GITANESにまつわる年賀状を何度か送ったことがある。
それとは無関係に・・・。
「今回をもちまして」とか「来年から」
『年賀状を送るのをやめます』という知らせが相次いだ。
勤め先については先日も書いたように会社の「虚礼廃止」に伴い、
社内従業員間の年賀状やり取りはほぼ全廃されたが、知人・友人
だけでなく親戚の多くが「年賀状やめます」と宣言してきた。
不思議なのは
「年賀状を送るのをやめます」とは言ってくるが「だからあなたからの
年賀状も不要です」と言ってくる人は皆無である。
年賀状送るのやーめた、というのもなかなか不遜だが、
お前のも要ーらない、というのもすっきり無礼である。
でも、年賀状を送らない時点で(宣言するしないにかかわらず)
無礼なのだから、これでいいのだろう。
郵政省も、ハガキの値段を35%上げたら、年賀状の数が34%
減ったとのことだ。
これで「値上げして枚数減ったのなら意味ないではないか」
と批評する人もいるらしいが、枚数が減って売り上げが同じなら
それはそれでおいしいのではないかと思うのだがどうだろうか。
電子メールがほかの通信手段を席巻したころは、「これで年賀状の
やり取りが減るんじゃないか?」と思ったが、少なくとも私の
身の周りではそれほどの変化はなかった。
やはり値上げは時代を易々と変化させるのだ。
私がいつも作っていた年賀状は局所的にウケがよかったのだが
それももうお役御免である。
生まれて初めて書いた年賀状は確か小学一年生のときだったと
思う。思えば長く続いた習慣だった。
それなのに、なくなってもまったく困らないし、寂しくもなく
「どうでもいいな」と思えるのが不思議なのである。