
「五月雨は(さみだれ)は 腹の中まで 腐らせる」
ここでいうさみだれは、陰暦5月、太陽暦では6月半ばをいう、と書いてある。
決してきれいな言い方ではないが、陰気な雨に長く降り続けられると、いい加減いやになるな・・・といったところか。
暦の上では「入梅」というのはあるが、「梅雨明け」というのはない。
従って、7月も中旬頃に降る大雨と共に、轟く雷鳴によって梅雨明けを勝手に判断することが多い。
その時降る大雨を「送り梅雨」と呼ぶ。一旦は梅雨が上がったかな・・・と喜ばせておいて、またその後からしっかり降る雨を「戻り梅雨」とか「返り梅雨」とか言うのだそうな。
梅雨の呼び方、感じ方にも色々奥行きがあるもので、これらを少しでも身に付けておいたら、案外「腹の中まで腐らせる」などと悪態つかなくても、すんなりやり過ごせるのかもしれない。それにしても梅雨の中休みが長い。そろそろひと雨欲しいところだ。
ついでながら、梅雨の終わりから8月にかけて昼間に吹く南風を「白南風」というそうな。それに対する「黒南風」とは、梅雨の初め頃に吹く南風のことをいう。
風に色を付け、雨に感情を込める・・・いろんな古き佳き言葉をひもといてみると、じめじめ蒸し暑いこの時季もただ「鬱陶しい厭な季節」と思うばかりではなく、多少のゆとりが生まれるのが有り難い。 と、思いつつ、スカッとした夏を待っている自分に気付く。
( 写真:アスファルトのたまり水に、輪を描く雨脚 )
ここでいうさみだれは、陰暦5月、太陽暦では6月半ばをいう、と書いてある。
決してきれいな言い方ではないが、陰気な雨に長く降り続けられると、いい加減いやになるな・・・といったところか。
暦の上では「入梅」というのはあるが、「梅雨明け」というのはない。
従って、7月も中旬頃に降る大雨と共に、轟く雷鳴によって梅雨明けを勝手に判断することが多い。
その時降る大雨を「送り梅雨」と呼ぶ。一旦は梅雨が上がったかな・・・と喜ばせておいて、またその後からしっかり降る雨を「戻り梅雨」とか「返り梅雨」とか言うのだそうな。
梅雨の呼び方、感じ方にも色々奥行きがあるもので、これらを少しでも身に付けておいたら、案外「腹の中まで腐らせる」などと悪態つかなくても、すんなりやり過ごせるのかもしれない。それにしても梅雨の中休みが長い。そろそろひと雨欲しいところだ。
ついでながら、梅雨の終わりから8月にかけて昼間に吹く南風を「白南風」というそうな。それに対する「黒南風」とは、梅雨の初め頃に吹く南風のことをいう。
風に色を付け、雨に感情を込める・・・いろんな古き佳き言葉をひもといてみると、じめじめ蒸し暑いこの時季もただ「鬱陶しい厭な季節」と思うばかりではなく、多少のゆとりが生まれるのが有り難い。 と、思いつつ、スカッとした夏を待っている自分に気付く。
( 写真:アスファルトのたまり水に、輪を描く雨脚 )
鬱陶しい梅雨が明けたあとの盛夏、「白」がまぶし過ぎるほどです。黒南風は「くろはえ」と言えばいいのかな、知りませんでした。
「風に色を付け、雨に感情を込める…」
「雨上がりの明るい日の光が瑠璃瓦にきらめいて、あおみどりの色が波打つ」(「春日五
首」)
梅雨時の銀鼠色に輝く瓦もいいものですが、瑠璃の色を放って輝く瓦の美しさ、素敵な表現ですね~。
色を付ける、イメージが際立って美しくなることはありますね。
『黒い雨』が降る、これはあってはなりません。
少しずつ思い出したら書いてみるね。
その通りです、同じように色を付けても「黒い雨」これはいけませんね。
銀鼠色に輝く大きな大きなお屋根。
梅雨時の雨に濡れそぼるのも風情があります。そして真夏の太陽を反射して輝く、これはこれでまた素敵な日本の風物ですね。。