過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

キュキュットお助け!注目の新・食器用洗剤は、浴室でも(笑)

2017-09-22 23:54:00 | お試し報告


■花王キュキュット CLEAR泡スプレーと、カットの入ったシャンパン・グラス

モニター・テーマは「はじめての方もリピートの方も’キュキュットこんな風に使ってみましたレポート’」。これなら、任せて(笑)。

我が家は、初めてじゃありません!
レシピブログさんの前回のモニター報告記事を見て、自分で購入して試してから、やみつき!(笑)
リピートしてます。

夜討ち朝駆けに、出張旅がブラスされる我が家(笑)。自分と違う洗い方で片付いているグラスや食器は、ありがたいけど、時に、秘かにイラッ…とすることも(苦笑)。
グラスの水垢や、洗い残しって、ゆとりのある時には、私も気づくもの。ですが、指摘して、気持ちを削ぐのも、したくないこと……。



食後すぐに、さっと水洗いして、液体を流してから、キュキュットをグラスの外にも中にも、しゅわしゅわ。
油料理の時は、口もととステムを、スポンジで撫で洗いしてから、しゅわしゅわ。
その後、流水洗いして、終了。

この遣り方を取り入れて、新しい習慣化してから、密かなイラッ(笑)は、だいぶ、減りました。
あっ、グラスが割れていることも!(笑) それ故のリピートです。


さて、キュキュットは食器用洗剤ですが、この優れもの、我が家では、特別な働き場所があります。
出張続きで、きになる水垢が線上に残っている、浴室の水回りの限られた場所に、しゅわしゅわ。
しゅわしゅわ後で、捨てる歯ブラシで軽く、こすります。後はシャワーで流すだけ。



始まりの線。



しゅしゅっ!



きれいに落ちました。
広範囲でなく、気づいた場所だけ。ピンポイントなら、換気を気にせず使える洗剤が、便利です(ニッコリ)。

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材料三つでお弁当に緑を:ピーマンのレモン醤油照り…レシピブログアワード

2017-09-21 23:10:00 | 美味しい食


○玄米ご飯
○塩鮭のっけ、昆布出汁で茹でほぐし
○チーズはんぺんのフライ
○ピーマンのレモン醤油照り →作る★
○人参グラッセ、あたり胡麻まぶし
○味噌汁 (長葱、結び昆布、薩摩揚げ)

「話題のスパイスでおいしいおうちごはん」の一品を、ピーマンで作りました。
冷めて美味しい、緑のちびおかず、です。お弁当の彩りは、食欲増進薬ですね(笑)。

■材料三つでお弁当に緑を:ピーマンのレモン醤油照り

[材料]お弁当の副菜として二人分
ピーマン 中大サイズで2個
ハウス、香りソルト〈レモンペパーミックス〉2~3振り
生醤油 小さじ1

[作る]
1)ピーマンを半割りして、繊維を断つ向きに、長さを揃えて、5mm幅に刻む。
2)耐熱容器にピーマンを入れ、香りソルト〈レモンペパーミックス〉を混ぜながら振り入れる。蓋をして、レンジ加熱(600W、2分)。
3)すぐに蓋をとり、熱々で、生醤油をふり、手早く混ぜてから、卓上扇風機で一気にさます。表面が照りっとしたら、出来上り。




ハウス香りソルト〈レモンペパーミックス〉を活かして、冷めて美味しいおかずを仕上げました。
パセリ、ガーリック、カルダモンの風味、レモンの爽やかな香り…スパイス・ソルトを活かせば、濃い味にする必要がありません。
ご飯に合わせて、まとめるは、わずかの生醤油。手早く冷まして、照りっとさせて。緑色を活かす、お弁当のおかずです。

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煮魚のある夜にひと息。

2017-09-20 22:22:00 | 美味しい食
おはようございます。ご無沙汰していました。
朝晩 14度台の欧州から、残暑ばっちりの日本に戻ってきています。戻ってきて、ぎうぎう(笑)の仕事に走っています。

