ネストール・アダム
ネストール・アダムとしてはエコンがやっかいで、関係を断ち切りたかった。ガロンヌ枢機卿との会談の中で、自分は、エコンの神学校ではなく霊性学向けの一年度の設置だけを認可しただけだと主張した:「あの小神学校は、私の許可なく神学校になってしまったのです。私は既成事実として受け入れなければなりませんでした。」
彼はこう言いながらも、実は言葉をもてあそんでいたのだ。狐のように抜け目無く、自分は書面による許可などしなかった、何故なら自分の与えた許可は口頭のみで書面においてではなかった、と彼は言い張る事が出来た。
彼は念を押して、エコンでは“聖ピオ五世のミサ典書に固守し、教皇聖下はそれを廃止する事をお望みにならなかったと主張している”と伝えた。それ故、アダム司教は聖座からの確認を望んだ。
1973年3月17日(例の確認を受けた、とどう見ても考えられる)、アダム司教はルフェーブル大司教に手紙を書いた。
「パウロ六世のミサには執行義務が伴います。私は司教区におけるセクトの形成を放置出来ません。カトリック教会の全歴史は、真の改革者たちは従順を免除された人々ではないと教えています。」
そうではない、大司教は応じた。エコンは“反逆の中心地”などではなく、もし自分たちが古い典礼様式を固守しているとしたら、それは“反逆でもなければは不従順の精神によるのでもなく、信仰を守る精神に基づいてのこと”なのだ、と。
ここまで演じられている劇的な事件はシオンが舞台であり、エコンではない。マルセル・ルフェーブルは、信仰を守る戦いは「誤って解釈された従順」以上に重要である事を言明した。ネストール・アダムはこの信仰を守る戦いに絶望してしまった。彼は、第二バチカン公会議を盲目的に信じる事を選択し、それが自分の司教区に及ぼす損害が何であろうと、従う決意をしていた。信徒と司祭からなる評議会の進歩主義的要素が彼を麻痺させた。アダム司教は、リッドの小教区主任司祭を“聖ピオ五世派”という理由で追放したが、この勇敢な司祭は村から出ることなく、聖堂に転用された製材所に留まった。ある日、彼の所にやって来たアダム司教は、明快かつ酷い言葉を口にした。
「雪崩が来るぞ、そうだ、来てしまえ!どうして何時も邪魔をするんだ君は?」
ルフェーブル大司教を中心に集まったのは、様々な原理のために、真理のために、さらに聖なるミサに対する愛を彼がその中に鼓舞した多くの若者たちだった。彼は、人間的には予想し得なかったこの(聖伝による信仰死守の)活動の発展の中に、“天主はカトリック教会の善の為にこの仕事を必要とされている”という摂理的確証を悟った。“カトリック教会に本物かつ聖なる司祭たちを提供する”為に、彼は自分の道をまっすぐに進んだ。たとえそれが、“第二バチカン公会議の改革主義的教会破壊の風潮”と対決するという危険を冒す事は十分知りつつも。
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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彼はこう言いながらも、実は言葉をもてあそんでいたのだ。狐のように抜け目無く、自分は書面による許可などしなかった、何故なら自分の与えた許可は口頭のみで書面においてではなかった、と彼は言い張る事が出来た。
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1973年3月17日(例の確認を受けた、とどう見ても考えられる)、アダム司教はルフェーブル大司教に手紙を書いた。
「パウロ六世のミサには執行義務が伴います。私は司教区におけるセクトの形成を放置出来ません。カトリック教会の全歴史は、真の改革者たちは従順を免除された人々ではないと教えています。」
そうではない、大司教は応じた。エコンは“反逆の中心地”などではなく、もし自分たちが古い典礼様式を固守しているとしたら、それは“反逆でもなければは不従順の精神によるのでもなく、信仰を守る精神に基づいてのこと”なのだ、と。
ここまで演じられている劇的な事件はシオンが舞台であり、エコンではない。マルセル・ルフェーブルは、信仰を守る戦いは「誤って解釈された従順」以上に重要である事を言明した。ネストール・アダムはこの信仰を守る戦いに絶望してしまった。彼は、第二バチカン公会議を盲目的に信じる事を選択し、それが自分の司教区に及ぼす損害が何であろうと、従う決意をしていた。信徒と司祭からなる評議会の進歩主義的要素が彼を麻痺させた。アダム司教は、リッドの小教区主任司祭を“聖ピオ五世派”という理由で追放したが、この勇敢な司祭は村から出ることなく、聖堂に転用された製材所に留まった。ある日、彼の所にやって来たアダム司教は、明快かつ酷い言葉を口にした。
「雪崩が来るぞ、そうだ、来てしまえ!どうして何時も邪魔をするんだ君は?」
ルフェーブル大司教を中心に集まったのは、様々な原理のために、真理のために、さらに聖なるミサに対する愛を彼がその中に鼓舞した多くの若者たちだった。彼は、人間的には予想し得なかったこの(聖伝による信仰死守の)活動の発展の中に、“天主はカトリック教会の善の為にこの仕事を必要とされている”という摂理的確証を悟った。“カトリック教会に本物かつ聖なる司祭たちを提供する”為に、彼は自分の道をまっすぐに進んだ。たとえそれが、“第二バチカン公会議の改革主義的教会破壊の風潮”と対決するという危険を冒す事は十分知りつつも。
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