「5月といえば大型連休」と楽しみにされた向きも多かったろうが、今年ばかりは、遊びに出かける側も、そんなお客を受け入れる側も、底なしの泥沼にはまったような、前代未聞の厳しいG・W。SH・W、ステイホームウイークを迎えた上に、先行きもっと厳しい状況で5月第1週を終えようとしている。いつしか立夏をやり過ごし、口をついて出る言葉は「暑いね~」に変わりつつある。
緊急事態宣言も当面5月末日までに延長され、人と接しないこと、自宅待機と自粛を迫られる日々も延長された。
その一方では、これまでのコロナ対策完全抑え込みの規制が、県単位で少しゆるんできた気がしないでもない。
学校・仕事・通勤・飲食・遊興などなど、ありとあらゆるところで完全ストップがかかったことで、ホンの少しだけコロナの猛威が停滞気味になった感じはある。そこには、どれだけの人が苦しみ、ガマンにガマンを重ね、耐えに耐えてきたことか。
それを思うと、緊急事態宣言延長の裏側で、人の動きもお金の流通も、自主判断のもとで少し自自由度が広がりつつあるのが怖くてならない。
今まで締め上げた手綱を緩めるのは、締め上げられて苦しかった分を取り戻そうとして、安きに走り過ぎはしないだろうか。
人間だもの、喉元過ぎれば熱さを忘れたくなるのは当然のことである。だからといって、今までの苦労が水の泡にならないことを望みたい。
確かに市場経済のお金を動かす必要性はある。消費させるチャンスを与えてお金の動きを活発にする。そのことが大切であることは言うまでもない。
でもそれで経済が少し潤ったとしても、コロナが元の勢いを取り戻したらどうすりゃいいの。元も子もない話になる。
そうならないことを祈りつつ、今しばらく「自分は自分が守る」に徹しなければ。そうしてみんなの命を大切にしなければならない。
日本武士道では、「とどめを刺すこと」の是非が問われる場面がよくある。
「とどめを刺してあげることで楽にさせる」「とどめは刺さないところに本当の人間味がある」この相反する理屈。
どこでどのように折り合いをつけるのか。ウーン、難しい。コロナにはとどめを刺す覚悟が必要なのでは、と。