季節は外しても、目立っている待つ宵草
隣接する広い空地に、ポツンと一本の待つ宵草が異彩を放っている。
もともと、初夏から霜が降りる晩秋にかけての、非常に長い期間花を咲かせ、秋に種を散らせた後、冬には枯れる一年生の花である。
そういえば今年の夏もかなり咲くには咲いていた。しかし例年ほどの見事さではなかった。
連日の猛暑酷暑の上に、極端な雨不足となったこの夏。植物や花にとってご難な夏であったのに違いない。
それに、今年に限っては花の時期も短く、夕方になって花開くあの可憐な黄色も、本格的な秋を待たずに終わってしまったような気がする。
だからこそ、今を精いっぱい咲いている1本の名残の待つ宵草が、ひときわ目を引き、いとおしく思えるのかもしれない。
しかし一般的には季節を外して遅く咲く花を「狂い咲き」などと負のイメージで呼ぶ。
今咲いている待つ宵草に言わせれば「別に狂い咲きなどではないわよ・・・」と自らを主張するのかもしれない。
季節を外して咲く花を、もう一歩突っ込んでみると「返り咲き」という、冬の季語を持った素敵な言葉もあることを知った。
ついぞ簡単に使っている言葉にも、裏があったり表があったり、意外に本来の意味をはき違えて憶えていたり・・・。
こんなことは日常茶飯事。たとえ手前勝手な日記風ブログといえども、不特定多数の方に公表するからには多少気を遣いながら正確を期したい、と常々おもってはいるのだが。
季節外れの話のついでに、桜にまつわるひとくさりを。
「姥桜(うばざくら)」とは、葉(歯)に先だって花を開く桜の総称。つまり、葉(歯)なしの桜だから姥桜という、はなし。
問題は「姥桜」という言葉の普通の使われ方である。「どうせ私はうばざくら、花も実もない人生よ・・・」などと、負のイメージでとらえることこそ問題である。
「うばざくら」の本当の意味は「娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増。」「女盛りの年増。」
あの人は姥盛りね・・・などと言われたら、これはほめ言葉であり、熟れた美しさの代名詞みたいなものなのである。
知らなかったな~~ 皆さんはいかが?