「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「小学校最後の土俵」

2012年11月17日 | 趣味・・エッセイ


  正装の呼び出しも行事もいる伝統の相撲大会
                     
                               手に汗にぎる熱戦を展開  

天下御免 豊太閤官許 田浦相撲 (てんかごめん ほうたいこうかんきょ でんぼずもう)第432回相撲大会が、孫たちが通う小学校の特設土俵で行われた。
夜中から降り出した冷たい時雨は、朝になっても衰えを知らず。風も強くなってきた。それでも決行するという情報に、勇躍出かけることにした。

PTA役員になっている娘は、トン汁やおむすび、フライドポテトにフランクフルトなどの販売準備が忙しいらしく、9時には三男坊を預けに来た。ひとしきりお神楽の相手をしていざ出発。お兄ちゃん大好きのこの三男坊。兄ちゃん応援とあらば雨も風もめじゃぁない。

そんな思いはジジもババも変わりはない。予選を勝ち抜いた者だけが上がれる土俵上の晴れ姿。ましてや小学生としてこの土俵に上がるのはこれが最後となる。
降りしきる雨も、横殴りの風もなんのその。カメラを抱えてひたすら応援。1・2年の男女、3・4年の男女。そして5・6年の女子と進み、いよいよ5・6年生男子登場。

身じろぎもせず見守っていた三男坊、兄ちゃんを見つけると「ちひろー ちひろー」と大声を上げる。東西両応援団席からも黄色い大声援が贈られる。いざ立ち会い。
一進一退の熱戦。相手の反則によって二度も中断。三度目の正直、もうひと押し。同体かと思われたが、四本柱に陣取る審判員の手は無情にも相手方に上がった。

小学校最後の土俵での優勝はなかったが、1・2年の時の栄光は胸に残っているだろう。喜びも悲しみも味あわせてくれた小学校の土俵。民俗芸能保存会に感謝である。

このように、彼らの住む町には440年に及ぶ伝統ある田浦相撲をはじめ、お神楽や奴道中、獅子舞など沢山の保存会のある古き良き田舎町である。次男坊も三男坊も、そのような伝統を守るお年寄りに見守られ、地域に育てられる部分も少なくないだろう。
雨の上がった午後からは、中学生による、実際に横綱を付けた「横綱土俵入り」も披露され、やんやの喝采を浴びていた。冷たい時雨に見舞われたがとっても爽やかな一日となった。お隣ではあるがよそ様である。何のお手伝いも出来ないのがちょっとね。  

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「11月15日」

2012年11月15日 | つれづれ噺

                
                     坂本龍馬が密かに住んでいた「酢屋」嘉兵衛宅

11月15日といえば、我ら岩国検定の第2回検定試験受験申込締め切りの日である。
さて、何人の応募があったでしょう。正解者には抽選でハワイ旅行をプレゼント・・・など出来るわけはないが、まあちょっと考えてみておくんなさいまし。

ちなみに、前回第1回目の応募者は107人であった。
それを上回るほどの応募があるなどという甘い考えの人が・・・中にはいるかな。
それこそご当地検定受験者としては、いささか覚束ない気がしないでもないが・・・。
只ここで結論を出すには時期尚早。試験日前日まで最終人数は伏せることにしよう。

さてもう一つの11月15日。民主党が政権を投げ出す前日。そんなことではない!!

あの武家政治・幕藩体制から、天皇制民主主義・近代国家の夜明けとも言うべき、明治維新の立役者となった「坂本龍馬」の祥月命日である。
かつて京都を舞台に繰り広げた、長州と薩摩の周旋や、船中八策を懐にあたため、天下を動かし日本を洗濯する下地を作った仮住まいとも言うべき河原町三条下ルの酢屋嘉兵衛宅。今年も多くの龍馬ファンが訪れたようである。

言うても詮なきことながら、会津お抱えの「新撰組」とも、幕府直属の刺客集団「見廻組」とも言われる凶刃に斃されることなく、龍馬がもう少し長く生きていたら、今の尖閣問題なども起きなかったかもしれない・・・などと飛躍した理想論が頭をかすめる。

実際に龍馬が襲われたのは、ここ酢屋嘉兵衛宅ではない。
ここでは、格子窓のある二階にひっそりと住んで、時おり、西郷隆盛から贈られたといわれるピストルの試し打ちをしたり、回天以降の徳川家の身の振り方や、新政府の議会の在り方などを、夜毎日毎練りに練った、言うなれば隠れ家である。

