玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

「言葉のあや」発言

2023-02-26 10:29:25 | 近現代史

1975年9月、昭和天皇は米国に訪問して、帰国したばかりであった。ザ・タイムズの中村康二記者が、ホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という発言がありましたが、「戦争に対して責任を感じているということで宜しいですか?」と聞いたのである。

すると、天皇は「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と答えた。―これが有名な昭和天皇の「言葉のあや発言」である。

これに関して、先日、小田急線で見かけた原武史は「天皇が責任を感じていたのは第一に皇祖皇宗に対してで、国民に対する責任観念を意味するはずの〈戦争責任〉という言葉には、にわかに反応できなかったのではないか。」と解説した。

現在、私が格闘中の『国体論』の著者白井聡は「国体護持のために日米合作の物語は〈天皇に責任がない〉と決めたのである。戦後30年経っても天皇であり続けていること、その場で記者会見をしていること自体がこの物語の結末である。」と解説した。

私はこの「言葉のあや」についての歴史家又は思想家としての二人の解説は傾聴に値すると思う。

しかし、私のような俗世間に長く身を置いた者は、新聞記者への事前の根回しに失敗したんじゃないのか、あるいは、そういう質問があると予想していたなら、「天皇のお言葉」を政府か宮内庁は予め作っておくべきだった、と思うのである。

従って、私の見解は、昭和天皇の人間らしい「生の声」であったが、「天皇のお言葉」としては後代まで残る言葉になるまい、ということになってしまう。

【引用文献:原武史『昭和天皇』岩波新書、白井聡『国体論』集英社新書】

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