ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

差別と偏見を失くす為には、、、

2012-08-08 07:10:38 | やんばる
まず、正しい知識が必要です。

無知、学習をしないことは、差別や偏見を生み出します。

ハンセン病の残酷な扱われ方も、無知から始まる差別と偏見でした。


沖縄は本土の僻地や離島以上に、汚いもの(と思われてるもの)や危険なものなどを中央から押し付けられているところです。長年人を殺し続けている米軍基地もそうですが、ハンセン病(ライ病)の療養所も宮古や沖縄に作られました。

ハンセン病の患者は、昔から差別と偏見のなかで暮らしてきました。日本では1907年(明40)に「癩予防ニ関スル件(癩予防法)」が制定されて、患者は公立の療養所に隔離されることとなり、1931年(昭6)には在宅患者についてもこの療養所への収容が始まりました。戦争へと進むなかで弱者であるハンセン病患者はいっそう強圧的にかりだされ強制隔離されていきました。
 戦後1953年(昭28)、すでに特効薬の発見により、ハンセン病は隔離から外来通院治療へと世界的な流れが変わっているときに、日本では「らい予防法」が制定され、従来からの旧法にしたがった隔離政策がとられ続けることとなったのです。
 
世界にも例をみないこの酷い政策が、旧法成立から約90年後の1996年(平成8年)、ようやく廃止されることとなりました。
ついこの間まで、差別にさらされてきたわけです。


今やエメラルドグリーンの海を見下ろせる橋が架かって、沖縄旅行者がちゅら海水族館の次に目指すドライブスポット、屋我地島にある国立療養所愛楽園へ行ってきました。
ここでは、約200人、平均年齢80歳の行き場のない差別にさらされてきた人々が暮らしています。

今回は同じ読谷に豪邸を持つ、古謝美佐子さんにくっついての参上。古謝さんはその長髪もステキで、ステージに上がるとものすごく貫ろくがあります。
祭りのトリのステージで、急な豪雨に見舞われましたが、歌いながらも観客を屋根のあるステージに誘導し事なきを得ました。
暑がりの古謝さんは、常に冷房設定20度!控え室はキンキンに冷えています。そんな中で食べた差し入れの温室みかんの美味いこと。
「このみかん、ぬるいのよ~」とおっしゃってましたが。

灰野敬二さんが沖縄へ来たときは、是非とも古謝さんと長髪デュオをやって欲しいと望みます。


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