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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ニホンアカガエル孵化、遊泳始む

2024-02-17 | 小父のお隣さん

 ニホンアカガエルの卵塊の上に黒々としたものが多くなった。孵化したてのオタマジャクシ、幼生と言った方が正しいのかも知れないのだがしばらくは静かに過ごしている。ものの本によれば自分を包んでいた幕体を食べて過ごすのだそうだが確認できる訳も無し。しかしながら全てが孵化し終えた後には卵塊の残渣すら消えているので「そうなのだろう」と思うだけなのである。

 この日、覗いたトンボ池の一画の卵塊のいくつかは孵化が始まっており、早い個体は遊泳していた。ニホンアカガエルのオタマジャクシはアズマヒキガエルのそれとは異なり群れないで三々五々好きなように遊泳しているのだが、そんな姿を見られるにはカレンダーは弥生の頃になるから、もう半月ほど必要だ。

     


柵の再生作業 3

2024-02-17 | 今日は真面目に

 ようやく二日ががりでの塗装を終えた。時間を要した理由は分解・切断する時に上下の横板を繋ぐ立て板を残していたからである。全ての部材をバラバラにしたら組み上げる時の寸法が定まりにくいから腐食の激しい立て板の下の部分だけ切断したためだった。鳥居風の形になったものの地中に差し込む立て板部分には防虫防蟻剤を塗付、上部の横板の部分は油性塗料を塗付したのだが二枚合わせになってしまった新旧立て板の内側には塗装出来ない。そうなると日当たり・風当たりが悪いだけに風化が早まってしまう。捨てても惜しくはない柵なのだがもう少しで使用可能まで再生できるので、古い立て板の部分を切断した。

 この切断は古い立て板の中ほど2カ所を電鋸で切断したのだが、切り離しが出来る段階で回転する丸鋸との摩擦で動いて丸鋸を挟む形になり、その抵抗で手前の方に「バン!」と飛び出してくるのだ。鳥居形の柵の片側を持ちながら切断されようとする木片を摘まむのも危険だ。当然、フエースガードを装着したのだが今度は視野の明白性が失われる。てなもんや三度笠、で恐る恐る切断作業を終えたのだった。

 地中に刺す部分は防腐防蟻剤の二回塗りをして気持ちだけ保存性を高めたつもり。上部は油性塗料を塗付したから耐候性は少しは出ただろう。しばらく好天が続くとの予報なので屋根の下には戻さずそのまま一晩乾燥させる。これで漸く柵として据え付けを行なえるがもう一日必要だ。

     


トッポギ初食!

2024-02-16 | 感じるままの回り道

 スーパーの棚にトッポギがあった。チーズベースと標準ベースの二種類並んでいたのだが迷うことなく標準ベースを選ぶ。自動録画されていた韓国時代劇を御腰痛い痛い病で自宅軟禁中、暇つぶしに視聴していたらこれが意外に面白い。中身はたわいも無いけれど子どもにも十分視聴させられる作りだった。日本製のテレビドラマは全く見ることは無い。見なくてもお決まり通りの泣き喚き角突き合いの構成だから敢て見る程のことは無いのだ。この激した感情や行動でしか演出や演技が構成できないのだとしたらお先真っ暗で芸術性など皆無になる。深夜放送で誰だか言っていた「笑顔を引き出したり笑わせる事は一番難しい」けだしその通り。陽出ずる国の電影、文化果つ・・・。

 さて閑話休題、ドラマ現代版では屋台や食卓に出て来るトッポギと言う食べ物。「トッポギとは何ぞや⁉」と関心を持って調べたらいわゆる餅料理の範疇だった。小生の関心は外食で食べるトッポギでは無くて時代劇に出て来る串刺しの焼きご飯、いわゆる「キリタンポ風か五平餅」の類似と分析して自作は生姜味噌で食べたのが1月の事。その後、ようやく本物に出会えたのだから買わずばなるまい、喰わねばなるまい。

 説明書通りにチンして出来上がり。主食の量とすれば少ないけれどスープと発酵惣菜を添えて実食してみた。食感は餅風だけど棚にある餅を短冊にして加熱すれば崩れてしまうから餅では作れない。やはりご飯を半殺しで無ければならないようだ。でもしかし、この実食で思ったのは「ご飯を半殺しにして焼いた」物の方が断然美味しいと言う事である。商品として綺麗な出来上がりでも美味しさを呈している訳でも無く、おこげの香ばしさは永遠であることが理解できた。

