「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「またもや大都市地震」

2018年06月18日 | ニュース・世相

                

日本の首都を二分する大都市、大阪北部でマグミチュード6.1、震度6弱という大きな地震が発生した。
阪神淡路大震災がまだまだ記憶に新しいこの時期に、またもや京阪神を!と思わせる忌まわしい大地震。
いたるところで大きな災害の爪痕を残し、9歳といういたいけな少女や80歳高齢者が犠牲になったというニュースが。
まだまだこれから詳細が判るに従って、災害の大きさひどさが判明していくのだろう。

この様に、時も場所も選ばず突然やって来る地震災害。
普段から何がしかの備えをしているつもりではいても、「いざその時」に立ち会わされると、無力・無抵抗というのが現実のようである。
それほど人間をパニックに陥れる威力を備えているのが、地震という厄介者ではある。

頭にこびりついている過去の大地震がを数えてみると、先ずは安政の大地震。江戸時代後期の安政年間(1850 年代)に、日本各地で連発した大地震である。当時の調査でも、日本全国で13回に及ぶ地震が発生したという。
次に
関東大震災が頭に浮かぶ。これは両親からの受け売りではあるが、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃に発生した関東大震災で、南関東や隣接の都市に壊滅的な被害をもたらしたと聞いている。その日を記憶として残すために、9月1日は「防災の日」に。

そして、思い出すだけでも身震いがするほどのショックを受けた「阪神淡路大震災」そして大津波に飲み込まれた「東日本大震災」。
これほどの大きな教訓が目の前で展開されても、自然の脅威・猛威には、人間の力の遠く及ばないエネルギーの差を感じさせられてしまう。もともと「地震・カミナリ・火事・オヤジ」と言われ、怖いものの順位は決まっていたが、時代がどう変わろうと、如何に文明の発展があろうと、ところも場所も構わずしかも予告なしに発生する地震。具体的な対処方法がないだけに、なんとも不気味ではある。

明日は我が身。いつかは襲ってくる覚悟と、可能な対策や心構えはしておかなければ。と思いつつ、身近に地震発生がないことを神仏に祈るばかりである。

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