本来なら、イギリス、フランスと食記事を続けるところなのですが、まとまった時間がとれないので、一度、毎日ごはんに戻します。バックで記事を書いて、まとめて、アップロードの、二本建てスタイルをとりたいと、思っています(ニッコリ)。
気長に待っていてくださいね。




○鰯の浅炊き、生姜、隠元
○紅生姜天
○玉こんにゃくの昔煮(山茸)
○しらすやっこ
○私は焙じ茶、Bは選択制(笑)

ぎうぎうの中、頭が煮詰まったようになり、発作的に魚屋に飛び込みました(笑)。
鰹節をかいて、生姜を刻んで、煮炊したもの。醤油と味醂と日本酒が、ほんのり焦げて、旨味をなしたもの。
日本に生まれて、育った自分を養ってきた味は、元気回復薬だと、気づく夜でした。(ニッコリ)


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祈りの次の食:ダッハウにて

2017-09-18 01:27:00 | 旅日記
傘が役立たないような、冷たい雨にうたれ、沢山の物言わね魂が豊かに生きていた記録に囲まれ、身体も心も冷えきって、ビジター・センターに戻ってきました。
オーディオ・ガイドを返却し、パスポートを受け取って、顔や手をあらって、人心地がつきました。温まりたい……と切実に思って、カフェにつきました。
3時をまわり、同じように思った方々が、列に沢山いらっしゃいました。



とにかく、暖かいものを…喉を通りそうなものをと、カフェで選びました。
パンを二つ、フルーツを少し、スープにソーセージを二人で、分けることにしました。煮込んだ肉も、パスタもコトレットも、食べれそうになかったのでした……。



■ハンガリアン・グーラッシ

東欧の伝統食。ヒトラーが占領地に広げた東欧は、長くドイツと重なる歴史をもつ場所でした。
焼きパプリカの甘さ、ビーツの風味と色をいかした野菜と豆のスープでした。
この素朴な暖かさが、まずは身体に滲みてきました。



■カリー・ブルスト

ドイツのお祭りフード(ニッコリ)。
茹でたソーセージに、甘さとピシッとチリの辛さがたつケチャップをかけて、カレー・パウダーをかけたもの。
ミュンヘンにきて始めての、揚げじゃが芋が、たっぷり添えてありました。これを、カレー味のケチャップにまぶすと、何だか少し、元気が出てくるようでした。(微笑)

そうです。人は、食べて、涙を飲み込んで、また一歩を歩き出してきたはずです。学びを忘れることなく、生きていきたいと思いました。

ダッハウ強制収容所 祈念遺構は、人が個人を奪われていく道程に学んだ、厳しい苦しい場所でした。
ですが、激しい雨に負けず、沢山の違う国籍をもつ人が、心を傾けて、学ぶ姿に励まされた場所でもありました。
皆で忘れずに、時代の波に流されずに、次の世代に、世界を引き継げるようにと祈りながら、帰路につきました。

★長い時間を要した記事になりました。人間の責任の一端を、私も預かったのです。★


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祈り考える:ダッハウにて(2)

2017-09-17 23:04:00 | 旅日記
★人間の責任へ向き合う旅日記です★
★お料理の記事ではありません★



"Arbeit macht frei."
労働は(人を)自由にする。

冷たい雨、暗い空、ダッハウ強制収容所の扉を押して、敷地内部に踏み込みます。
右手にあるのは、当時のSS.の管理施設、いまは資料館として使われた、しっかりした建物です。



門から入った正面、そこは点呼広場と呼ばれた広場です。
敷地は長方形の空間で、管理施設と、収容棟32棟(16棟が2列)が、点呼広場を挟んで向き合っている形です。

32棟があった場所は、土台石で示され、最初の二棟が復元されています。
16棟が二列、その間は並木道になっていて、普通の町の設計のようでした。

そのはずです。
ここは政治犯の更正施設として作られ、さらに、1937-38年の水晶の夜以降は、ユダヤ人の国外追放のための一時滞在と通過拠点として使われるようになった歴史があったからです。
一棟に200人、それが32棟で六千人余の、番号つきの個人がいて、1938年には病院もあったという施設であった頃。



