「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「アンコール!」

2024年11月17日 | つれづれ噺
          

コンサートなどで「最後の一曲となりました」と言われ、その曲が終わったら一旦幕が下りる、のではなく緞帳ともいう豪華なカーテンが閉められる。とたんに観衆が立ち上がって拍手を送り続ける。するとほぼ間違いなく再び幕が開き、ではなくカーテンが左右に開き、観衆の拍手に応えるようにもう一曲サービスで聞かせてくれる。
こんな一連の動作を「アンコール」と呼ぶと、馬鹿の一つ覚えのように思って来た。

今どきアンコールと言う言葉はあまり使わなくて「カーテンコール」というのよと誰かが教えてくれた。
我が定年後の人生を「自分のアンコール人生」と思って来た。つまり60歳で一つの幕が下りる。そして新たに始まるおまけみたいな定年後人生こそがアタシのほんまもんの人生だと、少し突っ張ってきた。というか、現役時代ほど周囲に気を使わなくてもいい、少しは横柄でもいいんじゃないの、などと思いあがった部分はある。
ましてやカーテンコールとは、お客様からの拍手で再び迎えられることを言うのならば、アタシの場合、誰も拍手などで迎えてはくれない。だからアタシはアタシ自身が拍手してアタシ自身がカーテンを開いて再び登場して、アンコール人生と呼んでいるだけのことである。

そんな理屈をこねるのは置いといて、仲良し同級生からアンコールの電話をもらっている話でした。今年の夏、同級生5人に電話して「昼飯を食べようや」と。集まった彼らに「今日は思い切って自分の病気の話をしよう」と持ち掛けたのだった。これまでは「病気の話はダメよ」とタブー扱いだったのを逆手にとって「おいM君、いま体調はどうなん」と向けたところ、みんなが一斉に「実は・・・」堰を切ったように話し始めた。酒もカラオケもない男5人女一人の席があっという間に2時間半過ぎた。

そして昨日も「Y君、あの時は楽しかった、またやろうや」と催促と言うかアンコールをもらっている。そっか~みんな一つや二つは密かに病と闘いながら笑って生きているんだね~。もちろんこのアタシも似たようなもんだけど。
思い切って憂さ話が出来るのは有難いチャンスだったのかも。よしまた近いうちに昼飯を誘おう。夜の幹事はもういい。昼間ならいつでもOKよ。


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