近頃のマスコミの報道姿勢、何処か戦前の大本営発表に似てきた。
「大本営発表」とは軍人官僚の敗戦の責任逃れに、軍の恫喝から自らの命を守るために渋々荷担をした、と戦後釈明されることが多い。
しかし、戦後70年余過ぎて、民主憲法下にあって、アベ事件の時にずっと宗教団体名を「特定せず」に名前を伏せ、犯人の動機が単に「思い込み」だと本人の意思を顧慮せず報道し続けた。
これら国家行政機関である警察発表に従ったマスコミとは、如何なる理由で報道したのだろうか。
何らかの政府や警察からの仕返しを恐れて従順に従ったのだろうが、報道本来の使命から全くかけ離れていることは云うまでもない。戦前のように、逆らえば赤紙が来て最前線に持っていかれるという命への直接の危険がないと思うのだが。
マスコミは何に懼れて権力側に従うのだろうか?マスコミは権力への監視という役目を果たせなければ、その存在価値がなくなる。
だから、タモリに「新しい戦前」と云われる。