「普茶料理」 いずれも4人分の盛り合わせで、これらを4人が取り皿に取って、ゆっくり頂く。
ひょんなことから、「普茶料理」なるものを、初めて食する機会に恵まれた。
いわゆる寺院に伝わる精進料理の一種であり、お腹が膨らむほどにむさぼるお料理ではないことを、最初に断っておきたい。
市内にある黄檗宗の古刹で、雪舟作といわれる「心字池」を擁する「通化寺(つうけいじ)」で行われた施餓鬼法会にお邪魔した。
「黄檗宗開山350年このかた、これほどの大々的な法会は初めてのこと」とは、通化寺総代長の弁。
京都府宇治市にある黄檗宗本山から、宗務総長はじめ総勢13人の僧侶が訪れ、太鼓・鉦・鐘・木魚・りんなど多彩な鳴り物入りの読経は、延々1時間半に及んだ。まさしく聞きごたえはもちろん、見応えも十分な施餓鬼法会であった。
仏教にあまり明るくない小生如きが述べるのはおこがましいので、広辞苑の受け売りをさせて頂こう。
「施餓鬼」とは、飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会、である。
さらにこの通化寺の持つ今一つの顔は、明治維新に向かう激動の長州・山口県において「高杉晋作」率いる騎兵隊(遊撃軍)の陣営が置かれたことでも知られる。その戦没者霊位の供養も併せて行われた。
余談ながら、第二次長州征伐として幕府及び幕府に加担する諸藩が、、芸州口、石州口、大島口、小倉口、の四方から大軍で攻め込んできた。その中で最も激しい戦いとなった芸州口、つまり山陽路を広島県側から攻め入ってくる敵を、このお寺を拠点とする遊撃軍の働きで、幕府連合軍を完膚なきまでに叩きのめした。それによって一気に明治維新への門戸を開いたという、いわく因縁の古刹でもある。
普茶とは、あまねく人々、つまり尊卑も上下も意に介さず、すべての人にお茶を施すという意味。
普茶料理とは、法要や仏事の終了後に、僧侶や檀家が一堂に会し、煎茶などを飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が、普茶料理の原型となっている。
基本的には一つの座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという食事様式が、非常に珍しがられたという記録もある。
精進料理ゆえ、魚や鶏肉など使うことなく、野菜や乾物の煮物や餡かけ。下味をつけた野菜のから揚げ。野菜の切れ端を炒め、葛寄せにしたもの。白身の魚に見立てた胡麻豆腐。肉や魚に見立てた「もどき」が中心で、量もきわめて少な目。お吸い物も超薄味。
それもこれも、材料こそ地元産を使っているが、本山から容器など持参して、僧侶の手作りを賞味させていただいた。
見た目の美しさ、濃い味付けを避けた優雅な味わい。現代とは程遠い健康食であることに気付かされる一日となった。
ただ今食欲の秋。ホンのもう少し量があったらよかった・・・などと思うのは下賤の勘ぐり。少ないからこそ有難味は大きい、のかな。