元々器用に生まれてこなかったのか、生まれた後の努力が足りなかったのか、他人にも家族にもあまり自慢できるものがない。まるで木偶の坊か?そうでもない、と自分では思っている。
DIY、自分の手で何かを作ってみることも決して嫌いではない。但し上手でないだけ。
ただ、これまであったもの、重宝していたものが、壊れたり壊れそうになったとき、なかなか捨てる勇気が持てないのは確かである。なんとか修理してもう一度使いたい。そうして、その物の命を全うさせてやりたい、などという思いが強い。思い切って買いかえれば、苦労もなしに新しいものが便利に使えるじゃ、とも思うが、愛着というか執着心というか「買った当時はあれだけ助けてくれた代物じゃないか」と感謝の念がわいたりする。
「修理したってまたすぐに壊れるよ」という声が背中から聞こえてきても、その時は勝手つんぼで聞こえぬふりをする。下手は下手なりに、一応分解したり補助部品をつけ足したりして、なんとか元通りにするのが好きなのである。早い話が貧乏性の典型で、すぐに買い替えるお金持ちの真似ができないだけかも。
そんな意気込みの割には道具にもあまり投資していないなー。弘法、筆を選ばずということわざを馬鹿の一つ覚えで、道具にも材料にも投資しない分を腕でカバーしよう、などと訳の分からない理屈をこねていては結果など期待できない。
それでも、相手はモノであってもひとたびわが手元に来たら、それはぶつえん、つまり「仏縁」ではないが「物縁」でつながっているのだ、という感覚がある。やはり捨てがたい。
そんな気持ちが沸々とわいた今日は、懸案だったDIYをやってのけた。
仕上がりはともかく、やり終えた満足感はある。コロナによるおうち時間の活用というだけではなく、たまにはこうしたことにも手を出してみたくなるのは、戦中生まれの貧乏性なのであろうか。