ちゃんと便器が並んだ室があり、シャワー施設がありました。



食事室が別にあって、そこには、窓も開くようになっていて。



壁にはロッカーが並び。(今は防犯状の理由であけられず)



個人を識別する名札入れがついています。



その当時の記録写真に残されている、ロッカーの内部。食器にナイフやフォークも含まれています。
この食器に、コーヒーのしみ一粒でもあったら、むち打ち20回だった、とは記載されていましたが。



ベッドは繋がっていて、ここに藁をいれて使ったそうですが、個人ごとの仕切りがあり、個人ごとの棚が、そこにありました。

始まりの時、強制収容所であっても、ここには、番号つきの個人が居たんだって、胸がつまる想いがしました。

アウシュビッツ・ビルケナウには、個人はいなくて、絶滅すべき民族がいただけ。わずか五年ほどで世界は救いようがなく、変わっていってしまったのが、ここでは、はっきりとわかりました。



食堂の窓から、点呼広場を挟んでみる、SS.の管理棟。この空間の拡がりが伝わりますか?



整然と並ぶバラックの土台。中央の並木道から、各バラックに通路がとられた規則性がわかります。


政治犯の収容所、国外追放の中間点から、次第にユダヤ人の labor camp 、強制労働収容所として、ダッハウも変わっていき、罰則と管理の厳格化が進んだと、記録されています。

1943年にはユダヤ人浄化を目すゲシュタポ(gestapo、秘密警察:本来はバイエルン州警察内組織、やがてSS指揮下で国内のスパイ容疑の取り締まりにあたる)の活動に、ダッハウも含まれていきます。
ナチスが戦争に負けて、撤退する区域の収容所から、ドイツ国内部にある収容所へ、ユダヤ人の移送が始まるのです。

ヨーロッパ各地からの移送によって、ダッハウの収容者数は、三万人大に増加したそうです。
本来は六千人の施設から、三万人に。餓えとチフスの拡大による死亡が、整然と記録されています…。

1945年は移送による死亡も記録されていました。その亡骸は当初はダッハウでも焼却されたが、後には放置され、それがチフスを拡げる基になっていったそう…。

1945年4月にアメリカ軍による解放がなされますが、解放後はチフスによる死亡が続いた、と記録にありました。



解放後も弱った人達が残された、悲しい場所。戦後に進むなかで、顧みられぬ場所は、廃墟になっていきます。その当時の写真が、残されていました。
悼まれる場所ですらなかった、ダッハウ……。
1968年に、この祈念遺構が、残されていた詳細な記録に基づいて復元されて、いま、私達が学び、祈ることのできる場所になったのです。





広大な収容施設(バラック)の一番奥に、遺構に加えられた、祈りの場所が四つありました。

カソリックを中心に、右手がユダヤ教、左がメソジストと記載されていました。その奥に、宗派を特徴化しない、祈りの場所がありました。

おそらく、右手からの歴史的配置と、最初は考えました、が、被害者と加害者なのかもしれない……いや、皆が被害者だった、人間の愚かしさを悲しみ、悼んでいるだけかもしれません。

写真はカソリックの。餓えた、苦しみに打ちひしがれたイエス様の姿。十字の重さが、人間の闇の深さを、解くことができるかを、私に尋ねているようでした。



茨のシェルターにおおわれた、ユダヤ教の祈りの場所。坂をおりていきます。



入り口の扉には、タビデの星。
この場所が、ユダヤの墓所のように意識します。



積まれた石の壁は、嘆きの壁のように、ひたすらに積まれて。人間の業の深さのようで。ですが、天空に延びる一筋の光の道がありました。



光に見えるのは……ハヌカの蝋燭…。闇の彼方に、光を求めた祈りを、異教徒である私にも、伝わってくるようでした。

苦しい時間でした。
冷たい雨に、びしょ濡れで。打ちのめされる思いを抱えて、ぼろぼろでも、黙って歩き続ける、沢山の国籍の違う人たちとともに、私も歩きました。

四つの祈りの場所を越えて、もう1つ、いかねばなりません。
収容棟は、外周道路の先に、斜坑がとられ、脱走が見えやすいようになっていました。そこからさらに、高い鉄の柵と監視塔がある境界になっていました。
さらに川をわたった先に、閉ざされていた、別の敷地がありました。

