世界が注目する一大イベントが、シンガポールを舞台に行われた。
アメリカトランプ大統領と、北朝鮮の金正恩独裁者が、歴史に残る直接の首脳会談を行った。今さら言うまでもないニュースである。
今世紀最大の「出来事」という声も聞かれる。そんな大騒ぎをする割りには、その結果に大きな期待が持てない、というか何かしら冷めた感覚がつきまとう論評も少なくない。
結局は北の言いなりに丸め込まれて、単なる制裁の緩和や支援を引き出すための茶番に終わらなければいいが、という警戒心や懸念が、根強く世界中の人々の心の中にわだかまっているからなのだろうか。
過去の実績を見ても「ゆすり・たかり」は常套手段。我が身を守る体制維持のためなら肉親の兄さえ、毒薬を使って抹殺するという人物。
食料戦略だと言って、ぼろい木造船で遠く離れた日本海域まで遠洋漁業を強いる国であることは、まだ記憶に新しい。
しかも、お互い罵り合い、脅迫し合って、今にも一触即発の危機に立っていた当事者が、何もなかったかのように握手を交わす。
この握手に本当の意味があることを期待してよいのやら。握手の向こうにとんでもない落とし穴が掘られているのではないか、気がかりである。何故なら、南北統一という「甘いお話は」北が独裁体制を捨てて、自由主義・資本主義の国家に転換する覚悟があるのか。
はたまた南が、共産圏に与して独裁体制下に収まるのか。と言う話になるのではないか、と単細胞は短絡に考える。
朝鮮戦争が今もって終結していないという不幸は、一日も早く取り除かなければならない。それさえ60年かかっても未だに解決の糸口すら見えず、ともすればいきなり北から南へ砲弾が撃ち込まれる現実。これらが本当にこの握手で解決するのか。やっぱり疑問点が多い。
などと言うと、世界の流れに反対するのか?とのお叱りを受けるかもしれない。
お叱りは敢えてお受けするが、何も北と南が、米と朝が仲良くすることは大いに結構大賛成である。
が、わが国を門外漢の如く扱う「拉致問題」。そして核兵器・大陸間弾道弾などの廃棄という事実を、確かな方法で検証できない間は、世界の脅威であり続けることになんら変わりはない国なのではなかろうか。早く大人の、真実のリーダー資格を身に着けて、貧民を救うホンモノの握手をする日が来ることを願って止まない。それもバックの大物の圧力で、身動き取れないのかもしれないが。
とにかく、あの笑顔の握手が、ウソ偽りのない世界平和につながることを夢に見たい