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the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANES買い放題。店ごと買える。
それとは無関係に・・・。


この時期恒例の記事、ジャンボ宝くじ。
愚者の特別税なんて揶揄される宝くじだが、
「買っても当たらないが、買わないと絶対に当たらない」という真理は
頭の中で覆らない。

で、今回も購入したのだが
奇しくも家人がすでに買っていた。

「おいおい、これでは二重購入ではないか。一等前後賞合わせて7億だから
 これじゃあ14億あたってしまう!」


14億円の使い道をいろいろ検討している最中である。

庭の雑草除去を業者さんに頼む。
車のタイヤ交換。
すごくかっこいいポロシャツが1枚欲しい。

これで大体18万。
あと13億9982万円。

思いつかん。




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GITANESをうまそうに吸い込むがあんまりうまくない。
そこにはもう様式美しかない。
それとは無関係に・・・。


他人様に何か職業として「やってもらった」として、
例えばそれが商店でも会社でも公務員でも。

それに対して
「給料をもらってるんだから給料分やることをやっただけだろう。
礼の言葉なんか不要。」と言う人もいるらしい。
そんな当たり前のことを賢しらにどや顔で言う人がいるのだなあ。

そしてそれを口にするのが
「やってもらった側」であったり、全くの第三者だったりするらしい。


そもそも反対だろう。

「そういう仕事なんだからそうすることは当たり前の話です」
と言うのは
「やった側」である。


「(当たり前かも知れないけど)ありがとう」
「いえいえ当然です(当たり前なんだけど)」

というやり取りの様式美に思い至らぬという
楽しみ方のわからぬ奴よ。




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ヌル  




GITANESさえあれば後味などすっぱり切れるのだが。
それとは無関係に・・・。

カツを専門とすると標榜する飯屋でとりのからあげ丼を注文。

一口食べたが、肉の中の方がなにやらヌルヌルする。

たまたま近くを通りかかった店長さんらしき人を小声で呼び
「これって、しっかり火が通ってる?」
と質問した。
「申し訳ありません。お時間をいただくことになりますが
作り直します」との返事。
火が通っていたかどうかコメントはくれなかったが
「気になるのであればもう一回作ります」という姿勢には非常に好感をもった。


数分後運ばれてきた品は、さっきより表面がアツアツで
気合が入っているのがよくわかる。


噛み切ってみたが、中はけっこうピンクだった。

火は通っているのだろうけど、こうなるともう気になって仕方ないし、これ以上言えないし
ちゃんと対応してくれたし、何よりも気の毒なので
そこそこ食べて精算して帰った。


やっぱり、かつの店ではかつを食いなさい。
ということなんだろう。

うどん屋でそばを食うな ということなんだろう。





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GITANESは春になると味が落ちる(※個人の感想です)。
それとは無関係に・・・。


春ですな。

春になると、重いコートを着る訳にはいかないし
軽くてももちろん防寒具を着こむ訳にはいかない。
そうする訳にはいかない職業に就いているからだ。

いやもう、寒さを我慢している感覚はなくて
充分温かいので助かる。夜の帰宅時は少々冷えるが
それもクルマのヒーターが効き始めたら解決することだ。


シャツ好きな私としては、春は待望のシーズンでもある。
これに今ならホップサックのジャケットを着るか、もうちょっと
カレンダーが進んでくると、もう麻のジャケットを着てもおかしくなくなる。


春ですな。

長ーい行列に並んで食パンを買おうとしている人たち。
調子はどうですか?

おいしいよね、その食パン。

でも、食パンの味よ?







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GITANESは花粉と一緒に吸い込むと、殊の外うまい。
それとは無関係に・・・。


毎晩自宅でコーヒーをドリップするようになって1年半ほど経過。
その間、いろいろな店のいろいろな豆を買って試している。
いや好みが定まらないだけなのかもしれない。

概ね、深い焙煎の方が好みに合っているようだ というところまではわかった。
それで、今は結局某ベタな有名チェーンの○○○という豆が一番うまいのだが
どういう訳か、一投目の湯入れで十分に膨らまない豆に2回ほどあたった。
私が買うまでの店内での滞留期間が長かったのだろうか?