そんな龍馬が凶刃に斃れた直後、京の空は一天にわかにかき曇り、怒涛の如く吠えるような大嵐と共に、龍が天に昇る時のようなうねりが襲ったという。
それも一瞬、その直後には見事な虹がかかったということである。
今日の京都にも大きなはっきりした虹が出たと、リアルタイムで報じていた。
信じがたい話しながら、実際にこの世にはこんな不思議な話もあるということだ。

        
11月15日、午後3時28分。山肌を染める紅葉の向こうに、絵に描いたような虹が出た。
講釈師、見て来たような・・・そんな話では決してない。まさにリアルタイムの話である。

願わくば我々の執念を架けた岩国検定が、こんな素敵な虹のような終章を迎えられると嬉しいのだが。

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「信心の使い」

2012年11月13日 | つれづれ噺

        
            銘香 しののめ   京老舗 松榮堂

このブログに文字や写真以外のものを載せられるものなら、香りを載せてみたい。
そんな思いに誘われるような、たおやかな、ぬくもりさえ感じさせる芳香。
先だっての京都時代祭り見物のお土産のひと品である。

丁寧に包装された箱から、新たに一束を取り出しお線香立てに納めた。そのときの香りが得も言われぬ香り。思わず今一度、買い求めたお店の名前など確かめた。
『仏さまに供養する香・華・灯の中でも香を供養することは仏さまの最も愛好されるものであると共に人の心を清浄ならしめる功徳のあるものです。香は信心の使いとして捧げる人の真ごころを仏さまに供えます』と、箱から出て来た和紙にしたためられている。

「仏壇にお供えするお花は造花はいけません。たとえ粗末な花でも生きている花を供え、枯れて行く花の命を仏さまに差し上げるものです」と教わったことがある。
そこへいくとお線香は、我が身を燃やしながら、豊かな香りとほのかに消えてゆく煙をお供えすることになるのだろうか。

時にお線香の煙は、風もないのに、ゆらっとすることがある。まるで生き物が呼吸しているような仕草を見せ、不思議な気持ちになることがある。
今なにゆえにお線香の話題なのか、自分でもよくわからないが、このところ仏壇やお墓とご縁の深い日々を過ごしたせいだ。と言うことにしておこう。 

線香は、香木や香料に松脂(まつやに)などの糊や染料を加えて練ったもので、主な原料には、白檀(びゃくだん)・沈香(じんこう)・伽羅(きゃら)だそうである。
一つだけ付け加えておくと、花街では芸者さんの花代を線香代と呼んだそうである。これは、線香が1本ともる間を単位に時間計算をしたからだそうな。(ネット拝借)

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「褌を引き締めて」

2012年11月12日 | 岩国検定

        
         岩国検定、ポスターの一部

2回目の岩国検定試験実施に向けて、試験問題をプリントした。
表紙と合わせてAー4版10枚。当面100人分を帳票、ホッチキス止めした。
これは、いよいよ検定実施が間近に迫ったことを意味する。そして我々実施する側の緊張感が一気に高まる時を迎えることになる。

ご当地検定特有の曲線を描く受験者数グラフ。あの日本を代表する京都検定に於いても、受験者数の右肩上がりは考えられない。
お隣120万都市広島市もまたしかり。回数を重ねるごとに極端なまでに減って行く受験者数。人口15万人に満たない我が岩国市に於いてもその傾向に何ら変わりはない。

我ら岩国検定は一昨年に続いて今回が2回目である。しかも1年の猶予期間を置き、その間、テキストブック「いわくに通になろう」を刊行した。
そのテキストブックが、予想に反して怒涛の如き需要で、400冊があっという間に完売した。ということは、今回の検定受験者は前回の比ではなく伸びると読んだ。
残念、その予想はくつがえされた。同じ予想外れでも、テキストブックの方は引っ張りダコという想定外の結果だったのに、受験者数は今のところ伸び悩み。

何故なのか?。人間の心理と言うのは簡単には計り知ることはできない。
ただ結果において、テキストに対する興味と、検定試験に対する興味は必ずしも一致しない。つまり、テキストを一通りひも解くことで「いわくに通」になれた、という気持ちにさせたのだろうか、その結果、受験まではね~と言うことになったのか。