別の敷地は、当時の記録によれば、通常の収容者は入れない場所でした。

病死した亡骸を焼却するための、即物的な施設があった(旧焼き場)り、吊し罰則にあたった人の処刑場所があっただけだったそうです。

この記述からも、見せしめのための処刑が、日常化していた、アウシュビッツとは違うことがわかります…。



1943年に変わってしまいました。こちらは、脱衣場と「シャワー室」と焼却施設と、灰置き場をもつ建物です。
本当に、入り口にドイツ語で、シャワー室と書いてある。それがドイツらしい…。



この場所の中に「シャワー室」があります。実際のガス菅の配置はされていますが、おそらく使えていない。あの構造では密閉できません。
記録にも、ダッハウでのガス殺の記録は不明瞭です。
アウシュビッツの殺人施設の正確な設計配置とは、全く違いました。

収容棟の塀の外にある、この閉ざされた空間には、遺された灰が埋められています。
生存が確認されない移送者の母国からの祈りの場所が、ここにもうけられていました。

私達は再び、収容棟のある敷地にもどりました。
その塀にそって歩きながら、沢山のことを考えました。

そして、かつての管理棟、いまは資料館となった建物に入りました。

雨に、もう打たれなくていい、暖かい……それが、とても幸せでした。

ホッとしたのは、一瞬でした。

沢山の帰ってこれなかった人の記録に、取り囲まれます。淡々と続く記録だからこそ、凍りつきます。
組織的に、家畜のように、殺すために移送する姿勢に、教科書を越える、人間の組織の怖さを体感します。

生存者が語ったビデオテープの内容は恐怖でも、この人が生きてこれたことを、感謝したくなりました。

ナチスだからではない。
個人がみえなくなって、番号や記号のついた群れになってからでは、もう、止められないんだ!

今の日本も、世界も、そっちに向かっていないか?
利益を叫んで、仮想敵を作って、憎むようにさせていないか?

顔と生きてきた時間がある、一人一人違う、命のある人間を、基盤にして、そこから離れてはいけないんだ!

個を奪うことへの反対! 集団を管理しようとする政治への怖れ。それらを受け取った六時間でした。


もう、身体の冷たさが重すぎて、ビジター・センターにあるカフェを目指す欲求がたちきれなくなりました。

カフェへ向かう道すがら、私は、現代の悲しみに、直面します。
ダッハウ強制収容所 祈念遺構を含む、かつての軍用地は、国の土地です。
その一部は、いま、refugees (避難民)の保護施設に活用されている旨が、書かれていました。

他者からの攻撃から、やっとの思いで逃げてきた人にも、私達の世界は、隔離された施設しか提供できない。喜びと笑顔と選べる人生までには、まだ時間がかかるのです。
その間に、この世界を、自分を受け入れてくれぬ場所と思う人が、増えていかないで欲しい…。そう願う、一杯の祈りを抱きました。


この二つの記事は、2017年9月に配布されていた資料、オーディオ・ガイド、看板(いずれも英語版)に基づいて、記しました。誤りがあれば、それは私の問題です。


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祈り考える:ダッハウにて(1)

2017-09-16 02:26:00 | 旅日記
★大切な、されど、重い課題記事のため、なかなかまとまらずに時間がかかりました★
★料理の話ではありません★


雨の朝、ミュンヘンから電車(Sバーン、S2)に20分程のりました。



ミュンヘンに居るのだから、人の責任として行って学ばなくては……と信じて、気持ちをふるって、Dachauにむかいました。ミュンヘン中心部から、わずか15km程です。