 少年時代は敢て釜底のおこげを盛ったものだったが電気炊飯器になってからはおこげは夢のまた夢であるものの中東向けの商品にはおこげの出来る炊飯器があるのだとか。購入できるなら購入したいもんだわ。で、渦中と言うかドラマの中の少年は何時もおこげを入れた袋を腰に下げていた。ドラマ作りも共感や微笑み、はてまた大笑い出来るものが欲しい小生である。


庭のタンポポ

2024-02-15 | 小父のお隣さん

 この日の気温は20℃迫らんとした。テレビでは軒並み四月の気温だなどと報じてはいるものの「そんなに温かいのか⁉」と実感が湧かない。フイールドでの作業ならば有難みを感じただろうがこの日は「ガス点検日」の予約で家を空けられなかった。室内にいるのも嫌になる日和だけれどガス会社と決めた日にちなのでドタキャンも出来ない。そこで暇つぶしに庭の鉢物の余分な草本を抜いてスッキリさせていたのだが横にタンポポが開花していた。

 タンポポの大株は玄関前にもあるけれど日当たりは南側住宅の陰になり朝の数時間だけなので花径も上がってはいない。タンポポで気になるのは在来種か外来種か、はてまた交雑種かと言う事なのだが今度も暇つぶしで撮影して確認してみたのだ。結論から言えば総苞外片だけで見れば「在来種」に思えたものの交雑種かもしれず「結局は丹兵衛どん」であった。花びらの数は洋種の方が多いと記述している記事もあったもののフイールドの在来種の群落を毎春見てはいても観察眼など無いし敢て詳細分析している訳でも無いから無駄だった、に尽きる。

 フイールドのタンポポ、早いものは師走に開花していたが数は少なく、寒の明けたこの頃になって日当たりの良い場所にちらほらと咲き始めて来た。当然、数少ない虫たちも姿を見せるのだがアブやハエの仲間が多く、ミツバチはまだ見てはいないが11日にツリアブが姿を見せた。ところが庭のタンポポにはミツバチらしい姿がある。狙ってみたら案外綺麗に写せてご満悦である。我が楽しみは遊興飲食娯楽交友でも無い近小脚下、吾輩は孤爺である…てなもんや三度笠。


柵の再生作業 2

2024-02-14 | 今日は真面目に

 初日は発電機のトラブルで予定は台無し。二日目はバラシて再構成で終わった。見た目は鳥居風で横板を二枚外して支柱に転用したからしょうもないと言えばそうなのだけれど高さが増した反面、最初の支柱より厚みが無いのが弱点だ。腐植部分も多くて耐久性に難点はあるものの防腐・防蟻剤を塗付すれば多少は使える期間を保持できるだろう。

 そこで地中に差し込む先端部分には防腐防蟻剤を塗り、地上部分には油性ペイントを塗る予定だったのだがこの日は予定通りには進まずあえなく昼食撤退となった。気温もかじかむほどでもなくなっているからお弁当持ちで良かったけれど、どういう訳か「午前中だけ」の出勤になってきている。ようやく腰痛から回復して動けるようになったのであるもののここで踏ん張って正月明けの手太楽、二番煎じでは泣くに泣けなくなってしまう。急がず休まず牛歩の如く、と言いたいところなれど馬力や牛力と比較できる体力でも無し、まあ、ダイロウに準じるところかもしれん。

 ダイロウやナメクジはヌルヌルと移動するがさすがに皮膚科のドクターから「油切れです!」と言われたように乾燥肌になってしまった高齢者では潤いが無い。売る老いがあれば売りたいところなれど得る老いだけで他に路は無し。そんな事で腰に手を当てつつ道を歩けばオオイヌノフグリが咲き始めている。そこで尋ねてみた「オオイヌノフグリとコジイノフグリとではどっちが立派か⁉」。山はシーンとしていただけだった。再構成した柵が鳥居ではなく卒塔婆に見える。

     

   


今日の薄幸食「黒はんぺんと小松菜のごどもどき小雪ペースト炒め」

2024-02-13 | 何よりの楽しみ

 毎日、満漢全席やフランス料理フルコースばかりでは飽きが来る。それと全く同じ機序で自分好みの食品・食材でも同じことだ。「あなた好みのあなた好みのおかずになりたい」と願い拝み奉られてもそれも同じことであろう。まあ、小生の恥を申せば奥村チヨの歌った歌詞のような事実は無かったが、それはそれで返す返すも侘しく寂しい。

