我が住む町、岩国のシンボル錦帯橋が今年で創建350年の記念の年を迎えた。
市を挙げ、色々な組織を挙げてお祝いムードに包まれている。そんな中で行われた「錦帯橋思い出エッセイコンクール」に応募した拙い一編を、ここに恥ずかしながら厚かましくもブログアップさせて頂きます。自分がよそ様に向けて書いたものをここにアップしていいものかどうか考えるうちに一日遅れになってしまいました。
『2分48秒の思い出』
岩国城ロープウエーが開業して間もない昭和39年の春、わずかな期間ではあったが岩国市の臨時職員、いわゆるアルバイトのご縁を頂いて、混雑する山麓駅山頂駅の乗客整理係を担当した経験がある。当時のロープウエーは昇降客を乗せたゴンドラにはガイド嬢が添乗し、岩国の歴史や名所を肉声で観光案内をしていた。
仕事柄、山麓駅と山頂駅を1日に何度も往復するうちに、片道2分48秒の観光案内の文言を完全にマスターした。
たとえわずかな期間でも、錦帯橋を中心とした岩国市観光事業の現場に居合わせたことは、その後の長い人生の色んな場面で、岩国市民としての誇りを自覚し、岩国の歴史や観光名所を2分48秒の名調子に乗せて宣伝することになる。
改めて市内の大手企業に入社して数年を経たころ、日本全国に点在する工場や営業所の担当者が岩国工場に集結して全社大会が開かれた。行事の進行とともにお酒も入り他工場の参加者がお国自慢を繰り広げた。引き受け担当の私も岩国のPRを何かと考えたとき「ヨシッこれだ」とひらめいたのが、「2分48秒のお時間を頂き、この会場を岩国城ロープウエーゴンドラに見立てまして・・・」と前置きして、吉川広家公に始まる岩国の歴史に触れ『天下の名橋錦帯橋をはじめ、春は桜、夏の鵜飼い、秋のもみじや冬の雪景色など、自然の織りなす美観は風光明媚な景勝として年間〇〇万人の観光客を迎え、観光と工業の町として発展しているのでございます・・・』と、ロープウエー上りの観光案内をやり切ったところ、意外に大きな反響を得て岩国工場の面目を施した思い出がある。その後も本社転勤の折には歓迎会の席で挨拶代わりに2分48秒間マイクを握らせてもらった。
それから数年を経たころ、単身赴任時代にお世話になったマンション管理人さんから「世界遺産ツアーで山口広島に行く。錦帯橋にも寄ります」との連絡を頂いた。遠い昔の恩返しになればと張り切って待っていたところ改めて「錦帯橋は約45分間の滞在です」との連絡が入り愕然とした。
「なんだそれは、単なるトイレ休憩じゃないか」と怒ってみても仕方ない。羽田から宇部空港へ、秋芳洞で一泊。萩・長門、津和野を経て錦帯橋でひと休み。安芸の宮島で一泊する旅程だという。バスの到着を待って大急ぎで錦帯橋を往復するのが精いっぱい。観光案内もお茶を飲む間もなかった。
岩国での観光案内をあきらめて、翌日早朝の宮島の観光を個人的に引き受けることして、昼食付のゆったり観光でささやかなお接待ができた。
そんな寂しい記憶の中で思うのは、旅行会社にとっては世界遺産の宮島と国の名勝錦帯橋ではこれほどの差がつくということを思い知らされた。この口惜しい体験を考えても、全長190mに及ぶ5連アーチという木造建築の高い芸術性や地元宮大工の技術伝承も踏まえて、錦帯橋世界文化遺産への格上げを強く強く望む岩国市民の一人である。 以上、お後がよろしいようで!!
素敵な “錦帯橋思い出エッセイ”を拝読させていただきました♪
9月に行った錦帯橋をより深く思い出しました!
私にとっての錦帯橋は、思い出の数々はもとよりですが、今も心の底から愛するというか、そこにあって当たり前。空気みたいな存在です。
思い出を語れと言われたらそれこそ色々あります。
そして過日、a-chan2212さんにはわざわざお訪ねいただいた親近感を覚えております。
このたび、このような賞を頂けたことを励みにこれからも益々強度の売り込みに力を入れていきたいと思っています。
早くにコメント頂きながら、返信が遅くなってしまったこと申し訳ありません。
今後ともよろしくお願いします。