「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「畑の行灯」

2018年04月18日 | 晴耕雨読

               
                      畑に出現した行灯

ニンニク、玉ねぎ、春ジャガ、スナックエンドウ、グリーンピースなどなど、それなりの時期を見計らって植えた野菜は、おおむね順調に生育している。スナックエンドウなどは「そろそろ収穫できるよ~」と催促するほどに実が膨らんで来た。
孫三兄弟の大好物で、じいちゃんの腕前を楽しみに待っていてくれる。作り甲斐のある品目の代表格である。

10日前に植えたトマトは、完全に活着し勢いよく芯を伸ばそうとする気配が見える。春先にしっかり肥しを施した畑作りが効果を見せている。
そして昨日、スイカ、キューリ、ピーマン、チシャなどを植えた。これで例年いそしんでいる夏野菜の定番メニューは全て植えた。
ただ今年は今ひとつ、トウモロコシを追加した。これは、間もなく5歳になる姫孫から、たってのリクエストに応えたものである。
何を考えたのか、どこで教わってきたのか「じいちゃん、トウモロコシ植えてよ」とポロっと言った。「お~、ヨシヨシ」である。何年か前に1度だけトウモロコシに挑戦したが見事に失敗した。あれ以来手を出さない野菜の一つなので、さてうまくいくやらどうやら。

スイカ、キューリ、ピーマンは、植えたての苗に虫がつきやすい。どうかすると枯れさせてしまうこともある。
そんな経験則から、苗を植えた直後に周囲をビニールで囲うひと手間をかけている。言って見れば虫よけのおまじないみたいなものなのかもしれない。結構手間のかかる作業だが、やらずに失敗すると悔いが残る。ということでやり終えた結果が、畑に多数の行灯が出現したという次第。手間暇かけたのだから、きっと美味しいスイカが生るに違いない、と自らに暗示をかける効果もあるようだ。

行灯と言えば、菜種油を燃やす灯りを、和紙を通して穏やかでまろやかな灯りに変えて、文を書く手許を照らした優雅な照明器具である。
昼行燈と言えば、あの忠臣蔵の大石内蔵助が「討ち入りなどしないよ」と世間の目を欺くために装った、凡庸の無駄な明かりとでもいうのだろうか。
そんなゆかしさとは縁遠い「畑の行灯」ではあるが、そのお陰をこうむったスイカたちが、3ヶ月先にどんな味わいを見せるのか楽しみである。

今さらながら改めて思う。野菜作りや植物を育てることは、子や孫を育てる親心と極めてよく似ていることを。
焦らずゆっくり、遠い先の結果を楽しみに・・・。

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