれたあの“賞賛宣言”の意味を持つ、褒め言葉で織り成された手紙にあった。さらに彼は、もともとの修道会から聖ピオ十世会へ、司教区入籍の申請なく直接に聖ピオ十世会に入籍するため、3人の(他修道会所属の)修道士たちに対して修道会聖省が与えた認可 を基にこの見解に到った。最後のものとして、彼はアダム司教の見解を用いたのだ。

 アダム司教は彼にこう言っていたからである。
「あなたの会はすでに多くの司教区に拡散していますね、ですから確かに聖ピオ十世会は、自会内に(司祭を)入籍させる権威をお持ちですよ。」

 これらの論証のどれも、教会法の専門用語を使用すれば「潤色されて」おり、入籍させることが出来ることはまず確実であった。


 8月の終わりに、大司教はシオンの司教と(司教館ではない場所で)二回、面会した。アダム司教はヴィヨ枢機卿が個人的に訪問して来た事を彼に伝えた。これにより大司教は、ジャン・ヴィヨの狙いが、フランスの司教らの要求を満足させる事であり、終始聖ピオ十世会に対する反対運動を煽った人物である事を確信したのだった。しかし、ネストール・アダムは彼に忠告した。

「エコンは存続しなければなりません!その為にも、“パウロ六世”のミサを少し“聖ピオ五世”のミサに付け加えて続けて下さい。」

 大司教は司教の言葉に含まれた欺瞞は取り上げず、ただこの「続けて下さい」に見られる激励を受け入れた。パウロ六世は、9月8日付けでルフェーブル大司教に手紙を書き送り、従順を拒絶した事に対する制裁を加えると脅しをかけて来た。9月24日、ルフェーブル大司教は回答し、“全カトリック教会にとっての‘真理の教師’なるペトロの後継者への忠誠”を表明した。しかし彼は応じなかった。何故なら、そこには新しく生まれた一団体や神学校の廃止よりもはるかに勝って危険に晒されている何かが存在したからである。彼は自分の考えを神学生たちに説明した。

「私たちに対するエコンの神学校閉鎖要求は、カトリック教会崩壊への参与を要求するに等しいことです。天主様が何時か私をお呼びになる時、私は自分の良心の中で、『そうです、私は天主様が御摂理を通して私に成し遂げるのをお許しになったもの、教会法による認可のあり、さらにローマから来た視察訪問者たちによって実質的に教会法認可を頂いたものを破壊致しました。』などと言いたくはありません。私はこれ全てを破壊するように頼まれています。何故ならカトリック教会を破壊している公会議後の方針に神学校が従わないからという理由で破壊せよと頼まれました。いえ、できません!」


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
========================

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します!
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】