正月に飾る注連飾りや門松は、一般的には1月6日までとし、6日の深夜または7日の早朝に取り除くのが風習になっているようだ。
その間は、暮れに注連飾り・門松などで飾った我が家に、神様をお迎えし滞在して頂く期間だとされ「松の内」と呼ばれている。
但し、全国的な風習というわけではなく、一部の地区では14日の深夜または15日の早朝に取り除く地方もある。
新年に入って初めて出合った人に、新年の挨拶を交わすのも「松の内まで」と考えるのが常識的なようである。
そこで今日は、心地よい陽差しに誘われるまま、今年も少なからずお世話になるであろう数カ所へ年始の挨拶回りと洒落込んだ。
やはり顔を合わせ、言葉を交わし、ちょっとした去年の反省、そして今年の抱負・願望みたいなことを語り合うのはいいものである。
少ない時間、少ない言葉ながら、時が時だけにお互いの気持ちの中にスンナリ入っていく…というグッドタイミング効果は充分にあるようだ。
中にはじっくり話し込んで、次に回る予定が後回しになることもある。
そんな中である人が「60才までの生き方が、それ以降の生き方に反映する…」とサラッといわれた言葉が印象に残った。
考えてみればまさにその通りだ。ただ、普通には実際に60才を過ぎてから初めてそのことに気付く場合が多い。それでは既に手遅れになってしまう。
ならば、若い人たちにも、自らの生き方を見直す意味でしっかり「60才までを大切に…」と啓蒙したいな…という大きな収穫の一日であった。
その間は、暮れに注連飾り・門松などで飾った我が家に、神様をお迎えし滞在して頂く期間だとされ「松の内」と呼ばれている。
但し、全国的な風習というわけではなく、一部の地区では14日の深夜または15日の早朝に取り除く地方もある。
新年に入って初めて出合った人に、新年の挨拶を交わすのも「松の内まで」と考えるのが常識的なようである。
そこで今日は、心地よい陽差しに誘われるまま、今年も少なからずお世話になるであろう数カ所へ年始の挨拶回りと洒落込んだ。
やはり顔を合わせ、言葉を交わし、ちょっとした去年の反省、そして今年の抱負・願望みたいなことを語り合うのはいいものである。
少ない時間、少ない言葉ながら、時が時だけにお互いの気持ちの中にスンナリ入っていく…というグッドタイミング効果は充分にあるようだ。
中にはじっくり話し込んで、次に回る予定が後回しになることもある。
そんな中である人が「60才までの生き方が、それ以降の生き方に反映する…」とサラッといわれた言葉が印象に残った。
考えてみればまさにその通りだ。ただ、普通には実際に60才を過ぎてから初めてそのことに気付く場合が多い。それでは既に手遅れになってしまう。
ならば、若い人たちにも、自らの生き方を見直す意味でしっかり「60才までを大切に…」と啓蒙したいな…という大きな収穫の一日であった。
グサグサっと心に突き刺さる言葉です。
60歳まであと15年・・・
いい加減な気持ちでは過ごせませんね。
ついつい思うことと裏腹になることが多いです。
オット…失礼、今までも充分な生き方をしておられますよ。
みんなが頼りにする立派なお母さんですよ~。
有難うございます。大邪魔を致しまして…。
60才までも反省タラタラ、60才過ぎてもやっぱり反省…困ったもんです。
そこへいくと、ロードスターさん、反面どころか、どこから見ても正面教師ですよ…。
だからでしょうか、若い頃の自分に戻りたいとなどとは思いませんね。やはり、今の自分が一番いいです。
唯、昔のように思うままに動かない身体にはやきもきしますが、思考も行動もそれに合ったものなのでしょう。そう言い聞かせています。
でも、今がやっぱり最高ですね。今この時ですよ。
身体は昔のままとはいきませんが、これも上手に付き合って、やっぱり日々を楽しくですね。