 と妄想に耽っていては青春時代に同じで、既に今は老旬なので違いが判るお爺でなければいかん。だから股引の緩んだゴムを結びなおして台所に立った。男子キッチンに立つ、と言えど戦場である。今回はいささか作り過ぎて食べ過ぎて「もう少しなのになかなか減らない」「ごどもどき小雪ペースト」の新たな用途を開拓したのだった。青菜が食べたくて店頭に行って小松菜とホウレンソウの選択に迷う。仕方が無いので「指差し歌」を唱えて決めたのだが、スタートをどちらかにするかどうかで結論は正反対だ。それでもここは「神様の言う通り」にして小松菜、で決まり。

 小松菜に合わせたのは黒はんぺんの細切りだ。オリーブオイルと一味唐辛子で軽く炒めて置いて、微塵にした小松菜をレンジでしんなりさせてから合わせて炒める。火が通った頃を見計らってペーストを回し掛けして再度炒める。ペーストだけでは塩味が無いので麵つゆで調整する。食味はやはり納豆の味がする。加熱した事で香りも強く感じられるから納豆嫌いの人には機雷の一品に感じるだろう。でもしかし、爺己満足の爺我爺賛、爺業爺得の調理産出物であるからして何処からも文句も苦情も無い。結論から言えばこのペースト、当初はご飯のお供であったのだがソース代わりになり調味料代わりになってくれたのだ。しかし、このレシピ、足掛け半年は手を変え品を変えて食べ続けた結果、納豆はあまり食べたくなくなった。

     


柵の再生作業

2024-02-12 | 今日は真面目に

 端的にはリフォームに当たるのかも知れないがまあ、廃棄物寸前の柵を少しだけ延命させる作業である。突端台地の食草園兼吸蜜園を囲った柵が経年劣化で上部を支えられず倒れてしまうのが目立って来たので補修しなければと思いつつ眺めてきたのだが手出しは先送りしていた。今回、年末年始のグダグダ生活から突如として作業に入った結果、腰痛が酷くなり1月は行ってしまったのである。あまりにも長い腰痛回復期間を要したし再発を恐れ入って暖機運転から作業をせねばと再生作業を選んだのだ。

 とは言え再生させるべき柵は28枚あって一輪車で運ぶにしても山盛りで起伏の多いコースを運ばねばならない。恐る恐る移動しながら途中二回の横転があり身体髪膚に自信のなくなった小生には腰を折っての積み込みは辛い。それでも被災地の片付け作業を思えば無いも同じな作業である。ともかく拠点の作業場所まで運び腐った支柱部分を切断する。ここでもトラブル三昧に見舞われて溜息三斗ほど溜めただろうか…。長らく使わなかった発電機の調子が悪くポータブルは負荷をかけると停止するし大型の発電機は始動してくれない。結局この日は発電機の不調で予定通りの作業が出来ず空のガソリン容器を抱えて下山した。

 ポータブル発電機の不調は過電流保護機構が働いたままで復帰ボタンを押す事で回復したのだがガソリンが足りない。そんな手太楽で自身の暖気運転には程遠く短期運転でしかなかったわい。柵の補修は縦板の差し込み部を切断し横板の中二外して立て板にする予定だったものの数枚の柵を再生し直しただけで作業は終了。再生した柵は鳥居のソックリさんになってしまったが、それでも防腐剤を塗付して設えれば四~五年は使えるだろう。この柵は某銀行からの寄付品なので多少は大事に使わねばならん。腐ったからとてポイ捨てでは好意に悖る。


アサギマダラの幼虫、見つかった!

