the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESが吸えないのならどうしようもない。
それとは無関係に・・・。

街中だが目の前が比較的大きい公園になっている。
そんな立地に、様子のいい店があるのを見つけた。

カフェだ。

仕事の帰り、いつもとは違うルートを通ってみようと
クルマを走らせているときに見つけた店である。

夜の公園は暗い。
その店は、その暗がりにぽっかり浮かぶように
あった。
浮かぶように見えたのは、店内の照明がまことに
ちょうどよく、公園の暗がりとコントラストを
作っているからだろう。

その店は、昼間はそれなりににぎわっているらしいが
私が通る夜の時間帯は客もまばらで、観葉植物の
影が浮かび上がるばかりである。
レジカウンタと思われるところにはスタッフらしき
人物がふたりほどいて、椅子に腰かけているようだ。

その店が入っているそれほど新しくないビルは
外部に照明がひとつもなく、照明を仕込んだサインも
なく、だから店内照明に照らされるそのカフェの店内
の様子が、大きい窓から浮かび上がっている。

エドワードホッパーのナイトホークスといえば
私が大好きな絵なのだが、その絵から緊張感と
そして暗い予感をほとんど取り払ったような、
その店にはそんな空気が漏れている。


店のすぐ手前で信号待ちする機会には、通り過ぎるだけ
の日よりもさらにじっくり観察してしまう。
とてもゆったり時間が流れているように見えるのは
その時間帯にはその店は暇だからだろう。

前を通り過ぎる一瞬、あるいはそこから数分間
頭のなかで妄想するのが気に入っている。
どのようなメニューがあって、どんなオーナー、
どんなスタッフが働いていて、そして今日はどんな
客が来て、どのような会話があったのか。
まるでドラマのようなことが起こったか、あるいは
何事もなくただ、晴れた日に過ぎなかったのか。
そのような妄想が、仕事終わりの帰途に頭を過るのが
気に入っている。

私はその店に立ち入ったことは一度もない。
そして今後もおそらくない。
しばしばその前をクルマで通りかかるだけだ。

はてそんな店がどこにあったっけ?
土地勘のある方は詮索するだろうが、
そんなことどうでもいいではないか。

街中の暗がりにぽっかり浮かぶ、
様子のいい店がどこかにあるというだけで
充分いい話だろう。





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GITANESがあれば完璧だった。
それとは無関係に・・・。

ゆっくり寝すぎた休日。
リビングの丸テーブルにパソコンや原稿を広げて
何の因果か仕事する。
休みだろうが何だろうが、締め切りは迫るのだ。
日よけを取り付けたので真夏の窓辺でも座っていられる。
外には真夏の緊急避難用のゴムプール。
キラキラゆらゆらと水面が動いて「今すぐ仕事など
やめて飛び込め」と誘惑している。

ヘッドフォンで音楽を聴きながらでも、仕事は進む。
最近はフランス語の唄をよく聴いている。
何を言っているのか見当もつかないのがいいBGMになる。
オフィスにいるときよりも捗る。
電話も入らないし別件も飛び込んでこないし
腹もそれほど鳴らないからだ。

頭の中でレイアウトしながら原稿を書く。
調べもの、特にスペルを確認しながら書くのだが
まったく便利になってきた。
昔なら電話をかけまくったり人に会ったりする必要が
あったはずなのに。


一通り原稿書きが終わったらそれを送信して終了。
今度は裏庭の草刈り。これがなかなかの重労働。
汗が流れ落ちる。腰が痛い。

で、それが終わってゴムプールに飛び込むわけだ。
ゆらゆら水面とシンクロして揺れながら
昨日届いた本を読む。

という、まことにありがたい休日。






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感謝  




GITANESをろうそく代わりにして祝いたい。
それとは無関係に・・・。

このブログを開設してから、約35万人以上の人が
訪問された。
そしてとうとう「閲覧記事(ページ)数」が100万回
を超えた。
つまり、35万人の人がアクセスしてくれて
累計100万の文章を読んで呆れた ということである。

途中で随分削除したページもあるが、総記事数は
2200以上になっている。
くだらないことでも継続さえしていれば
数字上はそれなりになる ということの証明だ。

もちろん、書いて投稿しているだけでは
100万回読まれることもない。
すべては訪問者・つまり貴方や貴女のおかげ
なのである。
ああ、1記事につき1円でもいいから
有料にしておけばよかったと思わぬでもないが
とにかく、おつきあいいただきありがとう。