また、通販で一度某所の豆を買ったら、それからなにやら押しつけがましくて
かつ「べちゃっとした」メールがばんばん入るようになってしまい、
メールが来れば来るほど買う気が減退する という
不幸な状態に突入している。

欲しくなったら買うから、そっとしておいて欲しいもんだ。



コーヒーが美味い。
春ですなあ。




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GITANESの煙が迷惑か、飛び交う花粉が迷惑か。
窓を開けるか開けないか。
それとは無関係に・・・。


2月が終わってしまう。
ということは3月が始まる。春だ。
3月のかかりがどれだけ寒かろうと関係ない。
カレンダーが春になれば、それは春のスタートで
冬物の衣服を身に纏ってはいけない。
私がいる洋服の業界というのはそういうところなのだ。

じゃあ、その業界に従事している人間は「暑い」「寒い」を感じるセンサーが
壊れているのか、というとそんな訳がない。
我慢しているだけのことである。


さあ、もうそろそろ麻混じりの生地でスーツやジャケットを仕立てる時期なのである。

今年は真っ黒の生地を選ぶつもりである。

シングル2Bのスーツ。
ピークのラペルなんかどうだろうか?

パンツは1プリーツにして裾幅18cmぐらい。
今年も極短ソックスを履く機会が多いだろうから、丈は長くない方がよい。
ボタンは目立たない方がいいだろう。
ベンツはセンターか。

で、そんな服、クローゼットになかったっけ?と考えると、
はい、たくさんあります。

それがどうしたというんですか?

そういう業界にいるんですもの。それでいいんです。



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逆算  




GITANESは最終的にどこへ入れる?
それとは無関係に・・・。


右手小指の、爪の生え際がいつもササクレだっていて
それをいつも無理に引っ張ってしまうから少量の血が流れる。
別になんてことないのだが、衣服に血がついてしまうのはまずいから
絆創膏をぐるりと貼る。


右手小指の先っちょに肌色の絆創膏が貼られていると、どうも白い服よりは
黒い服の方が似合うようだ。
季節感を出そうと思うなら、かなり早いがタートルはどうだろうか?

ウールニットはさすがにまだキツイから、コットン素材がいいだろう。

黒のコットンタートルを着るとなると、思案していた次の誂えは
茶系の3Pスーツなんかどうだろう。
千鳥あたりか。今から注文だとどうせ仕上がるのは9月の末だ。
紡毛でもいいだろう。

靴も茶系のスウェードがいい。Uチップが久々だからそれがいい。


そういえば、一年中黒い革の財布はどうなんだろうかと疑問に思えてきた。
トータルをイメージするなら色を変える方がいい。

クルマのキーのキーホルダーが赤なんだから、赤っぽいのはどうだろうか。
いや、それでは靴と合うのだろうか?


あ、時計も茶革がいいか。

もし愛車がオープンカーだったとして、幌の色が紺なら全体的に締まるだろう。
スーツのブラウンも引き立つ。
アズーロ・エ・マローネ と言うではないか。

眼鏡はやっぱり、




と、頭の中で浪費してみた。

楽しく、空しい。



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GITANESがあればもっと時間が要る。
それとは無関係に・・・。


まだまだ暑いのだが、洋服屋ではもう秋物が並び始める。


さてこの秋冬はどんなスタイルにしようか と、秋冬物の生地を眺めている。
そうしているうちに、一人二人周囲に集まり始め、
「俺はこの生地だ」「いや、あっちだ」
「これからダブルブレストだろう」「いや、S3pだ」
「裾幅は19cm?」「そうだね」
なんて会話が止まらなくなる。


大体、洋服屋なんてところには
ガキのままオトナになったような人間しかいないのである。



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GITANES立てを線香立ての代わりに設置しようか。
それとは無関係に・・・。


ウチには仏壇がある。
時期はまだ確定していないが、これはこの先兄の家に引き取られることに
なっている。それはそれで本来のところに収まるべきものが収まる感じで
いいことだと思っている。