2024-02-11 | 小父のお隣さん

 我がフイールドに於いてキジョランの生育が思わしくないのは理由が判然としないだけに手の打ちようも無いものの蚊を打ちすえる程度の事はまだまだ出来るのだった。だからこそめげずに四十し盛りから七十なけなしになっていようと続けているのであった。まあ、それはともかく生育が悪くてヤマビワに這い上らせようと添えて定植した株が未だに1m足らずなのだ。「冬の状態はどうかな⁉」と立ち寄ってみたら葉の端が千切れているではないか。普通に見る円状の食痕では無いのでアサギマダラの幼虫とは思わなかったのだけれど葉裏を覗いたら30mm程度の幼虫が1頭いたのだ。少なくとも目視で観察できる唯一頭である。

 目視で食痕は確認できても手も届かないトチノキの先端まで這い上ったキジョランに幼虫がいるのかどうかは確認できる環境でも無いし食痕が明らかでも今期の食痕と過去の食痕の区別は無理である。だからこそ貴重な一頭であるのだが懸念は蔓が小さいので蛹になるまでの食料が恐らく欠乏するだろう。故に経過観察しながら葉を食べ尽くさずまだ葉裏に居る間に引っ越しさせねばならなくなった。葉は20枚もあれば蛹化に至れるだろうから最古参のイボタに這い上がらせた株に引っ越しさせる予定にした。これも生育が悪いけれど手の届く範囲に葉の量は蛹化できるまで十分にある。たとえ食べ尽くしたとしても2mほど蔓を這い昇ればイボタノキの先端部にも多少はあるから望みはあるだろう。

     


今日の薄幸食「突き飯生姜味噌焼きほうじ茶掛け」

2024-02-10 | 何よりの楽しみ

 生姜味噌や砂糖味噌を塗った焼きおにぎりは郷里の定番でもあって、子どもたちが幼い頃のお昼には魚焼き器で作って食べさせた事もあるものの社会に出てしまった現在は自分のために作る程度で回数も激減した。この日、腰痛からの回復のため寒風の中ウオーキングに出たのだが道中、突然と「生姜味噌お握り」を食べたくなった。歩きながらつらつら考えたのは先日に食した「キリタンポもどき」とでもいうか「トッポギもどき」とも言いたい突いたご飯を焙って食べた美味しさに生姜味噌を加える妄想である。

 帰宅したのは11時過ぎ、早速ご飯を炊いてすり鉢で半殺し、お握りにしようか板状で焼くか思案して板状で焼くことにした。これはお握りより厚さが均等だから生姜味噌も均等になる、という判断である。焼き網の下に崩れ落ちそうなのでアルミホイルを敷いたのだが、これは失敗だった。下側に焦げ目がつかない。やはり両面とも生姜味噌を塗るべきだったしお握りにすべきだった。まあ、これはこれで生涯学習の単位取得になるだろう。

 焼き上がったのを丼に入れて煮たてたほうじ茶を掛ける。薬味にはヨモギのペーストを添えて季節感を演じたのだがヨモギの香味が勝って生姜味噌焼きの香ばしさやほうじ茶の風味を押さえてしまった。こう言う処に気ままに調理してしまう難点が現われるのだが、大概がその場限りの1回献立に近いのでブラッシュアップは望めない。それはともかく薄幸食らしい薄幸食になったわい。それは別として「簡単お昼」とはいかなかったものの一般論として老い先は短いものの調理時間はたっぷりあるし薄幸食と言えど被災地の一食に比べれば贅沢この上ない一食だ。神仏のご加護に深謝!。ここで大いなる疑問、どうして腰には神仏のご加護が無いのか⁉。人生の大疑問である。

 歴史を振り返れば神君の申した言葉がある。「人の一生は重い腰痛を抱えて坂を上るが如し」なーるほど・・・納得した。

 


*日々是好日

2024-02-09 | 感じるままの回り道

         山の日はヒタキ迎えてまた送り

         冴ゆる谷地やまの端木立朝日抜く

         遠山に風花の雲辰の年

         氷盤の下に卵塊寒の内

         暁や霜夜と知れり明け三日

         腰痛や痛や痛やで寒は明け

         


花は望めなくなった・・・

2024-02-08 | 花の下に長居

 北上するアサギマダラの蜜源にキンジソウが役立っていると言う内容で吸蜜している群れの写真がネットに載っていた。キンジソウは日曜菜園をやっていた頃に金沢から苗を取り寄せ食べていたので知らない植物でも無かったのだが「蜜源植物」として活用できるなど思っても見なかったのである。

 そんな事で昨春に苗を取り寄せ庭とフイールドに分けて定植した。それなりに大株に育ち冬を迎えたから「春には開花して誘蝶・・・ウヒヒヒ」と鼻下を伸ばしていたのだったが「狙った大穴見事に外れ、頭カットした採集レース」てなもんや三度笠。低温で溶けるなんて予想だにしていないし開花してフイールドでは貴重な越冬羽化の成体、庭では北上中の成体乱舞が初夢にもならず頓挫の手太楽になったのだ。

