Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

■ 聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれるローマ典礼様式のミサ)にようこそ!

2010年04月14日 | 聖伝のミサの予定
「もうこんなミサは嫌だ!もっとカトリックらしいミサに与りたい!」
と願うあなたを、聖伝のミサにご招待いたします

アヴェ・マリア!

「主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭に与るべし」とは、カトリック教会の六つのおきての一つです。カトリック信徒はミサに与る義務があります。ところが、その与るべきミサについて、あなたは悩んでいるのではないでしょうか。

あなたは、ミサに与るたびにこのような思いをしてはいませんか?

口語の祈りはどこか味気なく、典礼聖歌はカトリックらしさが感じられません。跪き台はなく、聖変化のときも立ったままです。まして跪いて御聖体拝領などできる雰囲気ではありません。ラテン語ミサに興味を示そうものなら、「古い」「時代に合わない」と言われて、寂しい思いをさせられます。

そこで、私は司祭として、そのような境遇にいるあなたに手をさしのべたいと思っています。あなたをカトリック伝統のラテン語ミサにご招待いたします。

今のカトリック教会から失われたものが、此処にはあります


正直なところ、日本の聖ピオ十世会には常設の聖堂がありません。ステンドグラスもありませんし、パイプオルガンも持っていません。大きな部屋をその都度お借りして使っています。

しかし、ひとたび祭壇を準備し、信徒が集まり、ミサ聖祭が始まると、どこよりもカトリックらしさに満ちた空間となります。東面式の祭壇、司祭の祭服、侍者のスータン、女性のベール、ラテン語の祈り、グレゴリオ聖歌・・・。目に見え、耳に聞こえるもの全てが、あなたを魅了するはずです。侍者の数が揃えば香を焚くこともあります。

「もうノヴスオルド・ミサには戻れない」という信徒もいます


深い沈黙も聖伝のミサならではです。司祭は囁くような声で祈りを唱え、神秘を保ちます。特にサンクトゥスの後、会衆は一斉に跪き、静寂と緊張のうちに聖変化の瞬間を待ちます。奉挙された御聖体を仰ぎ見るとき、あなたはこれまでにないほど敬虔な気持ちになれることでしょう。

いよいよ御聖体拝領のときは、安心して跪いて下さい。誰かに何かを言われたり、一人目立ったりすることは一切ありません。聖なるホスチアは、司祭自らの手で、一人一人の舌の上にラテン語の祈りとともに授けられます。

これこそ、あなたが求めているミサなのではないでしょうか。実際に、聖伝のミサに与った信徒からは、「もうノヴスオルド・ミサには戻れない」という声も聞いています。

聖伝のミサに来たら、もうあなたは一人ではありません


私たちの共同体は、あなたと同じように、ロザリオを文語で唱えたり、ラテン語の聖歌を愛する信徒ばかりです。トリエント・ミサのために遠くから駆けつけてくる熱心な人もいます。本当にカトリックの兄弟姉妹たちです。

ミサの後、お時間がありましたら、私たちと一緒にお食事やお話をしましょう。可能ならば勉強会や晩課にも参加してみて下さい。きっと充実したひとときを過ごすことができます。それはまた、本当の意味で主日を聖とすることでもあります。

それでは、今度の聖伝のミサに与れるよう、今から予定を立てておきましょう


聖伝のミサに与るために、今から何か一つの準備をして下さい。例えば、カレンダーに印をつける、巡回聖堂までの交通費を調べる、地図をプリントアウトする、シャツにアイロンをかける、スカートの試着をしておく、などのことができるでしょう。

ヨハネ・ヴィアンネ、ドン・ボスコ、マキシミリアノ・コルベ、パドレ・ピオなどなど、多くの聖人司祭たちがこよなく愛し、生涯捧げたカトリック伝統のミサに与れる日を、楽しみにしていて下さい。心よりお待ちしております。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