「岩国のことをもっともっと多くの人に知ってもらおう、それによって郷土を愛する気持ちを高めよう」という我々の当初の純粋な目的はある意味では達成されたことになる。
後は、今一度褌をしめ直して、受験者のためにどれだけのおもてなしをして、気持ちよくお帰りいただくか、結果をどのように喜んで頂くかということに取り組むことが肝要。
錦上さらに花を添え、第2回目を納得行く形で終わらせたいものである。

『受験しようかどうしようか迷っているアナタ~!まだまだ間に合いまするぞ~~!!』

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「祥月命日」

2012年11月10日 | 趣味・・エッセイ


             
                   隠れ紅葉の名所、岩国紅葉谷公園。「今が旬」

今朝一番にすること、それは何はおいても仏壇にお線香を手向けること。
亡き母の5回目の祥月命日。あの日から丸4年の歳月が流れた。
仏壇に置かれた遺影のまん丸い目が、いつも小生を見詰めているようで、4年と言う歳月が本当に過ぎたのだろうかと、指を折って数えることもしばしば。
そのくらい、まだまだ母のいろんなことが、完全に過去の物となっていないことに驚く。

もっと何かしてやれることがあったのではないか、もっともっと寄り添って、母の想いのすべてを受け入れて上げるべきではなかったのか、他に方法はないというほど本当に尽くしただろうか・・・。こんな思いがいつまでたってもついて回る。
生涯を一つ屋根の下で暮らしてきて、最期を看取った者が背負う宿命かもしれないが、切なさというお荷物は容易には背から降ろせそうもない。

そして今一つのすることは、お墓参りを。しきびと小菊を花立て一杯に立て、石灯篭にも火を入れ、ゆっくり手を合わせる。ここでようやく気持ちの泡立ちが治まる思いに。

亡くなったあの時も、初冬の風にヒヨヒヨ揺れるコスモスの頼りなさがやけに目に付いた。
そして今一つ、紅葉が盛りを迎えようとしている季節であったことを思い出した。
そうだ、気持ちの切り替えに、紅葉のかくれ名所の一つと評される、岩国吉香公園の一角、紅葉谷に紅葉見物、紅葉狩りに行くことにした。

銀杏の色付きや落ち葉は「黄落」と呼ぶにはまだ少し間があるようであったが、かえでの色付きはまぎれもなく今が見ごろ、まさに「今が旬」であった。
今夜から明日にかけて、まとまった雨の予報もある。今日が最高であったと思いたい。
そんな見事な紅葉をこの目に焼き付け、今一度仏壇に報告しておいた。

八月は父の祥月命日もあり、日本中が鎮魂の月としてお線香の香り絶えないが、この十一月という月も今しばらく小生にとっての鎮魂の月と言える。  合掌

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「待ちぼうけ」

2012年11月09日 | つれづれ噺

     

料金後納郵便という切手を貼らない葉書が届いた。
その葉書には何故か「親展」の赤い大きな文字が赤い四角で囲んである。
親展というからには封書であるべきではないか。と先ずはこの葉書に苛立ちをおぼえる。そもそも親展とは、手紙・電報を名宛人自身が開封することを求めるのに使う語。親披、直披。と広辞苑にある。

これは飽くまでも封書ではない。葉書である。が、屏風のように三枚開きになっている。内面にこまごまと大切な連絡事項がいっぱい書かれている。だから開封、つまり親展か。
昨今の経費節減のあおりで、通信費が抑えられ、封書に入れる手間も省けることから、こういった葉書形式の折り込み封書風な郵便物が横行している。

届いた葉書が「高齢者講習通知書」と、「高齢者」という字が真っ先に目に飛び込むように大書してあるからといって、八つ当たりしているわけでは決してない。
まだまだ先の話と思っていたのに、高齢者と言う言葉はあまり好きでないのに、ついに来おったか。と自分の年齢を素直に認めたくない思いが、叶わぬ抵抗を試みているのだろうか。無駄なことと知りながら。

次回免許更新するためには、この講習受講が義務付けられている。
確かに、高齢者運転による事故発生件数の増加を考えると当然と言えば当然かな。それにしては、忙しい若いお母さんの無謀運転は講習の対象ではないなー。