駅前のバス・プールには、何番のバスに乗るべきか、分かりやすく標示されていました。



旧市街にいくバスを雨に見送り、726番のバスにのりました。二連結バスは、冷たい雨の降る平日に、一杯でした。15分程、社内は沈黙のまま、走ります。



Dachau Concentration Camp Memorial site (ダッハウ強制収容所 祈念遺構)は、終点です。

第二次世界大戦を、欧州に軸足をおいて省みるならば、ナチス・ドイツによる侵略の拡大とともに、ユダヤ人の絶滅計画の徹底した残酷さを見せつけられます。

第一次世界大戦後の賠償負担の重さに対して、疲弊するドイツ経済。市民の生活も貧しくなるなか、銀行や商社を経営するユダヤ人の豊かさに、憎しみを育てていく組織がありました。国家社会主義労働者党=略称複数形を和訳したのがナチスです。ユダヤ人が、ドイツ人から盗んで隠している富を取り返し、ユダヤ人を追い払い、歴史的に約束された素晴らしいドイツを作ろう! これこそが、ナチス党が主導するドイチェ・ライヒ(Reich:第三帝国)の台頭です。そのアジテーション演説で頭角を現したのが、ヒトラーです。

ダッハウ強制収容所は、この考えの実現のために、1933年に設置されています。ドイツ国内、最初の二つの強制収容所です。SS(ナチス親衛隊)による運営がされ、ワイマール憲法を大事にするような政治犯の教育更正を、最初の目的に掲げています。次第に政治犯のなかでも、ユダヤ人に対する取り締まりが重くなり、ゲシュタポ(gestapo、秘密警察:本来はバイエルン州警察内組織、やがてSS指揮下で国内のスパイ容疑の取り締まりにあたる)が、管理を強めていきます。

人間が、個人を剥奪され、民族として殺されていったドイツ国内の最初の場所。それがダッハウ強制収容所であろうと思います。
ナチスだから、ではなく、民族が対峙した時に起こり得る、最悪の事例と捉えられています。
ヨーロッパは民族が重なりあって暮らす場所故に、この教訓に学ぶ責任を、いまに続けているのだと私は思っています。


背景をごく短く書いただけでも重い…。ですが、行かなくてはなりません。

先ずビジター・センターで、オーディオ・ガイド(英語)を借りだしました。構内の看板説明と合わせて、学ぶつもりでした。
雨が酷くなってきたので、傘に加えてポンチョをきました。収容された方々の寒かっただろう日々を想起して、からだが強張っていきました。



1945年、1968年、現在の構内の変遷を示す看板を読むうちに、気持ちは沈んでいきます。入り口のバスを振り返れば、次々に人がやってきます。人間はあきらめていない…前にすすみましょう。



進行方向 右手に見えてきました。
強制収容所のゲート管理施設(復元部分を含む)です。
手前の人の大きさと比べれば、さして、大きくありません。白い壁に窓も大きい、ヨーロッパの城廓都市、町の入り口の楼門にありがちな作りです。トップに監視窓があるのが特徴ですが、通常の警察や刑務所にあるのに比べれば、外からみての、威圧感はそれほど感じないでしょう…。

ああ、最初に作られた施設は、こんなに普通の建物だったのだ! 政治犯の更正施設として作られ、社会からの隔離の場所だから、普通の建物にちかかったのだと、気づきました。

私はかつて、アウシュビッツ・ビルケナウを訪れています。絶滅収容所の建物がもたされた威圧感に、圧倒されたことを覚えています。それとは全く違います…。

ダッハウ強制収容所のゲートの手前には、橋が見えています。川か堀による隔離でしょう。



ゲートに進む前に、周囲を見渡します。
ああ、左手にやはり、ありました。
鉄道の駅だった場所です。

収容所を作るにも、やはりドイツ人らしい、合理的な規則性があるのです。
収容所に人や資材を、効率よく運ぶための方法を、考えてあるのです。



線路の軌道がうっすら残る、プラットホームの残骸。
ここから見れば、収容所ゲートは、門であるよりも、むしろ壁に見えてきます。
社会との壁に感じたでしょうか? それとも、ゲットー(ユダヤ人居住地区)のように、狭くとも生きられると、思ったでしょうか…。

