何を基準に考えて「秋の味覚の王者」を決めるのか。
人それぞれに思いがある話なので、それらしき結論を出そうというのが、どだい無理な話であることに気づかされる。
「秋の味覚の王者? そりゃ言うまでもなくアレよ」「ウンあれあれ、アレに決まり!」「なかなか庶民の手は届かないし、希少価値だから」などという具体的な話になれば、何となく想像がつくし、大方の意見はまとまりそうだ。「アレだよアレアレ」「ふ~~ん、そんなもんかねー」。
結婚して数年間は、里の義父が精出して山の手入れをし、イノシシを追う猟犬を連れて、しょっちゅうマッタケ山を巡回して守っていた。
というのも、アレが出るころになると、朝早くにどこからともなく屈強な男がよそ様の山に入り込み、よく生える場所を知っていて根こそぎ持ち去る。サルの話ではない。人間のはなしである。へたに鉢合わせすると「何をしとるんか?」と、向こうが居丈高に山の持ち主を脅して我が物顔に盗っていく。そこに猟犬は役に立つ。但しアレは、素人にはなかなか見つかってはくれない。「鼻を利かせて」とか「アカマツの根っこの周り」とか言われるが、満足に手にしたことはない。
その点、クリは可愛いもので、目の前にコロコロと転がっていてくれる。年に何度かの下刈りをして、栗拾いができるように手入れするのは大変だったろう。いつからか義父が弱って手入れをやめたとたんに、マッタケ山も栗林も我がものではなくなった感じがするほど他人が牛耳る。おまけに栗林は、サルやイノシシが我が物顔にむさぼる。そうなるともう人間など手も足も出ない。
ホンのわずかでいい、甘党にとっての味覚の王者「渋皮煮」そして「栗ご飯」くらい食させてくれるといいのに、そんなに甘くない。渋皮煮は甘いのに。
日本各地でクマの人里徘徊が問題になっている。ひとつには、昨年のドングリや椎の実が豊富過ぎて、子熊が多く誕生した。それなのに今年は夏場の異常気象でクマのエサが不足だという。子供が多いうえにエサが不足となれば、危険を冒してでも人里へ近づくのも必定。しかも、里山の手入れをする人手不足で、動物にとっては「自分たちの領域か、人間様の領域か」区別がつかないほどに荒れ放題。ここに最大の問題がある。
おいしい栗の渋皮煮は三個くらいで我慢して、後はクマに分けてやろう。などと甘い顔をすると、栗だけではなく人間まで食おうとする。
自衛手段にも限界がある。ほんにクマったもんだ。ン? 結局何を言いたいんだか??
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