「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「喪中葉書第1号」

2022年11月03日 | 季節の移ろい・出来事

                

エッ!もうそんな季節なの? と感じたのは、昨日の郵便で今年の喪中葉書第1号が届けられたこと。
随分早い手回しにちょっと驚きながら、実は私もこの暮れは賀状欠礼の喪中葉書を出さなければならない。尻を突っつかれたような、慌ただしい気持ちにさせられてしまった。

例年の賀状購入の郵便配達員さんから今年も頼まれて、年賀状ではない普通葉書を早くに購入して準備だけはしていたのだが。
正直なところまだ手を付けていない。昨年暮れに頂いた喪中葉書と、年明けに頂いた年賀状の綴りをめくりながら、住所の確認作業や「今年をもって賀状発信を終わりにしたい」旨のチェックもしっかりしておかなければならない。
賀状交換のお断りを頂きながら、こちらからうっかり出したりしては失礼になる。「こいつ、ろくろく読んでいないな」と見透かされそう。

ところでこの喪中葉書、いったいいつ頃出すのが適当か。遅くても相手の方が年賀状の準備をされるまでには届けたい。ま、早い話が遅きに失するのは良くない。ということは早ければ早いほどいいっていうことかな。ま、いずれにしてもそこそこの頃合いを見計らって、せっかく書いてもらった年賀状を無駄にさせないようにタイミングを計らないとね。

そして今ひとつ、喪中葉書つまり喪に服して慎むべき血縁はどこまでを言うのだろうか。義母の妹が亡くなったので・・・とか子供の婚姻先の祖父母とか姉妹とかの縁まで遡るのか。当事者になって見ると悩むのである。
ただこの頃では少し割り切って、少し遠縁になると賀状欠礼までは考えない傾向にあるような気もするが。

そして喪中葉書の内容である。今回の私を例にすると、先ず急逝であったことや、コロナ禍でホンのこぢんまり家族葬であったりすると、これまで冠婚葬祭は完璧にお付き合いのあった近い親戚にも不義理をしたことになる。そこで、賀状欠礼、喪中葉書を活用して、逝去月日・享年令・簡単ないきさつ、くらいまでは認めるのが親切であり、常識に近いのかな、などと年甲斐もなく少し悩んだりする。
なんせ、喪中葉書なんて経験はそう何度もするものではないので、失礼のない方法を余計に考えてしまう。やはり忙しい年末を迎えるんだね~。

コメント
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