 冷静に記事を思い返してみればたしか「九州発」の記事だったように思う。初めて苗を購入した先は金沢だったので「水掛菜」のように越冬できるとばかり思っていたのは世間知らずだったと言う事に他ならない。溶け始めた株元を調べても春の発芽に備えたような兆候も無いし、金沢では「地野菜」としてブランド品にもなっていたように記憶しているのだが冬越しは種子なのか、それとも温室なのかどうかは知らない小生なのである。

 写真手前、ツルモウリンカはリュウキュウアサギマダラの食草でいわゆるアサギマダラは産卵しないと言われているのだが「もしや…もしや…」で当地で越冬してくれるなら可能性を確かめられると栽培し庭に放置してある3鉢である。庭の水が凍った日には変色して「やはりだめか…」とがっくりしたのだが今のところは持ち直して小生の腰痛の様だ。ただまあ、立春を過ぎたとは言え氷点下の再来はあるだろうし桜が咲く頃までは安心できない。それでも平均最低気温は2月の中旬より上昇に転ずるから拝むような祈るような心持で庭の二種を眺める日々だ。

 しかしなあ、低温で溶けてしまった株を見ていると「こんな事なら食べておけばよかった・・・」と悔やまれてならない。美味しい先端部だけでも摘まみ取れは他の株も含めヌルッとした食感のお浸しが味わえたのに・・・。くれぐれも残念無念と言うしかない。

     


ニホンアカガエル産卵数

2024-02-07 | 小父のお隣さん

 腰痛も湿布薬が必要でも無くなって「2月からフイールドへ」と思っていたものの台車が新車に近い3ナンバーでは大変恐れ多くて買い物にも出かける気にもならず運転しなれた自車が来るまでと初旬はお休み。そうこうしている間に雨模様になったりして滑るフイールドでの行動は腰痛病みあがりでは踏ん張りが悪い。てなことで瞬く間に一週間が経過してしまったのだが今朝からは「出かける!」決意だったにもかかわらず曇天だったので躊躇してしまった。それでも日差しの戻った10時前になって「産卵数の確認」に出かけた。

 今回は記録も兼ねてメモを取る。前日までの降雨で水域全体が濁っていたけれど卵塊は浅瀬にあり水面に上部が見えているので数える事が出来た。集計結果は124卵塊だったので4日の卵数より10卵増加している。これは見込み通りだったのだが水域の濁りで数えきれなかった卵塊もある可能性もあり、更にはもう数個が遅れて産卵される事も無い訳でも無いけれど一応の処、今期の総産卵数とする。昨季の産卵数は105卵だったから食物連鎖系の中軸は安泰だ。

 最初の産卵から既に2週間目、卵塊の中の胚も大きくなって黒味が良くわかるようになった卵塊も出て来た。二月後半になればシュレーゲルアオガエルの鳴き声も聴かれるようになるはずで、「春」を実感する。我が少年期での春を実感する頃は雪っ原の「凍み渡り」が出来るようになるころでそれは3月の中旬以降だった。水田部に小川や田んぼの水面が覗かれる頃になるとネコヤナギヤアカガエルの卵塊を見に雪っ原を歩いて行ったのだが、この頃の日中に役場のサイレンが鳴るのは「川流れ」が多く、この時期の川流れはまず助けようがなかった。ネコヤナギやフキノトウなど採りに寄って雪庇が崩れての落下事故がほとんどだったし雪解け増水中なので泳げても這い上がる手段も無かったのである。

 トンボ池1:16   トンボ池2:31   泥水池:33  分水池:3   棚田部:4  温水田:16  二つ池:13     合計124   上の池と林接池には産卵無し


今日のエッ!品「プルーンとレーズンの羊羹」

2024-02-07 | 何よりの楽しみ

 屋外作業を先送りしている現状ではどこかで何かをしなければ一日が長すぎる。耄碌しないで身体が動かなくなったらと思うと一日一日は地獄の長さに違いない。となれば耄碌は「時の氏神」とも言える面もある。まあ、それはともかく暇つぶしにまたまた羊羹を作ったのだ。高齢者ともなれば噛む力も弱くなり「よう噛めん」様になりがちで、だから噛み下し易い羊羹にした訳でも無いのだが、強いて言えば「マイブーム」てなもんや三度笠、なのである。