SGCはまだまだ続くことをお約束します。


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GITANESのジ の字も知らぬ頃。
それとは無関係に・・・。

ハタ君の家は、川沿いの道で八百屋をやっていた。
八百屋だけど、いろんなものを売っていた気がする。
私の家からは歩いて走って10分ちょっと。
友達になったのは小学校入学で、同じクラスになったから。
幼稚園のときはハタ君はいなかった。
他の幼稚園に行ってたのか、近くの保育園だったのかはわからない。
いつもニコニコしていたハタ君と、すぐに友達になった。
小学1年生だから、別にどこか遠くへ一緒に出掛けるということも
ない。ただ、たまに向うの家に遊びに行ったり
うちの近くの空き地や裏山で遊んだり、学校で遊んだりする仲だった。
どちらかというと私の方がやんちゃ坊主だったので
きっと一方的に迷惑をかけていたと思う。
それでもハタ君はニコニコしていて、一緒にいろんなところを
走り回ったり探検したりしていた。
教室ではヒステリックな先生にボロクソに叱られた私に
おどけた顔、おどけた動きでなんとか笑わそう・温めようと
していた。いや彼が、誰かが怒鳴られているという雰囲気に
耐えられなかっただけかも知れないが、
『そんな顔しても、オモロないねん・・・』と言う私に
しつこくしつこく構いにくる子だった。


1年生の終業式で先生がハタ君を前に呼び
皆に言った。
「ハタ君は残念ながら引っ越しして転校していきます。
2年生からは他所の小学校に行くことになりました」
ハタ君はにこにこしながら、何やら言っていた。
そうか、ハタ君とはもうすぐ会えなくなるんだ。
そういう経験がなかったから、どうしていいかわからず
私は無駄にテンションが高かったように思う。
ハタ君とは下校ルートが違うのに、ハタ君の家の方まで
なんとなく一緒に帰って行った。
「なあ、いつ引っ越しするん?」
「うん、なんかあさって って言ってたよ」
「そうなんか」
「うん」

その日、一旦ランドセルを置きに帰り
すぐにハタ君の家に誘いに行き、近所の空き地で遊んだ。
次の日は裏山で、他の何人かの友達も一緒にハタ君と遊んだ。

その次の日も、ハタ君の家に行った。
お店はたたまれ、荷物がほとんどなかった。
前にトラックが停まっていた。
ハタ君とお母さんがいた。
お母さんが
「あらあら、さすがに今日はもう遊べないわ」

あ、そうか。引っ越しの当日って、遊べないんだ。

ハタ君のお母さんが、ビスケットを私に持たせた。
普通に市販されているビスケットだった。
ハタ君ちの店の売り物だったのかもしれない。
「今までずっと仲良く遊んでくれて、ありがとうね」
とお母さんが引っ越しの手を休めず言った。
どう返事していいかわからず、黙ったまま回れ右をした。

振り向いたらハタ君はニコニコしたまま
こっちを見ていた。

「ハタ君!!」
「はいよ!」

なんて言ったらいいんだろうか。
お礼かな、なんだろう・・・。

「ハタ君!!バイバイ!!」

ハタ君はなんだかクシャクシャの、それでも
過去最大級のニコニコ顔で

「うん!!バイバイ!!」

と、私と同じぐらいの大声で返した。
周りのオトナたちが少し笑っていた。


また回れ右して、川沿いの道を走った。
ビスケットを落とさないように両手で持って、走った走った。

「なんで、こんなときみんな笑えるんやろなあ・・・。」

家まで走った走った。
土手沿いは桜で白とピンクで染まっていて
それが眩しくてあんまり見たくなかった。
川面も染まっていた。


それから一度も、ハタ君とは会っていない。






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GITANES日和が懐かしい。
それとは無関係に・・・。

前日のうちに、次の日着る服を用意する習慣がない。
漠然とは想定するものの、やはり目覚めたときの気温や湿気、
これからどうなっていくかの予想、そして何よりも
どんな気分なのか・がわからない内に着るものを用意する訳にはいかない。

スーツというのは基本的に、寒い時期にも暑い時期にも向かない衣服である。
それを例えば、しっかりとした目付の生地とかフランネルの生地を選んだりして
真冬を過ごす。
もちろんズボンの下にもう1枚履いたり、シャツの下に暖かい昨日の
下着を着込んだり、またコートやマフラー手袋を駆使してなんとかする。
それでも基本的に、真冬はスーツを快適に着るシーズンではないだろう。
そもそも厚着しなければならない時点で、適していない。
もちろん個人的な感想だ。


