玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

半世紀以上の再会

2022-09-16 13:51:21 | 

数カ月前に、ネットで青木理がイワナミの「セカイ」に原稿を書いたので読んで欲しい、と言ったのを思い出した。

そう言えば小さな町の本屋に行っても、いわゆる、総合雑誌なるものは文芸春秋ぐらいで、後は、ちょっと手が延ばせないような花田モノが多かったのを思い出した。

それでも本屋に行き「世界」を探したが無いのである。そうなのだ。岩波書店は買い取り方式なので、注文しなければならないことに気が付いた。

目次が見れないのなら、青木のファンでもないし、と買うのを諦めた。

先週、ブック・オフに行ったら雑誌棚でない社会科学の棚にあった。手に取って、目次を見れば、豊下楢彦、西山太吉、この二人がまだ書いているのが嬉しかったので即買った。

2021・10月版でちょうど一年前だ。「東京オリンピック 失敗の本質」が特集されていた。私にとっては、去年のオリンピックは記憶からスッポリと抜けていた。

アベ様がお亡くなりになり、東京地検が急に動き出した。オリンピック疑獄が起きそうである。いかにアベ様の力が偉大だったのか、ただ驚いている、…。

清和会の議員は捕縛されないジンクスが破られるか。悪いことをしたら既得権益層の上流国民でも捕まるのか。これからが大きな試金石となる。

あれだけの税金負担をしたなら、何かしらの別の社会還元があって良い筈だ。

かつて格好付けで「平凡パンチ」と「朝日ジャーナル」を買って、偶に気取って読めもしない岩波の「世界」を買う。そんな戦後の此の圀の経済成長期があった。

それから、ワタシは長生きして、半世紀以上たって、久々に「世界」を古本で買う。

すこし歯が浮くような恥ずかしさ?そして読み出せば、やはり紙は温かい。過去の時間がかすかに戻ってくる。

昔の「世界」の表紙は真っ白だったな、…。

 

 

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ここで、この言葉を使うとは、…

2022-09-15 13:47:50 | 時事

この言葉とは「はしたない」という言葉だ。

アベ国葬に関して、国際政治学者だと名のる女性が発した言葉だ。発した先は国葬に欠席する旨のハガキをTwitter上に載せた二人の女性政治家。

今まで生きて来て「はしたない」と言われたことはない。そんな言葉を使う家庭環境でもなかった。もうほとんど死語だと思っていたので、まず驚いた。

つい『広辞苑』で調べてしまった。「はしたない」にはいろんな意味がある。中途半端である、つつしみがない、みっともない、無情だ、当惑する、きびしい・・・。

最近買った『言海』には「婢(はしため)」という言葉もあった。ざっと、こういう意味のようだ、…。

多分、彼女は自分を厚遇してくれたアベ様に対して非礼だと言いたくて、ただ相手を威嚇する、蔑みたくて使ったのだろうが、言われた側の二人の女性はどう受け止めただろう。多分、同姓に言われたので、余計に気持ち悪い感じがしただろう。

ただ相手を打ち負かすためには、相手が不快になるなら、気持ちの悪い言葉でも、何でも使う人間のようだ。

何が何でも、どんな時でも、政権側に利する発言をして自らの既得した立ち位置を保持しようとする専門家(?)が今のテレビにはあまりに多い。此処にも「自分だけ良ければよし」という他者への思いに欠けるネオ・リベラリズム。

年寄りは只々唖然として、煎餅でもかじるか。

シャイン・マスカット。この量なら380円、これで十分さ。

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無責官僚の名ざし

2022-09-14 13:06:17 | ブツブツ

森元首相がアオキから200万円贈呈されたが逮捕されない、という話も囁かれている。

振り返ってみれば、戦後になって内閣総理大臣を勤めて逮捕されたのは田中角栄だけだったような気がする。

こういう話になると、訳知り顔で、「金額が安すぎるから捕まらない」という説がまことしやかに流れる。一般の人間なら数万でも捕まるんじゃないだろうか。偉い人、特に内閣総理大臣は法の下に最上位なのか!としか思えない。

首相経験者には不逮捕特権が永遠に与えられるのだろうか?それは無いだろう。

この国がまだ民主的ではない、法の下に平等ではない、ということは、法を執行する側に問題があるのだ。

権力体制つまり国家官僚機構が相変わらず明治維新以来の人権裁量しか持ち合わせていないということだろう。このふざけた国家機構を司る昨今の官僚たちの劣化がこの国の劣化に相関している筈である。

これからは無責の官僚ではなく、一人一人を名指しすべきだ。

今回の国葬が現憲法に違反しないと判断した「内閣法制局長」には相応の責任をとってもらう意味で、マスコミは大々的名指しするべきだ。

かつて安倍内閣の時に、閣議決定で憲法解釈を変えるという「禁じ手」を認容した「内閣法制局長」がいた。もうこの世には居ないと思うが、この官僚は「なんということをしてくれたのか!」と思っている。

あれ以来、閣議決定が国会決議に優先されるような悪しき風潮を蔓延らしてしまった。

モリ・カケ・サクラでも検察・警察官僚の不作為が横行した。

伊藤詩織さん事件では、まさに官邸に忖度した警察官僚が警視総監にまで登りつめた。この度の奈良の凶行事件が警察の警備不備が指摘された。官僚の忖度と有能が必ずしも合致しないことが証明された皮肉な結果となった。

もし森氏が逮捕されないなら、逮捕する権限を懈怠した検察官僚又は部署の名前を名指しすべきだ。

ともかくこの国を一番歪ませているのは、現の国家官僚群である。かつての戦争責任が軍部官僚であったように。

先日、数年ぶりに京浜急行に乗りました。進行方向に向かって横に並ぶシートなのですが、ボックス席のような、そうでないような、不思議な感じでした。

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日米戦争 ―交渉打切り通告の遅れはタイプ・ミスではなかった!―⑼