兎に角素直に?、高齢者講習を受けようと所定の手続きに入ったら、「来年1月17日においで下さい」ということだった。葉書が来たのが9月の下旬。こちらが申し込んだのが10月初め。あまりにも長い待ち時間。予約を忘れてしまいそう。
こういうのは待ちぼうけとは言わないのかな。その割には随分遅いブログアップだねー。

やはりどこかに「高齢者」という言葉にイチャモン付けたい自分がいるなー。

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「転ばぬ先の・・・」

2012年11月07日 | つれづれ噺

      

何故こんなことになるのかよくわからないが、いつの間にか自分がそうなっていた・・・。
などと言う話、この頃ではよく耳にする。
なりすまし詐欺だとか、架空の投資話で、メインバンクからどこかへ送金してしまった。
相手は誰か分らない。何故こんなことに自分がはまってしまったのか、後悔する。

これらは、本当に悪いヤツらで、自分の正体を見せないまま、他人の財産を盗み取ろうなどという不逞の輩である。慎重の上にも慎重を期して、被害者にならないよう気をつけたいものである。気を付けて自分自身を守り、不逞の輩に甘い汁を吸わせない努力が、こういった犯罪防止につながるのではないか、などと。

ところで今回、一泊の器機を貸与されて就寝から起床までの終夜検査というのを、自ら名乗り出て受けてみた。
つまり、何故こんなことになったのか、自分ではよくわからないまま、兎に角対策を施した方がいい、そのためには先ず実態調査が要るということで、このような仕儀に相なった。

「睡眠時無呼吸症候群」と言うのをご存じであろう。
色々複雑なことはあるが、簡単に言えば、睡眠中10秒以上呼吸が停止すること。
もちろんその後すぐに深呼吸があって、正常に戻る。またしばらくすると呼吸停止、また復活の繰り返し。なんで停止するのか、呼吸が止まったら苦しいだろう、そんなことは自分では分らない。だから厄介。本人は健康状態に何の支障もなく、普通に夜になったら眠る。

その時に、呼吸が10秒以上停止したとしても本人は全く気付かない。眠っているそばに起きている人がいてくれて初めてそれが分るし、教えられて、そうかなーと思う。
専門的な装置を身につけて、ごく普通に一晩寝る。その間、どのような呼吸状態であったか詳細な結果が得られる、という優れものが世に出ていることをお知らせしておこう。

もしも心当たりがある方は、転ばぬ先のなんとやら、早目の検査が奏功するかも。
時は立冬。寒さ対策はもちろんだが、自分の見えない部分の健康管理もお忘れなく。

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「謙譲」

2012年11月06日 | 季節の移ろい・出来事

        
                 石蕗の花・・・『 謙譲 』の花ことばが

喪中はがき第1号が届いた。早くもそんな季節になったのか。
そういえば、勝手口を出たところにある石蕗が、今年も見事な花をつけた。
寒さに向かってけなげに咲いている。花言葉は「謙譲」「困難に傷つけられない」とある。

第1号の喪中はがきと前後して、注文しておいた年賀はがきが届けられた。200枚。
郵便配達員さんのセールスに乗っかった。つまり彼の営業成績の片棒を担いだわけだ。
この配達員さんとはなんかしらウマが合う。彼の飾りっけのない謙虚な人柄に惹かれたのか、積極的な仕事ぶりに魅せられたのか、よう分らんがしょっちゅう顔を合わせる。

こっちが葉書や手紙をしたためて、投函しに行かなければ、と思っているところへ配達にやってきて、何度かハチ合わせした。
「これ、持って帰ってもらってもいい?」恐る恐る覗ってみる。「いいですよっ!いつも有難うございます!!」。気持ちよく郵便物を持って帰ってくれた。
こちらは投函の手間が省けて大助かり。彼のこんな仕事ぶり、はっきりした応答の一言で彼から年賀状を買うことにしたという次第。

商売やセールスなんて所詮こんなもんだ。出会い頭の阿吽の呼吸は大事である。
こちらの手間が省けるのと、彼を喜ばせるのと、ちょうど利害は一致した。
後に残ったのは、郵便物を投函するウオーキングを辞めてしまったこと。年賀はがきを買いに行くお出かけさえも辞めてしまったことの後ろめたさか。
こりゃいけんと少し反省。思い直して明日は海の公園でも歩くことにしよう。