最高気温の予想が5℃前後なんて日は、スーツ着用をあきらめる。
あきらめる自由がある職種だからできることなのだが、そうさせてもらう。
15℃近くなるとこれはもう、スーツ日和だ。加えて
雨が降らないなら。

下にいろいろ着込まずに、コートを着たり脱いだりする必要もなく、
手袋をどこかへ置き忘れる心配もせずに、着用感が軽いスーツが着られる環境が
スーツ日和なのだ。

スーツ日和にしかスーツを着用しない・という訳にもいかない事情もあるが
せめて気に入ったスーツはスーツ日和に着たい。

そろそろスーツ日和が増えてくるシーズンである。
そしてその後は、麻のスーツが出番を待っている。

今夏には、オリーブ色の麻スーツを着る予定である。
もう冬には飽きた。





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GITANESも屋外なら吸っていいじゃないか。
それとは無関係に・・・。

休日。
ポカポカ春っぽい陽気なので昼メシは庭で食う。
身内が犬連れでやってきて、皆でスパゲティ・ナポリタンを
食べようということになったらしい。
ところがどっこい、私はナポリタンが嫌いなので
1人別の味付けにする。
バター醤油味、大量のネギ。
で、柚子胡椒を投入したのだが量が多すぎて
「陽気」以上の発汗作用にびっくりした。
身内が連れてきた犬はミニチュアダックスで、まだ生後3か月ほどか。
それにしては大きい。
きっと世界最大のミニチュアダックスなんだろう。
紫陽花とこでまりの新芽を一生懸命齧るミニチュアダックスが憎たらしい。


そのうち隣接している身内も参加して賑やかになってきたので
屋内に引っ込み、某球団の練習試合をテレビ観戦。
ずっとソファに座って動かず眺める。

日が暮れるまでその状態で、ときおり須賀敦子全集第2巻を読むが
なかなか進まない。
進まないのが愉しいのは、鈍行の旅が好きだという人と
どこかに通っているような気もする。

陽が落ちてパーカを羽織り書斎整理。

何事もなく、ぼんやりとした日。



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GITANESの匂いが漂ってきそう。
それとは無関係に・・・。

内田洋子氏の著作をすべて読むようになった。
「ジーノの家」の書評を読んだのがきっかけで購入し、
読み終わるや、既刊の著作をすべて購入し読みつくした。
現役の方だからもちろん今後も著作は出版されるし、それが楽しみになっている。
そこそこの年齢になってもこうやって、新たに作家が広げる世界に
没入し、没入といいながらでも俯瞰で眺めながら楽しむことができるというのは、
つくづく、本を読む習慣を持ちあわせていてよかったと思う。

他人が勝手に書く書評などまったく無視してきたが
最近では書評が大きい指標となっていて、何か本を買うときの参考となっている。
これは通販で本を買うことが多いためで、パラパラとめくってみる訳にもいかないから
立ち読みのつもりで書評を読む訳だ。


内田洋子氏の書く舞台が『イタリア』で、その『イタリア』つながりかと
思われるかも知れないが、本当にまったく関係なく、まったく偶然に手を伸ばしたのが
『須賀敦子全集』である。文庫で全8巻。
これも、まったく須賀敦子氏にまったく予備知識なく、書評に惹かれて購入した。
これがまた、面白い。

最近では毎夜入浴中に、1,2章ずつゆっくり読み進めるのが楽しみになっている。
残念ながら故人であるゆえに、著作がこれ以上ふえることはない。そういう理由もあって
ゆっくり読み進める。

どの話も、もちろんすべて違う話であって定型がある訳でもないが、どの話も
その終わり方に特徴があるように思える。
まるでスルリと、手に持っていた風船の紐が離れていったような感覚で終わる。スルリと。
もちろん私個人の感想だ。
そしてそれは内田洋子氏が書く本のしっぽにも同じ感覚をおぼえてしまう。

二人の著作は運び方も違うし、起伏やスピード感、思い浮かぶ色合いもまったく異なるのだが
スルリと離れていってしまった風船の紐の代わりに、手には残心のみがあるような
その感覚だけは似ているように思える。


最近風呂では須賀敦子氏か内田洋子氏の著作を読みがちである。
そんな調子だから、しばしばのぼせ気味である。







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GITANESを吸うだけなら電力は要らないが。
それとは無関係に・・・。

