「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「待宵草の咲くころ」

2010年08月09日 | つれづれ噺
早くも待宵草が可憐な黄色い花を見せ始めた。この花が咲き始めると、広島・長崎への原爆投下の地獄絵と、何もかも廃墟と化した戦争終結への道筋が思い起こされる。

“こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ・・・・・・”

「長崎の鐘」に歌われる長崎は今日が原爆の日。3日前の広島と合わせて核兵器廃絶はもとより、全ての殺戮兵器をこの世から追放する声を上げたい。それより何より、お互い人間同士が、自分の欲望を満たすために人を傷つける戦争の愚かしさを考えなければならない。
現代の進んだ化学兵器を駆使して、本気になって国と国とが戦えば、間違いなく両者が滅亡の淵に落ちることを知らしむるべきであり、知るべきである。

日本に原爆が投下された理由は幾つか言われている。
ポツダム宣言に対する日本政府のコメント「黙殺」という微妙な言い回しが、英訳された時に「無視」と訳されてしまったことが原因の一つだとも言われている。
「黙殺」と「無視」では、日本人の感覚の中では異なる意味を持っている。
しかし、戦時の緊迫の中で、敵国たる外国人に、黙殺と無視の使い分けを求めるのは、やはり我々日本人の側に説明責任があったのではないかなどと考えてしまう。

耐えるのに一苦労するこの暑さ、21日ぶりにホンのお湿り程度の小雨に恵まれた。
もっと降れもっと降れ!!と思っても、人間の手ではなんともしがたいことではある。

「あらゆる兵器の廃絶・戦争放棄」など、人間の知恵と力で実現可能な課題は勇気を持って取り組む必要がある。と毎年この頃になると思う。ふと見ると、待宵草が咲いている。

       ( 写真: 久しぶりの小雨に濡れる待宵草 )
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