「縁故」という言葉は、日本最古の辞書『言海』には無い。「好(よしみ)」とか「縁(えん)」はある。
斯く言う「縁故」は、この圀が近代国家になってから使用される言葉と思料する。
敗戦でアメリカから賜った民主憲法の下で、且つ国民皆保険制度の中で、標準的な医療を受ける機会は、地勢や交通など都市と地方の差や偶発的な運を除いて、この圀に住む人々はほぼ公平に医療受診機会が保障されると、今の今まで思い込んでいた。
ところが、新型コロナのパンデミックに遭って、偶発的な運は別として、財のないモノ、地位の無いモノ、縁故のないモノは、緊急医療受診において選別されることが解った。
にもかかわらず、自民・公明政府は、保健所の医者や厚生省の医系技官の仕組みや既得権にメスを入れることもなく、大した理由もなく、コロナ患者を公共の手から市中の個人営業の医療産業に移行させることを決めたと言う。でも現実には、医療費の支払いも困難な人々も居るだろう。
政府高官は町のクリニックが発熱外来を選別し、又は忌避していた実態を全く考慮していないようだ。まあ国会議員や権力者は大病院の裏から入れる縁故があるから気にしていないのだろう。
庶民はつねに自助が要求され、権力者側のみ公助が優先される。今や地域や家族を失った都会生活者には共助など初めから期待できない。
これでも自民党を支持する国民が3割もいるという現実をどう受け止めればいいのか。
藤沢駅南口にあるパチンコ屋。むかし、随分貢献しました。