「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「敬老の日」

2013年09月15日 | 季節の移ろい・出来事

           

我が家での敬老のお祝いをしなくなってさて何年になるのだろう。
母が要ったのが2008年11月だから、今年を入れて5年は全くそれらしいことをやっていない勘定になる。母存命のころは、姉弟が集まっては何らかの形で敬老の気持ちを表わしてきた。大祝いもしてきたと思っている。
本当のところは、あの世に行ったときに今一度母に尋ねてみないとよくわからない。

我が住む団地には自治会なるものがあるにはある。が、全く機能していない。
団地が出来てから20年。どこからともなく集まってきた新興住宅団地。いわば寄り集まりの新所帯で、自治会組織の必要性とか、肩を寄せ合うメリットなどよりも、お互いを干渉しない、何のつながりも持たない方に軸足が置かれてている。それはそれで結構だ、というか致し方ない。そんなわけで、自治会だの婦人会だのが中心となって行われる敬老会といった催しは、早い話この自治会では全く行われない。

他の組織で広報担当という役目を仰せつかっている。お役目がら敬老会が行われる地区の写真撮影をして、次回発行の広報誌に掲載しなくてはならない。自分のところではそれらしいことは何にもないのに、他の活発な地区へカメラを提げての取材というのも癪な話だが、これもまた致し方ない。

今日も何か所か回ってスナップを撮ってきた。
思うに、会場の参加者はもちろんご高齢者ばかり。ところが、その準備、運営、進行などお世話される方も、会場に座っておられる方といい勝負。派手な衣装につけまつげ、ステージで舞踊をされるお方を見ても、間違いなく超高齢者。まいいか、敬老会に出席する人、世話する人、ステージを盛り上げる人、それぞれみなさんお元気だからできること。

何を生意気なことをのたまうことか。敬老会にご招待がかかるのは間もなくであることをコロッと忘れおって・・・。
さて招待状が来たらどうしよう。オットット、その心配はない。この自治会には敬老会などありはしなかった。
たとえあったとしても、やっぱり進行役やお手伝いをする側に回ることだろう。
それより、我が家で「敬老のお祝い」など無用であることを、子や孫に言い含めなくては・・・。

コメント (2)
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