どういうわけか、銀行や郵便局でのキャッシュカードによる現金の出し入れが馴染めない。時代遅れと言われようが何と言われようが、キャッシュカードを使わない。
持ってはいるのだ。銀行からも「これは便利です・・・」と強力に勧められた。
郵便局からも、他のもっと切実な事情を説明されながら、カードを持つことを勧められた。
持っていないわけではない、が、持ち歩いたことはない。
たとえわずかでも、銀行に預けてあるお金をそっくりそのまま、いつも持ち歩いているような不安にさらされる。「このカードが人手に渡ったらどうなる・・・」とか。
兎に角、頭の固い古いタイプの現金至上主義者である。これは生涯このままなのだろう。
以前は、銀行の窓口のお嬢さんが「〇〇さん」と名前を呼んでくれていた。
名前を呼ぶ方も呼ばれる方も、そこに一つの人間関係が生じて、つい笑顔の一つも交わそうという和みがあり、銀行の看板でもあったような。いまはそれさえなくなった。
銀行に入る。番号札の出てくる器械のボタンを押す。「〇〇番のカードをお持ちの方、×番窓口へお越しください」とコンピューターで呼び出される。味もそっけもない。
無言で行って、無言で現金を受け取り、無言で帰る。
『 番号で呼んで下さい肛門科 』 毎日新聞万能川柳
名前を呼んで欲しくない病院待合室の風景もあるにはある。が、ここは銀行である。我々はお客さんでしょ。窓口の女性にはお口もあるし声も出せるわけでしょ。だったら・・・と理屈の一つもこねてみたくなる。時代錯誤だよ…という声が聞こえそう。
もっとも、今や1億国民総じて背番号制が叫ばれているご時世だから、何もおかしいことではないのかもしれないが、この殺伐とした世の中、絆と言う字があれほど叫ばれているのなら、番号便利主義優先が見直されてもいいような気がすのだが。
でも ネット社会の現在 カードが無ければ
出来ない事も多く 最近使うようになりました。
が もし紛失したら・盗まれたら‥という
不安はあります。
現在飛行機の格安搭乗券が発売されているが
ネットからカードで申し込まないと予約
出来ません‥便利でもあり不安でもあります。
病院の会計待ちで名を呼ばれ、同時に二人の人が立ち上がるという光景を見たことがありました。
やがて番号札が渡されるようになって、それも呼ばれることはなくなり、
番号のランプの点灯を待つ…。
銀行でも名を確かめてはくれますが、そっけなさは残りますね。
慣らされていくようです。
でも、いつもかつも持ち歩くのは怖いよね。
段々人間も物と同じ扱いになって、口を開くことも少なくなるんじゃろうか。
せめてカラオケで大きな声を出さないと、普段の生活では物言うことも少なくなるのではないか・・・などと思うと、やはり一抹の寂しさが。
自分の番号の赤ランプが点くのを黙って睨んでいる。
病気がひどくなりそうな雰囲気ですね(笑)
小さな開業医あたりでは、「〇〇さん」ではなく、「〇〇様」と名前を呼ぶよう指導されたところもあったようですが。
銀行というお客商売でも、名前を呼び合うことが無くなって行くのは、預金意欲も削がれるのかもしれませんね。
もっとも今の低金利では、預金意欲など湧く心配もないですね(笑)
確かにカードを持ち歩くのは、不安な面もあります、源に家の宿六さんは車の中に置いた上着のポケットから,カードを盗まれ現金そっくり下ろされた苦い経験があります,
それでもやっぱりカードの世話になっています
といっても、ある程度自分で意識的に流れに逆らっている部分があるようです。
フトコロのお札が減って行くことで、自重を促したり、明日のことを考えたり・・・。
所詮はケチなのかもしれませんね。
スーパーで買い物をした後、3枚カードが入ったお財布を落としたのかバッグに入れ忘れたのか、失くしてしまったことがありました。
あの時の慌てぶりは今も忘れません。
夕方7時ごろでしたが、すぐに銀行に電話して使用不能の手続きをしてもらい一安心、が、その夜、不審な電話がありちょっと怖い思いをしました。
翌日旅行だったので多い目の現金とお気に入りのお財布がその日に消えてしまいました。
以後気をつけていますが、近くのスーパーのATMはまた便利で重宝なんですね。
できるなら持たない方がいいのです。
現金はなくしたとしても、そこで終わりますが、カードは根こそぎなくしてしまう危険があるように思います。
などと言ってもそれは個人的な感情で、現代社会には馴染んでいない話になりそうですね。
銀行で窓口女性との対面でお金の出し入れをいつまでもしていては、嫌われるのかもしれません。