昼間たまたま自宅にいるときなど、固定電話がよく鳴る。
大体は
●家のリフォーム
●太陽光発電の勧誘
●電気代が安くなる・電力会社乗り換え
に分類される。

この、「電気代が安くなるから電力会社を乗り換えろ」という勧誘は
まだそのビジネスモデルが持続できるのだろうか。
というのも、この年末年始の電力不足で顕わになったのが
●安くなるときもあるが、稀に高くなるときもある。
という事実にきづいた人が多いからである。
そして今シーズンその「稀」がやってきた訳だ。
人によっては前月の数倍の使用料となってしまったらしい。
普段安くなるというのは、普段じゃないときに高くなる
という理屈は客観的に見ればすぐにわかるはずなのだが
当事者になるとなかなかそれを認めることはできない。

売電業者もそれがそのまま使用者に請求したのかどうかは知らないが
国に「助けてください」と泣きついているらしい。
発電施設を持たず、電気を仕入れて売るというリセールの商売が
仕入れ値が高騰したら売値を上げるか、上げる訳にはいかないと思ったら
自社で抱えるかの二択になる。
そして、そのいずれもイヤだから「卸売価格が高騰して儲かっただろうから
それを返せ」と言っている図式のようだ。
電力自由化の名のもとに数百社生まれた新電力なのだが、
「商売に失敗したから金を返すように言ってくれ!」と監督省庁に要望を出す。
これが「自由化」であるらしい。
便利なことばなのだ、自由化って。





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GITANESなどまだまだ知らなかった時代。
それとは無関係に・・・。

ラジオ体操なんて行きたくはないが、2学期が始まったら暴力的な先生が
うるさいだろうから仕方なく早く起きる。

神社でラジオ体操。
5年生6年生は石段の上で手本のように体操をやる。
下級生の我々から見ると大人びていて眩しい。

自宅に帰ってももちろん寝床など
とうに払われていて、もう一度寝ようなんてことはできない。
大体、そんなことしようものなら母親からゲンコツが飛んでくる。

クーラーなんてまだ自宅になかった。
扇風機が忙しそうに、右に左に首を振っていた。
羽根に向かって「あーーーーーー」なんて声を出して遊んでいると
「夏休みの宿題!まだ全然やってないやろ!」と母親の声。
最初から疑ってかかっている。
やってないけどな。


適当に宿題をやって、昼ご飯。え、ソーメン?
そんなの、チカラ出ないよ・・・。

昼過ぎ、ソワソワし始める。もうすぐ学校のプールへ行くために
また神社へ集合の時間だ。
上級生が引率する。
ラジオ体操は行きたくないけど、学校のプールだけは欠かさない。
何があっても欠かさない。

プールから帰ってくるとどっと疲れている。
それでも近所のみっちゃん(男)やタケシが誘いに来て
遊びにでかける。
単純に山へ登って遊ぶか、空き地で野球の真似事をするか、
なんだろう。
それとも、ワイドショーの心霊写真特集を見るか?
でもあれ見てしまったら、夜中にトイレに行けなくなるし・・・。


晩ごはん。その後に、スイカ半分がどんとちゃぶ台に出てくる。
兄、姉とそれを食べる。
開けっ放しの窓からは、蛍の群れ灯かりが明滅している。

蚊帳にもぐりこんで、ねる。



次の日も同じ。
また次の日も同じ。毎日同じように、楽しい。

そして、ある日
空き地を飛んでいるオニヤンマたちが減っていき、
なんだか違うトンボばかり飛ぶようになる。
赤とんぼが主役になる。

そうすると、まだまだ暑いのに
夏休みの残りが少ないことに気付く。

あぁあ、まだ宿題終わってないのにな。
まだ、もっと遊びたいのにな。
暑いけど、学校のプールもあるし、楽しいのにな。
もっと夏休みが続いてくれるのなら、ラジオ体操も我慢して
通うのになあ・・・。

キラキラの夏休みは終わって、
しかしながらキラキラの2学期が始まる。

クーラーもないが、
夏バテなどなかった。
小遣いも毎日使い果たして、体力も毎日使い果たして
それが夏休みだったと思う。
こんな贅沢な夏休みの記憶は、ずっと枯れないままである。






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GITANESももちろん携行していた。
それとは無関係に・・・。

冬ではあるが晴天。
こういう日はあまり人がいないような場所までクルマで行って
ぼーっとしてみたい衝動に駆られる。
冬なのだが、日なたの車内はポカポカして
エンジンをとめてエアコンなしでも快適にいられるような天気は
素晴らしい。