 前回のトウモロコシ羊羹は柔らかすぎたので今回の寒天量は二倍にした。けっして羽毛量を二倍にしたのではない。頭頂部は二倍にしたいけれど、これは生涯叶わぬ夢であったわい。で材料はフードプロセッサーで粉砕したが果実だけだと外周に張り付いてカッターは空転するだけなので牛乳を入れて流動性を保つ。寒天液も牛乳で用意し、そこにレンジで熱くした粉砕物を入れる。常温のままだと入れた端から寒天が固まる可能性がありダマになるのを防ぐ意味がある。

 投入し弱火で沸騰数分、そのまま容器に長し粗熱を取ってから冷蔵庫で一晩置いた。風味付けにシナモンを入れてあったけれどドライフルーツの風味が勝りシナモン風味は感じられない。試食の第一印象は「キビ糖の甘味」であってフルーツ感には欠けた。とは言えドライフルーツそのものを食べるよりしつこさは減少したので食べやすい。ゴールデンアッサムを渋めに入れて食べて見たのだが、街中の店舗では高級品のセット風なのだろうけれどキッチンで立ったままの試食ではお洒落も優雅も何もあったものではない。とは言え爺我自賛の自己消費品であるから自己満足し午後の一時を堪能できたから祝着至極ではある。


**深川どぶ板長屋啖呵会「ネコババを始終工面の党賊」

2024-02-06 | 合混で闘作すれば

        裏金の決まりネコババあぶく銭

             勝手使いの良き良き銭こ        胡麻の蠅

 

        魚心あるでパー券水ごころ

             あって献金今日も明日も        アサリ漁師

 

        記載せずナイナイパアのあぶく銭      

             打ち出の小槌献金パー券        富籤総代

 

        裏金や軽々しいほど欲の金            丁稚

        春立つや永田めでたし腹立つや          駕籠かき

        これはこれはとばかり銭の横流し         岡っ引き

        便座上げ粗相したけど秘書が拭き         お穢汲み

 

        総和は不変銭函療法

            景色変えても質同じ ハアコリャコリャ   本道医

 

        イケイケネコババ厚顔無恥っち

            舌先三寸割れた舌 ハアコリャコリャ    まむし売り

 

        遺憾であります魔法の言葉

            責任とるとは取らぬ事 ハアコリャコリャ  陰間

 

        不記載どころかネコババごんす

            ババがババ問う茶番会 ハアコリャコリャ  力士崩れ

 

        ただ一面に立ち込めた永田の霧と銭の闇     唱歌

        金漁区掠目大1丁目-U83-75           町名変更

 


今日の薄幸食「出汁滓と小松菜の佃煮」

2024-02-05 | 何よりの楽しみ

 調理滓で作った薄幸食、とは言え能登地震被災者の食事よりは豪華絢爛かつ贅沢になっているだろう。寒冷の中で衣食住さえ事欠く日々は想像に余りあるけれど「道路寸断物流不全」なんて言っていないで動員できる回転翼機をなぜ手配できないのか理由が判らない小生である。それはともかく、はなまめに出汁を吸水させ旨味充満の一品は調理方法と浸透圧であえなく頓挫したのだったが、昆布と鰹節の出汁滓が小丼1杯残っている。これを捨てられる小生ではないのは生まれも育ちも南魚沼の雅な米作水飲み百姓が出自だからだ。

 まずは「佃煮」が第一選択肢としてベストだろうが出来上がり量は小鉢ひとつ分にしかならない。そこでつらつら考えて野菜室にあった小松菜1袋を刻みオリーブオイルと胡麻油を混入させて炒め直したのだ。塩辛く仕立てなかったので箸で摘まんで口に入れても十分食べれる塩分量ではあるけれど温かいご飯に載っけるとアフアフと食が進む。ふりかけに乾燥野菜が入っている商品は普通にあるものの、言わばその湿式版だろう。ご飯のお供と言うだけでなく椀に入れ熱湯を注げば即席澄し汁が出来上がる。市販のインスタント物もあるけれどやはりひと手間掛けた物が飽きずに食べられる。やはり出自が雅なだけに口が奢っているのは仕方がないなあ。