それにしても、郵便業務は親方日の丸ではなくなった。
配達員さんも立派な営業マンの一人なのだという意識を忘れず、謙虚に仕事する姿を見せてくれるのは清々しい。

石蕗の花が見せる輝くような金色の向こうにある花ことばは「謙譲」である。
郵便事業のお客面を引っ込めて、郵便物投函ウオークに精出そう・・・かな。

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「時雨を読んで」

2012年11月04日 | 季節の移ろい・出来事

 
        ビフォー                       アフター

「今年は本当に秋が来るんじゃろうか」という友の言葉に思わずうなずいてしまうほど、一気に冬の到来を思わせる寒さがやってきた。
日曜日の夜から月曜の夕方にかけて本格的な雨の予報。
その通り、先程来見るからに冷たそうな時雨が、時々音を立てるほど降っている。

今週の時雨は降る時を知って、日曜日の夕方まで待ってくれたので許すとしよう。
昨日から今日にかけて、恵比寿祭りや文化祭、スポーツイベントなど多くの行事が予定されていた。みんな消化できて喜んでいることだろう。

ここにも、今日の時雨を読んで、やるべきことをやってほくそ笑んでいる男が一人。
先ずは昨日、白玉200本、赤玉100本、計300本のタマネギを植え付けた。
埃が立つほどの畑に植え付けるのだから、直後の雨は貴重である。早くから週間天気予報を睨みながら、雨の予報を待っていた。

そして今日、今度は雨が来る前に渇いた状態を利用して、五葉の松の枯れ葉落とし。
毎年のように「そろそろきれいにしたら」と言わせないうちにやってのけた。
実はこれがなかなか厄介な作業である。「猫のノミを取るように・・・」と表現されるように、一つひとつの葉っぱのかたまりを、完全にもみほぐすようにして茶色くなった葉を落として行く。少しでも手を抜くと、茶色が残ってどうもスッキリしない。

2時間余り、腰を伸ばしたり縮めたりの悪戦苦闘。
ようやく、手のひらで払っても揺すっても茶色い葉っぱが落ちなくなる。
その分足もとには、あの短い鋭い枯松葉がうず高く積っている。

取敢えず面目躍如。1ケ月半後にもう一度わくら葉を落としてやったら、青々した松でお正月を迎えられる。
それもこれも時雨を睨みながら、ようやく重い腰を上げるのだ。
時雨が一つの起爆剤になるという、ものぐさ男のお粗末。お付き合いかたじけなし。

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「結果オーライ」

2012年11月03日 | 晴耕雨読

    ヨイショ!コラショ!!
                    

猛暑酷暑に極端な雨不足の夏場。生い茂るはずのサツマイモのツルが、今年ほど伸びなかったことはない。「こりゃ今年はいも掘りイベントも出来んわい」と、たかをくくり、掘る気にもならないままほったらかしていた。孫兄ちゃんも次男坊も、芋掘りくらいの話では寄ってこなくなった。小癪にも成長しおって・・・。

久しぶりに午後から孫の三男坊悠雅君を預かることになった。
お好みのまま、遊びは一通りのメニューをこなしたがまだまだお迎えまでには時間がある。ダメでもともと畑に出て芋ヅルでも引っこ抜かせてみようと、軽いノリで畑へ。

「なんじゃこりゃ!」と驚くのはジジの方である。あきらめていたサツマイモが出てくるわ出てくるわ。しかも三歳児が両手で精一杯引っこ抜いたのが、今年の最高30センチ以上の大物。力持ちの男の子、片手で差し上げてはいるものの、結構重い750グラム。
しかも、どのツルにも間違いなく大物が埋まっている。
数こそ少ないが図体はどれも昨年の比ではない。なんでじゃろう?よう分らん。
成長せんのなら途中で引っこ抜いて他の物を植えようかとさえ思った時季もあったのに。 

ただ、梅雨前の畑づくりの段階では、元肥をやり、もみ殻を土と混ぜて、ほんわか柔らかなサツマイモ用の畑に仕立て上げたのは間違いない。
それだけで植物は嘘をつかないほど生易しくはないと思っていた。
たまたまかもしれないが、結果オーライの果報を寝て待つ幸せを得た。

今年のような異常気象の中でも、一旦地上に命を与えられた物の生命力はそれほどヤワではない、ということを改めて知る。
孫の応援団長を名乗るこの身。短気など起こしてどうする。
ひたすら長い目で見守り、時に逃げ場としてのスペースを確保してやらねば。

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