昔よく行ったのがそこそこ大きい川の河原である。
河原と言っても、舗装こそされていなかったが整地はされているような
場所だった。

休日の昼前に出かける。
オフィスのすぐ近くに大きめの書店があり、そこに向かう。
30分ぐらいかけて2,3冊の本を選び買う。1冊に絞ってしまっては
万が一その本が期待外れの場合すべてが台無しになってしまうからである。

ハンバーガー屋でハンバーガーと飲み物をポテトを買う。
トイレに行っておく。

河原に向かう。
川面がキラキラに光っていて、何をするでもないのに気分が逸る。
ポツンポツンとクルマが止まっている。営業車も何台かある。
ダッシュボードに足をのせているのは、多分昼寝をしているんだろう。
クルマのボディに社名が書いてあるのに。
SNSもない時代だったからのんきなもんだ。

他のクルマから顔が判別できないぐらいの距離をとって停車。
ステーションワゴンの後部座席を前に倒し、荷台を広くする。

エンジンを停止させる。
遠くのクルマの音、鳥の声、鉄橋をたまに渡る電車の音しか聞こえなくなる。
風にのって、遠くのグラウンドから野球している声も届く。


胡坐をかいてハンバーガー。もちろん本を読みながら。
食事が終わると寝転がる。本を読む。たまに身を起こし川を眺めるが
別に面白い風景でもないからすぐにまた本を読み続ける。
ウトウトする。また本を読む。


日が傾いてきて暖房なしではいられなくなったり、暗くなって本を読めなくなる、
あるいはトイレに行きたくてどうしようもなくなった時に終了。
なぜかすぐに帰宅する気にならないから、どこかのトイレに立ち寄り
そのまま小ドライブ。別に楽しくはないが「何もしていない感」が心地よい。
大体その頃はマジックアワーに近いので、海岸付近をゆっくり走る。

そうやって休日を過ごすのが好きだった。

一回目の結婚生活を送っていたときだったか。もう時期は忘れてしまった。




今はその河原は立ち入り禁止になり、書店は閉じられ建物もなくなってしまった。





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GITANESの味だけは、いつでも口中にリアルに再現できる。
それとは無関係に・・・。

もう12月。
12月はどう考えても冬なんだが、昔はもっと寒かったような気もする。
いや、毎年12月のはじめには同じようなことを感じているようだから
ずっとこの時期はこんな気温だったのだろう。

朝とか夜にリビングで一人座っているときは寒く感じるのだが
例えば通勤はクルマだし、駐車場はオフィスと至近距離だし
寒がっているような距離じゃないから、冬を実感できる機会が
少ないのだろうとは思う。


子供や学生のころはどうだったか。

少年野球チームに所属していたころは、寒かった。
雪が降ったときのことばかり思い出される。
とにかく寒かった。
しかし、考えられないほど薄着だったからかもしれない。
Tシャツの上にアンダーシャツ、その上に当然ながら半袖のユニフォーム。
因みにユニフォームには夏物・冬物なんて区別はなかった。
下もユニフォームのズボン。中になにかもう1枚履くような習慣も
なかった。
あまりにも寒いときは監督からスタジャンを着る許可がでる。
それでもナイロンペラペラの一枚物で、何の防寒機能もない。
そりゃあ寒かっただろう。
しかし、元気ではあった。そういう環境下で野球をやっていた。

中学生・高校生のころはどうだったか。

中学校へは徒歩通学。これはまったく暑い寒いの記憶がない。
高校へは駅から自転車。これもあまり記憶がない。
夏冬兼用の学生服上下。ズボンの中には下着1枚だけ。
学生服のしたは、Tシャツ、ワイシャツのみ。セーターの類は着なかった。
コートなど外套もなし。その代わりマフラーは巻いていた。

それで駅・学校間を自転車で移動していて、寒さの記憶があまりない。

その記憶よりも、雨の日に雨カッパを着ないで、傘だけで通学していたのを
鮮明に覚えている。
それなのに、学校へ到着してからどう過ごしていたか記憶がないのだ。

片手でハンドルを持ち片手で傘を持つ。今となっては危なっかしくて仕方ない。
それで自転車をこぐわけだが、当然身体や衣服は濡れる。
強い雨でも同じスタイルだから、おそらく全身ずぶ濡れになっていただろう。

