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新涼や 白きてのひら あしのうら 川端 茅舎
新涼という季語は、秋の涼しさ、肌がさらさらしてもう夏の暑さを感じさせないという意味なのに、今年のこの暑さはなんだろう。
9月も中旬に入った。
近くの棚田では、見渡す限り黄金色のジュウタンが段々に裾野を広げている。
刈り入れの時を待つ稲穂が、丁寧にお辞儀をしながら、未ださめやらぬ雨のない猛暑残暑に精一杯耐えている。
なま暖かい蒸し暑さの風を受け、いささかお疲れの様子で右に左に揺れている。
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そろそろ秋から冬にかけての、なにがしかの菜園作りに気持ちを持って行きたいのだが、ちょっと動けば肌にまとわりつく下着。頭から顔から流れ落ちる汗。気持ちも畑道具も一緒に放り出して、エアコン効いた部屋に駆けり込む。
人間はこんな勝手を言っていられるが、稲穂だって同じことを思っているかも知れない。
モグラもバッタも暑いに違いない。でも彼らにはエアコンなんぞありはしない。
土に潜り、日陰を探して必死に耐えているのだろう。
9.11、アメリカ同時多発テロから9年というメモリアルデーを昨日迎えた。
コーランを焼くだのモスク建設賛成・反対と・・・こちらも未ださめやらぬ熱い議論が沸騰している。
いくら人間ががんばっても自然の偉大さの前にはなすすべがない。そこへ行くと人間同士の争いや我田引水は、所詮人間の知恵の範囲内。何とかなりそうなものを・・・と、物思う秋か・・・。
新涼という季語は、秋の涼しさ、肌がさらさらしてもう夏の暑さを感じさせないという意味なのに、今年のこの暑さはなんだろう。
9月も中旬に入った。
近くの棚田では、見渡す限り黄金色のジュウタンが段々に裾野を広げている。
刈り入れの時を待つ稲穂が、丁寧にお辞儀をしながら、未ださめやらぬ雨のない猛暑残暑に精一杯耐えている。
なま暖かい蒸し暑さの風を受け、いささかお疲れの様子で右に左に揺れている。
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そろそろ秋から冬にかけての、なにがしかの菜園作りに気持ちを持って行きたいのだが、ちょっと動けば肌にまとわりつく下着。頭から顔から流れ落ちる汗。気持ちも畑道具も一緒に放り出して、エアコン効いた部屋に駆けり込む。
人間はこんな勝手を言っていられるが、稲穂だって同じことを思っているかも知れない。
モグラもバッタも暑いに違いない。でも彼らにはエアコンなんぞありはしない。
土に潜り、日陰を探して必死に耐えているのだろう。
9.11、アメリカ同時多発テロから9年というメモリアルデーを昨日迎えた。
コーランを焼くだのモスク建設賛成・反対と・・・こちらも未ださめやらぬ熱い議論が沸騰している。
いくら人間ががんばっても自然の偉大さの前にはなすすべがない。そこへ行くと人間同士の争いや我田引水は、所詮人間の知恵の範囲内。何とかなりそうなものを・・・と、物思う秋か・・・。
それがまるでウソのようなこの涼しさ。
ちょっとの油断が風邪と仲良しになりそうです。
黄金の稲穂といえばイチジク。なのに今年の雨不足はイチジクを大きく実らせませんでした。
仏壇に供えようにも、おふくろが「今年ゃ出来がようないのー」と言いそうな出来映え。
わやですいね。
虫の声が賑やかになりました。
暑さも涼しさも、そして虫の声も、四季がある我が国の何とも言いようのない心の安らぎを感じます。
今年の暑さは格別としても、この涼しさを引き立たせる役割は果たしていますね。
9年前のアメリカ、1週間後にあの不幸。
一生の平和祈念の日になりますね。
ようやく、畑に顔を出そうかな・・・などと思わせる風が吹き始めました。
でも一旦身に付いたサボり心、どうやって押しのけようか・・・と。
”「風土」は人間を限定する” 確かに風土とは、良くも悪くも人間を包み込んで染まらせてしまう魔力を持っている気がしますね。
やっぱり“ようわからん”ですが。
そして一合ほどのドカベン、作る方も勢がいいでしょうね。
彼との生活が、matsuさんをどれほど勇気づけているのかと思うことがあります。
kaorukoさんから初めてのコメント頂きました。
有難うございます。感謝しております。
日本の原風景、毎年目にする景色なのに、いつもホッとするものを感じます。
それには我々がもっとシャンとしないといけんね。
matsuさんブログでお名前は拝見しておりましたが、こうしてご挨拶するのは初めてですね。
思いの丈をぶつけるだけの拙ブログにお目通し頂き恐縮です。
これ以上もない、これ以下もない、代わり映えのない駄文の羅列ですが、今後も時々お目通し頂けると張り合いを感じます。
どうぞよろしくお願いします。
とは言え、昼間はまだまだ油断なりませんね。
黄金色のジュウタンの写真を見ると、子供の頃が思い出されます。
稲刈りのそばで、いちじくの木に登ってパクパクしていた元気な子供でした。
人類の争いはなかなかなくなりそうにありませんが、人類のわがままが自然界を怒らせると怖いことが興る気がしますね。
今年も異常な暑さでしたしね。
最近では特に感謝の気持ちで自然を見てるような気がします。
暑い熱いと随分ぼやいた夏でしたが、四季のある日本の良さ、有りがたさ、
また、日本人の敏感な感性が和歌、俳句、短歌とつながったのでしょうか。
秋の気配と共にすこ~しでも感性を研きたいですね。
秋には秋の畑仕事もあるでしょうが、まあ、もうしばらくの我慢?ですね。収穫物に飛びつく笑顔もみたいですしねえ~。
四季があるということが日本人の精神構造を作ってきた…。これは間違いないですね。自然と共存している日本人。
ですが、砂漠地帯や地中海地域では、自然との対決、もしくは自然を征服しようとして人間は暮らすので、絶対神が生まれる、などという話しを聞きました。
日本人には宗教面でも寛容さ?を見て取れますが、唯一の神をあがめる人間には他宗教は認められないのでしょうか…???
こういうことが、”「風土」は人間を限定する”
という事につながっていくのでしょうかねえ…。
いつも疑問に思っていることなのです。戦争、人間同士のいがみ合いはなくならんだろうなと思うことさえあります。
よく知らんけどね。
つい出てしまう愚かな質問。
孫はすかさず
「米と味噌スープ」
yattaro-さんの写真を拝見して、いつもの我が家のシーンを思い出しました。
とにかくご飯が大好きな子どもです。味噌汁と言わず「味噌スープ」というあたりが今時の高校生らしいところですが。
かつて、農政はめまぐるしく変り、こんな風景を軽視したこともありました。
今また稲作が見直され始めました。
古代からの農耕民族、そのDNAはいつになっても萎えないのでしょう。
うちの孫は今朝も米一合ほどのドカ弁を持って出かけました。
yattroさんのブログは多岐にわたるご活躍の様子や、広いご見識などとても学ぶところが多くまたお写真が素晴らしく、時にはお孫さんの微笑ましい表情や、気候風土に恵まれた岩国の素晴らしい風景などなど、それに皆さんのコメントも楽しく毎日開かずにはいられないこの頃です。今日の棚田もこちらの地方には珍しい風景
です。こちらの田圃は一面の見渡す限りの田園風景です。何しろコメが主産物の貧乏県ですので、・・・
これからも楽しみに拝見させていただきますのでどうぞ宜しくお願いいたします