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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.4.公会議の“三部作”

2010年04月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
公会議の“三部作”

「第二バチカン公会議それ自体が、これら近代世界の思想である「自由、平等、兄弟愛」を、信教の自由、(司教)団体主義、及びエキュメニズム(宗教一致主義)などという、この公会議の教義に変質させたのです。」 、「さらにこれら上述の教義は、十八世紀の哲学者たちによって作り出され、フランス革命に導いた自由主義の三原理なのです。」

 自由主義者らはこのように疑問を投げかける。「人間には、人間本性を理由として、社会秩序におけるいかなる“拘束からの免除”があり、さらにこの免除は権利として定義され得るか?」と。

 それに対して、ルフェーブル大司教は答えて、人を惑わすこの問いを拒絶して次のように答える。つまり拘束の免除をもって自由を定義するのは間違っている、と。地獄の脅迫以上に恐ろしい拘束が一体どこにあるのか?ところでこの脅迫を振りかざしているのは天主である!過失や罪があるために、真の自由には有益な拘束がなくてはならない 。」

 “公共の秩序を混乱させない限り個人拘束を課してはならない”と言われている。一方で人々はカトリック的礼拝や道徳から公然と離れているが、「この発言は、宗教と道徳上の方針を提供する能力、又は、個人を多少なりとも束縛する能力を持っている市民社会の全ての立場を潰してしまうだけ」だ。「彼ら(自由主義者たち)は、国家には宗教的な事項に関して無能であり、どれが本当の宗教なのかを決定することも出来ないとさえ言うほどである。」

 コロンボ枢機卿はこう言明した。「国家は非宗教的でしかあり得ない」(Lo stato non puo essere che laico.)」と。この見解から出発して、カトリック教会は非宗教国家並びに市民社会の世俗化に祝福を与えるに至った。
 大司教は言う。「これぞ、フリー・メーソンと、さらには自由主義者たちが常に願っていた事です。」
「おそらく、彼らは、カトリックが過半数を占める社会では、カトリックの教義を優遇する社会という思想を拒絶はしないでしょう。しかし、同じ事が、イスラム教徒によって過半数が占められている所でも発生するのです。ところが、唯一真の宗教だからと言う理由でカトリック宗教を優遇する事となると、それは彼らの望むところではありません!」

 国家世俗化の目的とは、
「フリー・メーソンの背後にいる悪魔の目的でもあるカトリック教会の破壊である。[その目的とは]全ての偽りの宗教に表現の自由を認めると共に、私たちの聖主イエズス・キリストの社会的君臨の為に機能するのを国家に禁じる事による教会の破壊である。」
「一体どれだけのカトリックが、聖主による贖罪の業は、市民社会という道具を通しても実現されるという事を依然として承認することが出来るだろうか?」しかし、彼らが承認しなくともこれが真実である。何故なら、「全ては聖主イエズス・キリストの為に創られた(1977年9月23日、エコンにおける霊的講話)」からである。


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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