それなのに、そこから着替えていたという記憶がない。
置きっぱなしのジャージに着替えたこともあったと思うが、基本的には
濡れたまま平気で授業を受けていたと思う。
どうしてあれで風邪をひかなかったのか、今でも不思議に思う。
今ならあれだけ濡れたら大騒ぎだろう。
そんな不快な状況のまま、何事かを過ごすなんて考えられない。

これが老化なのか分別なのか。
あるいは、「若かったなあ」というだけのことなのか。



12月に入った。
寒い。
しかしまだ、12月っぽい寒さではない。



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GITANESって、今1000円でどれだけ買えるんだろうか。
それとは無関係に・・・。


選挙のたびに何度も言う。

投票行ったら1000円ちょうだい。
不謹慎なのはわかってる。
権利行使に金を要求するなんておかしい という意見もわかってる。

でも確実に、投票に行く人は増える。

数百円では行かない。
3000円では多すぎる。

絶妙な1000円。



投票に行かなかったら1000円罰金 よりはずっといいだろう。



さて、投票所を出たらすぐにいくつかの「募金箱」を並べておく。
用途別にする。

○○県水害復旧基金 もあるだろう。
○○地震義援金   もある。
こども福祉ナントカ も並んでいる。
難病治療研究費支援 もあってもいい。
なんとか動物園のパンダの餌代 というのもある。

投票所でもらった1000円は、自分で選んでこれらに直接寄付する。
もちろん自分の財布にしまってもいい。


投票率が上がらないのが困る人も、それをオイシイと思う人もいるだろう。
だが、投票率が高くなることで社会は少し変わる。
いや、どう変わるか予想はつかんが、変化を望まないから投票率は低いままでいい
ってことはないだろう。それこそ不謹慎である。

啓蒙にも金はかかる。
言葉やビジュアルだけで伝わるのならそれが本来ではある。
しかし現実には難しい。

「投票に行かないのも一つの意思表示だ!」
はいはい、わかったわかった。


1000円ちょうだい。





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元号  




GITANESの煙たなびく。
それとは無関係に・・・。

花のいいシーズンだ、ってことで集まった。
見てみ、見事な花。
蘭の香りも流れてくる。
それだけじゃなくて、ほれ、見事な景色。

膝寄せ合って杯を重ね合っていると
もう言葉もなくなるが、リラックスできる。
いや愉快、満ち足りる。

詩歌でも作らないとこの感情をうまく表現できない。
昔から梅を歌ったものはたくさんあるけど、ちょうど
こんな感じやで、多分。

さあ、いっちょ我らも作ろうか。



という、千数百年前にできたポエム集の
「梅コーナー」のイントロから元号を取る。

多数の人が万葉集を開いてみた という効果があっただけでも
良いことじゃなかろうか。


悪意に解釈するのも自由だけど、これを面白がる方が

「淡然と自ら放し、快然と自ら足る。」

というものじゃありませんか。






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GITANESはもともとブルーだから、それでいい。
それとは無関係に・・・。


ちょっとした連休明け・というような状況では
「やっと仕事が始まる!腕が鳴るぞ!」という人もいるだろうけど
多くの人は
「ああ・・・もう休みが終わってしまった・・・。ああ・・・仕事だ・・・。」
と思うものだろう。
個人的にはどちらかと言うと、前者とはあまりお友達になれないと思う。


ある人があるところで言っていたのだが
「明日から仕事再開でブルーだが、新しい靴を履けるので
気分はそんなに悪くない」
とのことだった。

とてもシンプルで素敵な解決策だ。

そうか、連休明け初日には新しい靴が履ける!とか
新しいスーツが着られる!新しいバッグが、新しい時計が!
という、気分があがる仕込みをしておけばいい訳だ。

いいなこれ、早速真似してみよう。



と思ったけど、そもそもあんまり長期休暇がない。



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GITANES買い放題。店ごと買える。
それとは無関係に・・・。


この時期恒例の記事、ジャンボ宝くじ。
愚者の特別税なんて揶揄される宝くじだが、
「買っても当たらないが、買わないと絶対に当たらない」という真理は
頭の中で覆らない。

で、今回も購入したのだが
奇しくも家人がすでに買っていた。

「おいおい、これでは二重購入ではないか。一等前後賞合わせて7億だから
 これじゃあ14億あたってしまう!」


14億円の使い道をいろいろ検討している最中である。

庭の雑草除去を業者さんに頼む。
車のタイヤ交換。
すごくかっこいいポロシャツが1枚欲しい。

これで大体18万。
あと13億9982万円。

思いつかん。




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