きびすを返して、ゲートに戻っていきます。



ゲートの手前には、やはり川があり、雨で水嵩を増した濁流になっていました。



かくして、ダッハウ強制収容所のゲートにつきました。
いま、この扉は、内からも外からも開くけれど、当時、開いたままの扉を見た人はいなかったでしょう。

この鉄の扉に指をかけて、泣いている人にもあいました。



この楼門には、祈念モニュメントが埋め込まれていました。1945年4月の解放の日、その後が記憶されていました。



この後、立てられた強制労働収容所に掲げられた言葉は、ここから始まるのです。
"Arbeit macht frei."

労働は(人を)自由にする……偽りの言葉に吐き気がします……。

長くなりました。記事をわけます。
■ダッハウ強制収容所、バイエルン州、ドイツ (2017年9月上旬)


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切り分け方、アレンジの仕方を楽しむ朝食

2017-09-12 19:14:00 | 外食でリフレッシュ!
こんばんは。メキシコの地震、フロリダ半島をかけ上るハリケーンIRUMA、雨続きで寒い欧州と、気象の話題、派生する経済問題に多くの話題が割かれる当地です。
例年なら9/11の頃は、ISとの攻防の進捗、過去の犠牲者を悼み、避難民の保護、世界の協調の拡がりが語られてきた欧州でしたが、今年は様変わりしたように感じます。

スペインを除いて寒い夏だったEUでも、野菜や果物の値段が上がっているのをマルクトでも感じました。
だからこそ、朝食バフェに並ぶ果物には、毎回嬉しく思ったミュンヘンでした。



果物の切り分け方には、食べ方の違い、お国柄を感じる楽しさがあります。
薄切りしてから等分に三角に切るスイカの切り方。メロンも種を除いてから薄切りにします。
キウイやグレープフルーツは半割り。ピーチ、杏子、青い無花果はまるごと。
この日は二色の瓜系メロン(カンタループ)を、丸くくりぬいて、果汁にシロップ、レモンを足してパンチにしてありました。周囲には、食べやすさも含めて飾り切りしたリンゴにキウイ。Trip Adviserて朝食評価の高いホテルの技に、魅入ってしまいました。

宿泊客にフルーツとヨーグルト、シリアルに生野菜をとる人が、増えたドイツ。昔より、朝食の取り方にバラエティが拡がった、と思います。



この日は、昔のドイツの夕食のように、パテやチーズをとる朝にしてみました。焼き暖めたプレッツェルも添えて(笑)。
グースの内蔵のパテ、鶏肉の煮凝り、いちじくコンポートにチーズ、とろみあるサワークリーム、ココア・パウダーと胡桃をまぶしたクリームチーズ、右上の緑色はシーウィードを巻き込んだチーズでした。右下はレッド・チェダー。
へぇぇぇ! アソート・チーズを得意とするのは北欧だったのに。ドイツでみるとは!
まして、シーウィード=海草からスプレッド、さらにドライにしてチーズに巻き込むとは! 北海からの海産物が流通するドイツといえど、これを見たのは初めてでした。
海の塩を連想する味は、日本人である私には違和感はないけれど、パンには微妙に合わない(笑)。パンに合わないものがあるのも、不思議な体験でした。



この日はグレープフルーツ・ジュース、茹で玉子、熱々のカプチーノを添えた朝食にしました。
ミュンヘンでの休暇日にあたった日、冷たい雨が降るなかを、どうしてもいかねばならぬ場所がありました。そのために元気が必要な朝だったのです。

■Hotel Schricker, Munich


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夏のメニューのあるブラウハウス:シュナイダー・バイス2

2017-09-11 14:57:00 | 外食でリフレッシュ!
こんにちは。なかなか日本語で考える更新が追い付かず…ですが、元気にやっています。ゆるゆる、お付き合いください。(ちなみに今朝は14度でした(笑)。秋の終わりに近づきつつあります。)