その後、どうしようかと家人と相談した。


まず、我々のどちらかが亡くなったら、
いっそ仏式の(フランス式ではないぞ)供養の仕方を止めないか?という話になった。


次男だから仏壇も墓も新たに用意するのが筋だろうけど、そうであるなら
「初代」ということになるのだから、何かのしきたりに囚われる必要はない。

まず、坊主を呼んで供養するのをやめる。
仏壇がなくなっているのだから、それに代わる小さいモノを目立たぬところに置く。
墓は要るような気がするので、親戚の葬儀屋が所有する墓所に準備する。

葬式は「お別れの会」方式だ。
当然坊主はいない。焼香もない。いや、別にあってもいい。
それがなければどうしていいかわからない という参列者もいるだろうから。

初七日も四十九日もない。三十三回忌もない。
どの宗教でもないので、どのお祭りもない。
戒名不要、位牌不要。


たまに思い出したときに、そのときの気分で
やってあげたい方法で何かやってあげる。


いや、細かい取り決めをした訳ではない。
それぐらい、ゆるーくやろうぜ と話しただけである。


私の死後は、死んだ日の記憶など残らないようにしたい。

誕生日だけ覚えておいてもらって、そして
もう健康を害することはないだろうから
GITANESを墓前にたくさんちょうだい。



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GITANESなら4本分の時間。
それとは無関係に・・・。


仮面ライダーではアマゾンが最も好きだし、書斎はアマゾンの箱で
溢れかえってはいるが、そんなにアマゾンに依存しているわけにはいかない。
こちとら日本男児だ。

ということでリアル書店へ行ってきた。
家人とは別行動になり、ちょうど1時間自由行動だ。
ちょうどいい。1時間ぐらいでは大した買い物にはならない。


で、雑誌や本の物色を始めた。
雑誌は当然仕事の資料、本は暇つぶしだ。


ところが見通しが甘かった。

1時間も与えられてしまったら、どんどん買い物は増殖し続けるのである。
どんどん増える。

それでまた「ところが」と言わざるを得ないのだが
どんどん買いたい本が増えていくとどんどん重くなる。
本の重量のせいで書店内をうろうろするのが辛くなってくる。

仕方ないから、一度は腕に抱えた本をどんどん棚に戻し始める。

基準は「重いかどうか」である。
重い本を重点的に戻していく。
上手くしたもので、重い本はイコール高額な本でもある。

両腕が軽くなると、どんどんトータル金額も抑えられていくのだ。


てなことをやっているうちに、1時間なんてあっという間に過ぎてしまった。


いいなあ、やっぱり書店はリアルに限る。




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GITANESはやや太い。いや、そんな気がするだけ。
それとは無関係に・・・。

ガリガリと言っても、私がやせ細ってきた訳ではない。
なにしろ病気は切り去られ、いたって食欲旺盛だからだ。



朝食時、夕食後、休日の昼下がりには自分でコーヒーを淹れる習慣がついてしまった。

合わせる食事内容や気分やらに応じて、豆を変えたり
豆を細くおろしたり粗くおろしたり、量を微妙に変えたり、落とすスピードを変えたりするのが
今のところ面白い。
ペーパードリップだから、一部の人からは「ペーパーなんてどうやっても同じだ」と
言われるのかも知れないが、自宅でのことだから好きなようなやるのだ。



ガリガリ
というのは、コーヒーミルで豆をおろす音である。

どうやってもそれなりの騒音が生じるのは仕方ないのだが、うちには手動式のコーヒーミルしかない。
これがなかなか一日トータルでは重労働で時間もかかる。
一昨日など来客があり、コーヒーを飲みたい人間が5人もいたもんだから
豆を70数グラム挽く羽目になったが、目下軽い筋肉痛になっている。


やっぱり電動がいるのだろうか?
でも、絵的には電動はいかがなものか とも思うし、難しいところである。


さて、いつもオヤジの遺影の前にもコーヒーを置く。
しばらく経つとほんの少量減っている。

あの分はどこへ行くのだろうか?