2022-09-13 13:08:01 | 近現代史

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』には、タイプ・ミスをした奥村勝三が第1回と第4回の通訳を勤めたことが書かれている。

先の日米戦争で最後通牒を渡すのを遅らした張本人が、何故、選りにも選って、通訳を勤めるという異常さに政治学会は違和感を持たなかった。

然も、奥村勝三は外務次官まで上り詰めた。当時の大使館事務の総括だった井口貞夫も外務次官まで上り詰めている。

抑々、何故通告が遅れたのか、あるいは意図的に遅らしたのかを、この國は1989年の天皇崩御まで約半世紀の間隠蔽したのである。

日本大使館のタイプ・ミスの問題は21世紀を迎えて新たな展開へと進んでいくことになる。

一つの論文にぶつかった。―井口武夫「対米最終覚書と米大統領親電の解読工作をめぐる史実の再検証」『国際政治』第144号「国際政治研究の先端3」2006年―

この著者の名前を見た時から、何か感じるものがあった!!

外務省の出先の大使館が犯した「致命的な事務ミス」の総括責任者が井口貞夫参事官だった。その息子である井口武夫は、父と同じに外交官になり、退官した後に研究生活に入り、この論文で敢然と父の汚名を子供が晴らしたのである。

それが一冊の本となって、2008年に『開戦神話―対米通告はなぜ遅れたか』中央公論社から刊行された。

そこには明確にその通告の遅れの仕組みが解き明かされていた。簡単に言えば、

  • 東郷外相及び外務省は真珠湾奇襲の成功の為に通告を回避することを軍部いわゆる統帥部から迫られた。
  • 東郷は通告だけはしたいと主張した。
  • それでぎりぎりの時間設定で、且つ、最後通牒の文章ではなく、単に交渉打ち切りの文章で納得させられた。
  • その文章は全部で14章に区切られる長文で、最後の交渉決裂の電文送る段になった時に、予期せぬ「ルーズベルト親電」が舞い込む事件となってしまった。
  • それによって、外務省が大使館への電報を送るのが遅れたのが本当の理由だった。

つまりは、外務省は二重の嘘をついたことになる。

本来はハーグ条約に基づく「最後通牒」を出すべきところを、軍部の圧力に負けて、「交渉決裂」の内容になっていたこと。

次に送るべき結論部分を、予期せぬ『ルーズベルト親電』が来たことによってその対応の為に、送るべき時間に自ら遅れていたことになった。

なぜ、こんな嘘をつき通したのであろうか?(次回へ)

【参考文献:豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』、井口武夫『開戦神話』】

 

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日米戦争 ー日本大使館のタイプ・ミスによる真珠湾奇襲ー⑻

2022-09-12 13:57:12 | 近現代史

日本人の多くは、真珠湾攻撃は当然に奇襲だったと思っている。

日本人はこの国の歴史上の源義経や織田信長の闘い方を見て、「奇襲」も戦法の一つと許容している風土がある。

国際法の世界では、ハーグ条約「第1条(宣戦)締約国ハ理由ヲ付シタル開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告ナクシテ其ノ相互間ニ戦争ヲ開始スヘカラサルコトヲ承認ス。」となっている。

1912年1月13日公布され、日本も加入していた。国際法上は事前に最後通牒なり、宣戦布告をしてから戦争することになっている。

果たして、日本は真珠湾攻撃の前に「開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告」をしたのだろうか。

東郷外相は「日本が自衛をするために、米国が日本に手出しせしめるように仕向けた事実からみて、あれで十分である」と書いている。つまり最後通牒の形式でなくても、「交渉打ち切りの通知」だけで充分であるとした。

ただ大使館のミスで通告自体が攻撃後になったことは如何ともし難いという事態であった。

完璧主義者の彼にしては、その怒りは案外あっさりとしていた、と回想録からは窺えた。彼は出先の大使館の不手際に通知遅れの責任を負わせたが、野村駐米大使に詰問することはなく、大使館事務の総括の井口貞夫参事官に責任を負わせたように感じる。

戦後になって、彼の部下だった加瀬俊一北米課長は、致命的なミスを招いたタイプの下手な一等書記官は奥村勝三だと名指した。

これらの証言から「日本大使館は開戦直前という意識に欠ける。ああした形(タイプの遅れ)で通告が遅れ、日本が卑劣であると非難をされる。」とまで、北岡伸一は「日本は国際法上の義務を果たせなかった」と厳しく大使館を責めた。

此の論調は、世紀末まで、権威ある政治学会では有効な論述とされた。ところが、1989年昭和天皇崩御により近現代史の蓋は開いていた。翌1990年に豊下楢彦は「昭和天皇とマッカーサー会見」についての論文を発表した。1945年9月の会見における日本側の通訳は、加瀬に名指しされた、タイプが遅い、件の奥村勝三であった。

敗戦直後は「真珠湾奇襲を天皇は予め知っていたのか?」と喧しい時に、その奇襲の原因を作った張本人が二人の巨頭の通訳を勤める不可思議を北岡伸一は気が付かなかったのか?

もし仮に、マッカーサーが「天皇は真珠湾奇襲を知っていたのですか?」と聞いたら、通訳の奥村は「実は私が悪いのです」と言わねばなるまい。

何故、東郷は虚偽を死ぬ前の回想録に残したのか、…?彼はまだ死ぬとは思っていなかったのかもしれない、…。(次回へ)

【引用・参考文献:児島襄『昭和16年12月8日』、東郷茂徳『時代の一面』、加瀬俊一『日米開戦前夜』、北岡伸一『政党から軍部へ』】

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