公会議を告発する?
1975年までは、ルフェーブル大司教は第二バチカン公会議と教皇に対する非難を差し控えた。1971年5月30日の神学生たちにした講話の中で、彼は言明した。
「何よりもまず、‘大司教は教皇と公会議に反対している’などと絶対に言わないで下さい。事実はそうではないからです!」
しばしば彼は自分が“これらの指令が本当に教皇から来ているのかどうか知らなかったし、知りたくもなかった”と言っていた。長い間、彼はパウロ六世に疑心を挟むのを避けて通りたかった。
一方で彼は、「パウロ六世は良い人であるが、その側近によって幽閉されている」という趣旨の、いわゆる聖母からのと言う疑わしいメッセージを通して影響を受けているカトリック信徒たちがするような、問題の単純化に頼る事もなかった。
しかし、1975年にパウロ六世が“教皇自身を縛っている第二バチカン公会議と、公会議後の改革とその方針への服従のの公の行為を”ルフェーブル大司教に対して要求して来た時、大司教は宣言した。
「今より、私は第二バチカン公会議とそれがもたらす様々な結果に関する私の見解を明確にする事を余儀なくされるでしょう。その結果として、私は必然的に教皇の問題に触れなければならないでしょう。私にはそれを避けて通る事はもう出来ません。それを慎重に、しかしまた出来るだけ客観的に行なうよう試みます。」
大司教は、1975年9月3日の「友人と恩人の皆様への手紙 第9号」をはじめ、1976年9月発行の『私は公会議を告発する』や、1974年に自由主義に関する講話の編集物、更に1987年には『彼らは彼(キリスト)から王冠を剥奪した-自由主義から棄教へ、公会議後の惨劇』 と言うタイトルの下で行われたあり、1987年には同タイトルで編纂された書籍などの発行をもって、文字通りにこの計画を遂行した。
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