「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「安らかな眠りを」

2024年12月24日 | つれづれ噺

                

ついこの間まで、年なりの元気を保ち、切羽詰まった病気もないまま優雅に自らの境遇に甘んじた生活を送っていた義兄91歳。私の家内である14歳年の離れた妹をこよなく頼りにしていた。当然私も義兄の応援団としてささやかな手助けはさせてもらった。

公務員生活が長く、あまり大きな声を出したこともない穏やかな性格が、軽い脳梗塞と判定が下されたころから人格が一変した。それまでにはなかった、角張った異常な厳しい発言が続くようになっていた。「脳梗塞と診断されているのにお前たちは見舞いにも来ない」という、いわゆる被害妄想的な発言で、それまで親しく付き合ったり助けて頂いた方が急に冷めた対応に変わった。頼りにしていたはずの私の家内まで完全に敵に回すような3か月が過ぎていた。実際は単に見舞いを怠ったわけでもなく「診断結果はどうだったのか」「大したことはなさそう」「ならば2・3日様子を見て見まいに行くよ」などと完全につながっていたのだ。

亡くなった直接の原因は、体内酸素欠乏などによる急性心不全といことだった。入居している、食事・介護付きのマンションから救急搬送されて2日目には帰らぬ人となった。
あの穏やかな性格が、逝去を前にして突然変異することが、どう考えてもつながらない不可思議な現象。これぞ病気ということなのだろう。と、今となってはあきらめるしかない。それにしても救急搬送から2日目の急逝とは、まさしくピンピンコロリのお手本みたいな話である。やはり本人の生き方の大半をお天道様はよく見ておられるということか。

それにしても、噛みつかれた数人は結局なんの精神的修復もないまま鬱屈した思いを抱えてのお見送りになった。やはり「人生いろいろ、男も女も生き方いろいろ、死に方もいろいろ、先に逝くものが得なのかな」。
だから人生って面白い。自分の最期がどんなものになり、どんな評価をされるのか。そんなことまで考えたら楽しく生きてなどいられない。これはもったいないことだね~。少々横柄に行くのもありか??


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