1月28日。長い人生の中で「一つの区切り」を迎えた思いがする。
昨夜は、姫孫の希さんから贈られた、倅夫婦からのお祝いの品と、「ギューッ」と口で言いながらの抱擁がくすぐったかった。うまい酒にも酔った。
そして今朝は起き掛けに、母親から教え込まれたのであろう「じいちゃん、お誕生日おめでとう」と、たどたどしい言葉でお祝いをくれた2歳半の仕草になんとも心温まる。この姫ともう少し元気で長く付き合いたいという意欲も湧いてくる。
74歳という新たな歳の始まりを迎えた今日。
気持ちの中でもっと大きく揺れ動く何かがあるのかと、他人事のように期待した部分もあった。
が、実際にその時を迎えると、淡々というか、格別な思いが頭をよぎるでもなく、意外にさっぱりした自分がそこにいる。
その一方で、「一つの区切り」として強烈に頭に浮かぶものがあるにはある。
同じ男としての大先輩であり、ライバルとして乗り越える第一目標に掲げる「親父の背中」である。
あの世に召されて43年が過ぎた今も、気持ちの奥底に、耳に、頭に、親父の言葉や生き様が鮮やかに記憶されている部分がいっぱいある。
そんな親父の享年が74歳という、今まさに自分自身が迎えた年齢である。
生きた時代も異なるし、生きた世界もまるで異なるのだから、単純な比較など出来ようもない。
と思いつつも、ついつい「一家の主としての適正は?」「父親としての品格は?」「旦那としての甲斐性は?」など、自分の生きざまに照らして、比較してみたい気がしないでもない。
総合的には、反面教師の部分が多かったと結論つけたがる私であるが、さてこれからの自分の生き方を、親父がどんな評価をするのか、少し気にかかるところではある。
ひとえに健康で長生きを目指し、親父より長生きしたことが唯一の自慢になるのだろうか。
ただ長いのが自慢じゃつまらん気がせんでもないねー。
“ 持って生まれた腕力の強さと旺盛な闘争心で、田舎相撲の大関を張ったこと
もある父は、明治32年生まれ74歳の生涯であった。
若くして「強い大関」ともてはやされたせいか、その後の人生は波乱万丈。
子供の目には反面教師とする点が多々あった。
そんな中でも、世間を見通す眼力、先駆者的な発想も随所に見せ、時に自慢
したくなる一面も持っていた。
良くも悪くも、最も身近で最も深く、男としての生き様を見せつけた人生の
大先輩でありライバルでもある。
そんな父の歳に肩を並べる正月。お灯明を上げライバル賛歌の柏手を打つとしよう。 ”
2016年1月4日 毎日新聞「はがき随筆」掲載された親父賛歌「父の背中」
昔と今では様々な事柄が違うことが多いのでしょうけど、根底にある親への思いはいつまで経っても変わらないものなのでしょうか。
希姫ちゃんからの「じいちゃんおめでとう」が嬉しいプレゼントでしたでしょうね。
こう言う教えをしてくれる親に育ってくれていることも嬉しかったりしますよね。
健康に過ごされて、いつまでもライバル心に闘志を燃やしてご活躍くださいね。
両親とよく言いますが、父親と母親では、同じ親なのに随分異なる見方をするようです。
ま、いずれにしても、息子にとって父親とは、乗り越える存在、ライバルみたいな感じがします。
誕生日をそれほど喜ぶ歳でもありませんが、姫孫からのお祝いは気持ちほっこりです。
もちろん悠雅君からのお祝いも同じようなものですが。
さていったい、これからどんなことが出来るんじゃろうか。
兎に角、元気寿命を伸ばせるように努力してみますよ。
武ちゃんも、元気でいこうね。