松本清張の『昭和史発掘⑴』のなかに「芥川龍之介の死」と題する章がある。眠り薬の本として適当に読んでいた。
芥川は昭和2年7月24日、自室で劇薬を多量服用して死去。(行年三十六)自殺の原因は多年肺結核と神経衰弱により、厭世自殺を図ったものとみられる、と。
松本清張は何故芥川の死を書いたのか、それが不可解であった。
清張は「昭和史の一コマとして書くのであって、別に芥川龍之介論でもなければ、作品論でもない」と冒頭で明言した。
とは言うものの、文庫本の120ページを占めるボリュームである。
芥川が死んだ昭和2年は、失業者350万人、若槻内閣の下での片岡蔵相の失言からの金融恐慌は台湾銀行の閉鎖というパニックが起き、若槻首相は内閣を投げ出し、4月に田中義一の政友会内閣が成立した。そして高橋是清蔵相はモラトリアム(支払い猶予令)を実施した。
政治史としては、1924年6月から護憲三派内閣(第一次加藤高明内閣)の成立から1932年5月の犬養毅内閣の崩壊まで七代の政党内閣が続いた。この八年間は「政党政治の時代」でもあった。
芥川の死とは全く関係のない時代の推移だった。
彼の作風からも、時代の生の背景は関係がなかったかも知れないが。