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GITANESの匂いが風にのってやってきたら逃げる。
それとは無関係に・・・。


自宅のすぐそば、直線距離では大体300ヤードのところに
小学校がある。


朝早くからマイクテストらしき音が風に乗って流れてきた。
運動会だ。

天気はなんとか保ちそうだし涼しいし、児童も応援の家族も
快適に過ごせるだろう。



周辺には児童の家族と思われる人たちがどんどん集まりつつあった。
どの顔も何やら半笑いだ。
なんとなく楽しいのだろう。


私は駆けっこも速かったので(何しろ中学野球部時代の中1デビューは『代走』だった)
運動会も楽しかった記憶がある。
今になってやっと思い至るが、運動が不得意な児童からすると
楽しいことも何ともなかったのではなかろうか。

それでも非日常は味わっていただろうし、見物家族もそうだっただろう。



学校は主に勉強する場であるから、児童は勉強については日常的に
他の児童と競ったり競わされたりしているだろう。それは仕方ないことだ。
で、たまの非日常が自分の「得意なフィールド」だったらいいのだが、
別に運動も得意ではない者もいる。

校内料理大会もあればいいのに。
日頃おかあさんの手伝いをやっている子は絶対に有利になるはずだ。

音楽大会フリー部門があってもいいかも知れない(大口あけて歌うことを強要される合唱大会は毛嫌いしていた)。
創作マンガコンテストなんかは盛り上がるだろう。
個人的には大喜利大会が見てみたい。

それでも全児童がヒーローやヒロインになれるだけの場を用意するのは無理だ。
そんな時間やゆとりはないし、ひょっとしたら一番になれなかったことが個々人にとって
有意義な教育になっているのかも知れない。

せめて運動会で全員が非日常を満喫できればいいと思う。




ラジオ体操のメロディが風に乗ってやってきた。

なんとか雨が降らなければいいが。





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GITANESの香りは残念ながら、
それとは無関係に・・・。


自分や家人が体調不良で寝込んでいるとき、
いつも思い出すことがある。
いや別にノスタルジックな話ではない。
また、寝込むと言っても風邪程度のことだ。


子どものころは狭い長屋に住んでいたので
家族人口密度は高かった。
寝室などないので、居間に毎晩布団を敷いて寝る訳だ。
で、風邪で寝込むとなると
就寝時間でもないのに居間に布団を敷いて寝かせられることになる。

生活音がやかましく、食事の匂いもダイレクトだし
ちょっと眠りたくても電気(照明)を消してくれないので
精神衛生上もそれほどいい環境で寝込むこともできなかった。


それでも風邪程度なのだから、数日で回復する。



「あ、治った!」と自分でわかるポイントがあった。


目覚めたときに誰かの朝食の
コーヒーとトーストの匂いが、やけにおいしそうに感じたのだ。

そうなったらもう体温計など必要なかった。
食欲が帰ってきた。ああ、治った。


いつものパターンだった。



親子がひしめき合って暮らしていた環境に
今更戻りたいとは思わないが、それでもまあ、
稀にそういう利点もあったのだ。


ウトウトする家族の姿を見たとき、
たまに思い出す。

いや、それだけのこと。





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GITANESを嗜好すると気が長くなる。
それとは無関係に・・・。

ここに書斎についての記載頻度が多いのは、何を隠そう
私が書斎フェチだからである。
それがどうした文句があるか という心境でいつも書いている
のでご容赦願いたい。

パチっと壁のスイッチをいれると、むき出しの蛍光灯が光る。
そうだ、イニシャルコスト節減で最も安い照明器具が天井にへばりついている。
偽物のLCソファに座り棚を眺めるのが日課になっている。

書斎でじっくり腰を落ち着けて本を読むということは滅多にない。
立ち読みが止まらなくなることはしばしばあるが。


 現在の住まいに引っ越してくる際に本の山を随分処分したので
手持ちは1500冊ぐらいにはなった。
ちょっとは広くなった書斎の棚にはあと1500ぐらいは増やせそうなので
気が楽なような、重いような、不思議な感覚を日々味わっている。