追伸: 聖伝のミサに初めて与るのは不安かも知れません。それでも、本物のカトリックのミサに与っているという安心感をお約束いたしますので、ぜひ勇気を出して下さい。

追伸2: ロザリオなど、何か祝別してほしいものがありましたら、初めてだからといって遠慮しないで持ってきて下さい。ラテン語の祈りと聖水とで祝別いたします。

2010年4月の聖伝のミサの予定

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

   4月23日 金 17:30 平日(4級)白 殉教者聖ジョルジオの記念 小斎
   4月24日 土 11:00 殉教者シグマリンゲンの聖フィデリス(3級祝日)赤

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

   4月24日(土)午後6時30分 グレゴリオ聖歌に親しむ会
   4月25日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
         午前10時半    聖伝のミサ
         午後2時半ごろ  公教要理の勉強
         午後3時半ごろ  休憩
         午後4時    グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
   4月26日 月 7:00 殉教者教皇クレトとマルチェリノ(3級祝日)赤
   4月27日 火 7:00 証聖者聖ペトロ・カニジオ(3級祝日)白

ウィリアムソン司教様のためのお祈りのお願い

2010年04月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
ウィリアムソン司教様のためのお祈りを心から愛する兄弟姉妹の皆様にお願い申し上げます。


アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様への祈りのお願い


 4月16日、ドイツにてウィリアムソン司教様の裁判が行われると、ウィリアムソン司教様からのメールのディアノスコプスにありました。
 この16日の裁判がウィリアムソン司教様にとって有利に終わるよう愛する兄弟姉妹の皆様の多くの祈りをお願いいたします。
 裁判まであと数日と迫りました。ウィリアムソン司教様のためのお祈りを心から愛する兄弟姉妹の皆様にお願い申し上げます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.3.1.ローマの秘密会合と視察訪問

2010年04月14日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ш. 聖ピオ十世会廃止


ローマの秘密会合と教会法による視察訪問(Canonical Visit)

 一年が経った。神学生の数が95名となった事は、“複数の司教団を警報発動状態”に到らせていた。それは1974年3月9日にガロンヌ枢機卿がアダム司教に書いた手紙に現れている。6人か7人に1人という割合で、フランス人神学生たちがエコンを目指したのだから無理は無い!

 ガロンヌは、この問題解決をフランス司教団に約束した国務聖省長官ジャン・ヴィヨ枢機卿によって行動に打って出るよう動かされていた。常設秘書であるエッチェガライ(Etchegaray)大司教は、“6ヶ月もすれば、エコンは終わる”と保障した。神学校と、聖職者、そして修道会のそれぞれを管轄する三つのローマ聖省の長官たちは会合し決議をまとめた、“教皇聖下による認可”を受けた。続いて3月5日に、(おそらくはヴィヨから?) “与えられた命令への従順として”、例の三つの聖省はこの問題に関わる二名の司教(マミとアダム)を交えた会議を企画した。4月26日、神学校(及び大学)聖省本部にてこの会議は開催された。出席者らは、前述の「決議」を先ず検討し、ルフェーブル大司教には、彼が“どのようにして公会議の教令に従っているのかについての明確かつはっきりとした説明”と、“他司教区における修道院の開設”を統制する諸規範の受諾を要求することに決定した。

 フリブールに戻ったマミ司教は、1974年4月30日に大司教を呼び出した:「次は何処へ新たな修道院を創設するのですか?」

 「ちょうど私はローマに行って修道会聖省の秘書と会う事になっているので、その件に関しては彼に伝えます。」と大司教は答えた。5月4日、アルバノでの(修道院)創設について策略を企てたオギュスタン・マイヤー(Augustin Mayer;修道会聖省秘書)枢機卿はルフェーブル大司教と会談を行った。さらに(パリの)シュレン(Suresnes)とアルマダ(Armada)についてが話題に上った。

 秘書は言った:「それは良かった。ですが、御会が使用される典礼については?」

 ルフェーブル大司教は説明を試みた:「カトリック教会の利益になると言うこと以外に、私には他に選択の余地がありません。これは神学的問題でありまして、閣下もお分かりの様に、深刻な状況が存在しております。当然そこには原因も解決策も揃っています。ですから、この改革全体を受諾する事を避けながら、その一部分だけの受諾をする事など出来ません。そんなことをすれば、あの神学校は3週間で閉校です!」

 「それは非常に深刻ですね。」と、驚きと不安によりオギュスタン・マイヤー枢機卿は答えた。

 しかし「非常に深刻」なのはエコンではなくフランスである。フランスの神学校では、典礼の改革と、これに合致した司祭職の概念が強要され、新たに入学して来る学生の数は非常に少なかった。1973年の10月の時点で、フランスの神学校への新入生の数は、僅か131名だった!

