夕方、同級生の奥方から電話が入った。
中学1年から机を並べ、長じては同窓会の幹事を長いこと一緒にやり、発言力もある中で、常に力強い味方の一人であった彼がこよなく愛した奥方から。
「主人がついに亡くなりました」という訃報の連絡であった。
ここ数年、入退院の繰り返しが続き、見舞うたびに少しずつ失われていく迫力を感じてはいた。
初めの頃は「こんなのは病気のうちに入らんよ。早くよくなってまた遊ぼうよ」という激励に確かな反応を示し、本人もその気であった。
それが、入院生活が長引いたり、足越が弱って行くのを自覚するようになって、中学時代のやんちゃ坊主の顔も薄らいでいった。
羽振りが良かった頃の工務店の代表としての顔も、短い時間の中で老いを感じさせるようになっていた。
詳細な病状をここに記すことはしないが、あれこれ合併症が進行したのはこの目にも分かっていた。
奥方にはわりと早い段階で医師からの重要宣告はされていたことも、聞いていた。
「12月3日未明に臨終を迎え、安らかな笑顔の永眠にホッとしています」「葬儀も子ども達だけで済ませました」とのご報告を頂いた。
こればかりは如何ともし難く、ついにそのときが来たか、という思いの弔意を延べ、改めて幹事仲間数人で焼香に伺うことにした。
我々にとって、ギラギラ輝く真夏の太陽ではなかったが、ほっこりの暖かさで人々をホッとさせる晩秋から初冬にかけての、柔らか太陽であったような彼。
そんな太陽も夕暮れとともに静かに海に沈んでいく、柔らかい夕陽のごとく。これほど確かな自然の摂理に抗う方法などありはしない。
50歳から本格的に始めた同窓会幹事団の中で、黄泉路への先導者となった彼に、仲間の多くの悲しみと感謝の気持ちがある。
お悔やみ状ではなく、惜別の意を込めた感謝状を贈りたい気分である。
そしていつも思うのは、先に逝く者はいい。残された者は大変だ、ということ。
それも自由な選択肢などありはしない。ただ歳の順番だけは間違えないで欲しい。老少不定という言葉もあることを知ってはいるが。
出来れば「ごめんなさい」と先に逝くのがいい、などと勝手なことを思ってはいるが、これも平生の生き方を天が公平に判断するのだろう。
長い付き合いの友の逝去に 合掌。
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