世間では沖縄の基地の問題が顕在化されて、所謂大手マスコミのニュースショーなどで、専門家?というコメンテーターが、何故軍備ではなく外交の努力をしないか、台湾有事という名の中国との関係を改善できないのか、というセオリー(筋立て)で報道される。
かつての佐藤首相時代のレガシーと称された「沖縄返還」は駐留(占領)軍基地付きで、且つ核付きであった。又、西山太吉が告発した費用負担付きでもあった。
がしかし、佐藤氏はノーベル平和賞をもらったとか!だが、いつ何故貰ったのか、国民は殆ど覚えていない。
今となっては、抑々が変だった。
「沖縄」の返還は本土の「沖縄並みの基地化」、つまりは「属国化」に進む入り口だった。
東京から30年前に湘南に転居した頃、毎夜タッチ・アンド・ゴーを繰り返す湘南の海の夜空は、実はすぐ傍に基地があり、その名が遥か遠くの「厚木基地」という名前だと言うのを、当時不思議な思いで受け止めたものだ。