普段の生活の中では「老いた」とか「歳を取った」などと考えることはあまりない。皆無ではないがさほど神経質になってはいない。神経質にならないよう努力しているというのが正解なところかも。
健康面や外での活動などで、はむしろ能天気に生きている方だと思っている。飼い葉のお陰もあるし、田舎生活のノンビリ加減もこの身に合っているのかもしれない。
そんな呑気な日々ではあるが、時として自戒を促す言葉やちょっとした反省を求める言葉が意外に目に入ってくることもある。そういうお年頃なのかもそれない。それも流麗な毛筆の言葉となると自然に目が行ってしまう。目が行くとついついウンチクを一筆認めてみたくなる。
今回は『老いの戒め』 義父三十三回忌法要のお寺さんより拝受。
「紅葉は春の花よりも更に趣(おもむき)あり 若きより老いて後人は円熟す 晩成すべし」
「昔日(むかし)を自慢すべからず 人の価値は今日(こんにち)に定まる 励むべし」
「・・・ ・・・ ・・・」
「・・・ ・・・ ・・・」
「いまだに死を免れたるものはあらず 迎えのある時は安んじて旅立つべし」
時にこういった戒めに目を通し、来し方を顧みるのも悪くはない。がしかし、所詮落ち込むことばかりの我が人生なり。
それでも、いまだ死を免れたるものはあらず。やがて往くのだから、せめて一つだけ、横柄に構えても許してもらえる自我が欲しい。それは、自らの終焉を自ら選ぶ権利を与えて欲しいということ。横柄すぎてやっぱり無理かね~。そんなのを「我がまま」というと諭されるのかね~。