さて、前編に引き続き、シュナイダー・バイス、シュナイダー・ブラウハウスでの食事です。
私が注文した夏のメニューは、初体験の味でした。



■揚げたターキー短冊切り肉、あわび茸(oyster mushroom)に重ねて。旬菜、プレッツェル生地パンを添えて

ターキーは、まるごと焼いたものを切り分けるか、健康重視の薄切りハムとして、食すのが殆どでした。



短冊切りして、コーングリッツを薄くまぶして、からりっと揚げたのは、初めての食感でした。うましっ♪
ソテしたあわび茸の、ざくざく歯切れる食感に、ムチュンと弾力性が重なり、香味がひろがって。いいバルサミコと粒マスタードの酸味が、ビールを欲する力あり(笑)。

そのまま食してビールにあいます。他に、プレッツェル生地を伸ばさずに丸パンに焼いて薄切りした、モチモチしたパンにしゃきしゃき野菜と載せて、オープンサンドにしてよし♪(笑)

ターキーの新しい食味に出会いました。



■Schnider Aventinus einbock
アルコール度数8パーセントのビールを、自分で丁寧についで、しみじみあじわいました。
Tapからの生とは違って、しっかりした重苦さに瓶の良さも伝わります。
古くから伝わる製法に忠実な、味わうビールの素敵さでした。

定番のグランド・メニューだけのブラウハウスとは、また違う楽しみかたがある。何度か通って、気に入りが増えました(ニッコリ)。

■Schnider Brauhaus, Munich、9月第一週、2017


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夏のメニューのあるブラウハウス:シュナイダー・バイス1

2017-09-08 18:47:00 | 外食でリフレッシュ!


■Schnider Weisse シュナイダー・バイス
夕食をとりに、シュナイダー・ブラウハウスによりました。



こちらのブラウハウスは、ホテルからみて、タール通りのお向かいにあります(笑)。ビールに親しむ環境です(笑)。偶然ですよ。



英語メニューの表紙に爆笑!



花をさす花瓶が、ビール瓶なのが笑えます!
こちらのブラウハウスには、季節メニューがあり、そそられました。



■Cold buttermilk cucamber soup
夏のメニューから、冷たい胡瓜のスープ。バターミルクに胡瓜の青さがのり、胡椒とディルの風味がきいた、実に爽やかなスープでした。
これは、まったく新しく感じた味でした。



同行者が定番メニューから注文したのは、
■Pork knuckle
豚膝をシュナイダー・バイスで、じっくり煮込んだ後に、揚げてあって。皮と関節包とゼラチン質の、カシカシとムニュっが混じった、不思議な食感がそそる一品でした。
肉の側は、ホロホロの繊維感かあり、シュナイダー・バイスとグレービィが混ざりあった、ほろ苦く甘いソースにつけると旨い!



この揚げた皮がザクザク、クリスブですが、塊としては、何とも硬い。刃が立たないけど、とても美味しい(笑)。
肉質は柔らかく、ふわふわで、その対比にクラクラ(笑)。
肉屋に併設されていたデリに、硬そうな板状の、香ばしげなものが詰んであったのは、これだったのだと、気づきました。砕いて、サラダやスープにトップしたら、実に風味豊かでしょう。

私が注文したのは、夏のメニューで、またユニークな一品でした。記事書きの時間が十分ではないので、ここまでで、まずアップロードします(ニッコリ)。

■Schnider Brauhaus, Munich


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小さなお客様を迎える準備@Munich

2017-09-07 07:30:29 | 旅日記
おはようございます。私は英国に移動しましたが、あと少しミュンヘン記事を続けます。ゆるりっとお付き合いください。



鉢植の側に置かれた、ダックスフントを型どった、水入れ。
お散歩わんちゃんが喉をうるおした後には、庭先のベンチに座っていた、おばあさんが入れ換えていました。
小さなお客様を挟んで、飼い主とおばあさんの間に、穏やかなやり取りがされていました。
街の中で、毎日話すことがある。微笑ましく思って、通りすがりに挨拶した私にも、おばあさんがニコニコしてくれました。
その街が、好きになるきっかけは、こんなことにもあるのです。


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