handshake
主権を持った一国の代表同士が、handshake(握手)する場面が、新聞でもテレビでも大きく取り上げられた。
そこには笑顔もなければ、信頼という気持ちの交流のかけらも見られない、無意味な握手が交わされた。と、吾輩の目には映った。
そんな状態なら、いっそ握手などしなけりゃいいのに、とも思った。
一つの救いは、我が国の代表が、ニコニコ笑顔で相手にへつらう姿を見せなかったことである。
最初にこちらから一言二言声をかけた様子はあったが、その顔は笑ってはいなかった。せめてもの五分と五分を保った形となった。子供じみたそっけない表情には、これが国交正常という名の下の両国首脳のご対面か、と疑いたくなる。
「握手」とは、“挨拶として、また親愛・和解のしるしとして手を握り合うこと。転じて、和解すること。協力すること。”とある。
対話が必要というなら対話をすればいい。仏頂面して、いかにも「会ってやろう・・・」といった尊大な相手と握手などしなくていい、さっさと話し合いに入ればいい、そう思った。
特にそのあと、あの尊大な代表が、別の国の代表と握手するときのあのにこやかさは何なのか。相手が女性だからということではないと思うが、あまりにもみっともない変貌ぶりは、それでなくてもかの国に対する信頼が揺らいでいるのに、益々好きになれない理由を見せつけられた思いがする。
だからといって、敵対視することは世界のためにならないことは百も承知である。
直接会ってお互いの言い分を話し合う必要があることは、世界のだれもが認めることである。話し合わなければ人類は不幸におとしいれられることも分かっている。会談は避けてはいけないと思う。
ただ、「戦略的互恵関係」というのが分かりにくい。互恵とは「特別の便益・恩恵などを、相互にはかり合うこと。平等互恵に連なる。
ならば、一方的に従わせようとするのは互恵とは言わない。ならばもう少しなんとかならないものか…。
そんな中でも、偶発的な武力衝突を回避する事務レベルの協議がスタートするのは有難い。
我が領海内であることを承知で、徒党を組んで密漁をやってのけるお国柄。せめて衝突回避の約束は取り付けたいと願っている。
ちょっと考え過ぎなところもあるのでしょうか。ただ、力を持ちすぎると、往々にして現れる唯我独尊的な「エゴ」が気にかかる。
老婆心であることを心から願ってやまない。