インチキLCソファに座るときは歯ブラシ片手だったりアイスコーヒーのグラスを
持っていたりなぜか着替えしながらということが多い。
インチキすぎて、座ると「バリバリバリッ」と大きな音を立てるソファが
結構気に入っている。


棚に並ぶ背表紙を眺めていると、
「あの本があそこに並んでいるのはおかしい」と、本を移動させる。
そうすると、「じゃあこれがこっちにあるのはおかしい」ということになり
それも移動させる。
「これがこっちならこの一列全部おかしい」と、大規模なレイアウト変更が始まる。

またあるときは、
「あ、もうこの本は二度と開くことはないだろう。整理の山(処分待ちのために
 積み上がった本の山)へ移そうか」と思い立ち、
「あれが整理の山行きなら、これもそうだなあ。」
「あれとあれがそうなら、これもそうだけど、でもこれは棚に並んでいた方がいいに決まっている」
「じゃあ、とりあえず全部戻そうか・・・。」で、元あった場所に本は返される。


背後には未読コーナーがある。
文字通り「まだ読んでいない本の場所」である。
かなり減ってきた結果、100冊ぐらいにはなっている。
『本屋とアマゾンがストライキを起こしても、しばらくはいけるぞ!』
という心の余裕は必要なものだ。


一冊を抜き取り読み始める。
ところが、お気に入りのソファはなにしろインチキLCだからすぐに疲れる。
仕方なくリビングへ移動。リビングにはそれなりソファが待ち構えている。
それに寝そべってゴローンと転がり、さあ読もう。

読み進める。

ちょっと疲れてくるので休止。
はじめからはさまっている紙製のしおりを挟みなおす。
このしおりが見当たらないときは、そのへんにあるものを適当に挟む。
ハンカチの場合もあるし、新聞紙の時もある。座布団を挟んだ時もあった。
ビスケットを挟んだ時は、さすがにあとで大惨事になったので
それ以来活用していない。


再び読み始めるが、また疲れる。姿勢が悪いのだろう。
ポイッ、と本が傷まないように放り出す。
目をつぶってウトウトする。


何かの拍子で目が覚めると、またすぐに続きを読む。
何度かこれを繰り返すと、もう陽は完全に沈んでいる。
犬の散歩に出かける。
帰宅して、夕飯の準備を手伝うかどうか3秒ほど迷った結果、
ソファに座って本を読むことを選択する。許せ家人よ。

さあ、読もう。


キッチンからいい匂いが漂ってくる。カレーだ。

読書どころではない。


あ、そういえばあのカレーの本があったはずだ。
書斎に戻る。
目当ての本が見つかったので、インチキソファに座ってパラパラページをめくる。

晩飯のカレーが気になって仕方ない。

やむなくカレーの本を閉じて書斎を出た。




というような平凡な日常を送っております。
毎度ありがとう。






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GITANESはたしかに珈琲と合う。
でも日本茶にも合う。
それとは無関係に・・・。


意外だと思われるのだが、実はわたくし、
コーヒーにまったくコダワリがない。
缶コーヒーだけは飲まない・って程度の自分ルールしか持っていない。


それが、ここ最近エスプレッソを飲む機会があって、
「なんじゃこりゃ、美味いなあ」と感じるようになっていた。

なっていた というのは、知らぬ間にそういう嗜好になっていたからである。


いやあ、なかなか美味いもんだ。


そうなると必然的に思い出すのが、どこか押し入れの奥のほうで
ひっそりを息を潜めているエスプレッソマシーンのことだ。


10年ほど前に数万円も出して買ったのに、多分3回ほどしか使っていない。
1回1万円ではないか。1杯1万円ではないか。
こんなアホな無駄遣いがあるか!


と、数日以内にその機械を引っ張り出して
今度こそはこき使ってやろうと考えている。

問題は、どこにあるのかまったくわからないという点であるが。


でも、コーヒーにこだわり始めると、
人生がややこしくなりませんか?

バスタオルとフェイスタオルを分けるだけでも面倒な人間なのですが。






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