 1974年夏、ある休暇中の訪問客がエコンに立ち寄り、ルフェーブル大司教への面会を要求したが、大司教は、黒の背広の司祭服に身を包みローマン・カラーを付けたこの男が誰であるか分からなかった。

 「何だね!」と叫んだ人は、ストラスブールの司教(1967年か1984年までの在位)だった。「君は(Ya)、このアルチュールがわからないのかね?」

 「おお、エルチンガー司教様じゃないですか」やっとのことで、大司教はそれが神学校時代の同僚であるレオン・アルチュール・エルチンガー(Léon Arthur Elchinger)だと気付いた。

 しかし「アルチュール」が尋ねる。「聞いたところによると、たくさん神学生がいるそうじゃないか?ストラスブールじゃ、あまり事が上手く行っていないよ。一体どのようにしているのかい?」

 ルフェーブル大司教がどのようにしているのか?いや、もっと適切な言い方をするなら、どのようにして病めさせるのか?これこそが、フランス、フリブール、シオン、そしてローマを悩ませる問題だった。

 1974年11月11日、突然「雷」が鳴り響いた。朝食後、大司教はエコンの共同体を呼び集め、正にその日、パウロ六世教皇聖下ご自身の命を受けた例のローマ三つの聖省の意向により調査にやって来る、二名の使徒訪問者を迎えると告げた。
 その訪問者を待つ間、神学校の廊下にいたルフェーブル大司教はオラニエ神父に打ち明けた。

「私たちが新しいミサを拒絶している事は、遅かれ早かれ躓きの石になるのは十分に読んでいますが、ローマや教皇聖下と対決しなければならなくなるなら死んだ方がましです!」

 (教皇庁)聖書委員会秘書モンシニョール・アルベール・デカン(Msgr. Albert Descamps)と、教会法典改正委員会の準秘書のモンシニョール・ギョーム・オンクラン(Msgr. Guillaume Onclin)は午前9時に到着した。3日かけて、この2名のべルギー人は、司祭や神学生たちに質問し、さらに神学的に逸脱ている発言をした。何と彼らは、既婚者の司祭叙階は正常かつ避けられない事だと考えており、真理が不変である事を認めず、さらには、キリストの御復活の物理的、現実性に疑念を表明した。彼らは一度も聖堂には行くこともなく、出発時には、プロトコールに反して、ルフェーブル大司教に対し視察報告書への署名さえ申し出なかった。

 ところが、彼らはゴットリープ神父にこう言ったのだ:「この神学校は99%問題ありませんね。」すると当の神父は自問した:「99%だって?減点された1%はミサだな、1%などとは極めて少ない!」

 11月11日、シオン司教区の婦人がアダム司教に面会に来て、彼に伝えた:「これからは、聖ピオ五世の御ミサだけを望みます。ですから私はエコンに行くつもりです。」

 司教は冷たく答えた:「心配しなくていいですよ。何れにせよ、カトリック教会の一致は直ぐになされるでしょうから。」

 ルフェーブル大司教は11月16日、ローマに出発した。11月22日、例の三つの聖省の一つを訪問中に、その瞬間まで彫像のように身動き一つしなかった一人のスイス人教皇護衛隊員(Swiss guard)が突然彼に話しかけた。

「大司教閣下、閣下はまだここにいる人々から何かを期待しておられるのですか?」

 驚きの余り、大司教は何も言わなかったが、あの11月11日に起きた教会法による視察訪問のことを思い出し、自分は聖省からは何一つ期待し得ないのだと悟った。アルバノへ帰ったルフェーブル大司教は、後に言うように、“義憤に駆られて”一気に、訂正する事もなく、自分の根本的立場を記したすばらしい声明書を書き上げた。彼は、この文書を12月2日にエコンの共同体に対して紹介した。
「これは、この神学校と聖ピオ十世会が、その創立以来持ち続けて来た立場ですが、(カトリック教会の)危機がより深刻化したためにこの宣言文では、より明確かつ限定的な言葉を使って表現しました。」


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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