「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「涼を求めて Ⅲ」

2013年08月09日 | おせっかい

               
涼を求めてあれこれやってみる。ドライブがてら足を延ばしてもみる。
色々やってはみるが、詰まる所お腹の底から涼を得られた・・・と思えるのはやはりこれに尽きるようである。
気の合う者が集まって、ジョッキ片手に大きな声で「カンパ~~イ!」と叫ぶあの瞬間。
喉を通り抜ける生ビールの味。汗をかいて火照ったお腹を冷たいものが駆け巡る。五臓六腑に沁み透るともいう。
そして笑顔はじける友の笑顔。得も言われぬ幸せ感と清涼感を同時に味わう、ビアパーティ。

この夏予定されていた4回のこういったパーティも全て修了した。後は、勝手に思いついた時出かけるのかな?
いやそれほどアルコール依存もしていない。やっぱり何人かを、たとえ嫌がられても誘って行くのだろう。

最後4回目のパーティは、例によって中学校仲間のミニ同窓会であった。
声をかけ始めたころには25人も26人もOKの返事を寄越した。
ところが、段々その日が近づくにつれて、1人減り、また1人減り・・・当日のドタキャン電話を合わせて6人もキャンセルが出た。
これは前代未聞の出来事である。

その理由のほとんどが「急に体調が悪くなった・・・」という。
無理もない、この連日の猛暑酷暑、よほど元気か、仲間と会えるのを楽しみにしているか、どちらかに絞られる。
しかし、このような人数の変動は、幹事にとっては大変な労力を要するんよね~。
幸い会場が懐石料理などではないビアガーデンという人数的に余裕のある場所だからいいようなものの・・・。
まあ幹事としても、季節がら、そういったアクシデントを読んで、会場設定をしているのではある。

元気に集まった20人からは「次の本番同窓会はいつやるの?」などと気の早い話をする。
「待て待て、この暑い中でそんな話はよそうや」などと言いながらカラオケマイクに暑さをぶつける。

などと考えてみると、やっぱり、手っ取り早い最高の“涼”は、駅前のビアパーティという安近短に落ち着くのか。
これで、誰かが手を挙げて幹事役を引き受けてくれたら、それっこそ最高の“涼”になるのだろうが。

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「涼を求めて Ⅱ」

2013年08月08日 | 季節の移ろい・出来事

 
         山と山が重なり合う深い森                    山口・島根県境
  
          深谷渓谷看板                橋の銘板には昭和37年完成と書かれている  

住んでいる瀬戸内海沿岸から中国山脈のふところを目指して、クルマを走らせること1時間30分。
錦帯橋が架かる錦川本流や支流をさかのぼること70km。娘の嫁ぎ先の実家がある集落に着く。
お隣り島根県との県境に位置しており、実にのどかではあるが、過疎という現実に直面した集落でもある。

そこには、錦川の支流「深谷川」が流れていて、その小さな川が山口県と島根県を分けている。
川の流れが土砂を削り、洗い流し、長い年月をかけて作り上げた、文字通り急峻なV字型渓谷を作り出したと言われている。
そんな渓谷をまたぎ両県をつなぐ橋が、このドライブの目玉「深谷大橋」である。橋の銘板には昭和37年完成と記されている。

  
               足元はるか、80mの下を小さく流れる深谷川の清流

全長わずか99.5mという短さではあるが、その深い谷底は、高所恐怖症の人にとってはなんとも耐えがたい80mもの直下に、チョロチョロと深谷川の水が流れている。小石を落としてその時間を計ってみようと試みるが、小石は真っ直ぐ下に落ちることなく、風に押されるのか引き込まれるのか、途中で見失ってしまう不思議を見せる。

それゆえに、完成後しばらくは「〇〇の名所」という有り難くないあだ名を付けられた時期もある。
お浄土への旅立ちに、自ら手っ取り早く近道をするためにこの橋、この渓谷を選んだ、という悲しい事実もある。
一つの対策として、大人の腰までしかない欄干の外側に、高さ2mに及ぶ、飛びおり防止の柵が設置された。

完成当時は一大観光スポットとして、茶屋や食堂など繁華で、観光バスも立ち寄っていた。
そんな面影は遠い遠い昔の話。今では、1時間滞在するのが精一杯。その間通るクルマの数は10台に満たない。
改めてその橋をゆっくり渡り、はるか下を覗き込んでみる。
思わず吸い込まれそうになる恐怖と、遠い過去の見知らぬ魂魄が、おいでおいでをしているような錯覚さえおぼえる。

そこには渓谷の底から吹きあげる涼風と、山と山が重なる深い森の静けさによる涼しさが、涼を求める気持ちを優しく包んでくれる。
ただその空気のひんやり感だけではない何かを感じて、より一層涼しさを得るドライブであった。

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「涼を求めて Ⅰ」

2013年08月06日 | 季節の移ろい・出来事

 

                
                   錦帯橋の上空を焦がす花火。 河原に広がる夜店に灯り

暑い夏、涼を求めてさまよいたくなる。が、下手をするとそれがまた汗のもとになる。
真夏の手っ取り早い納涼、色々あるがその代表格はやはり地元の花火大会かな。
安・近・短を最優先するとはいっても、地元商店街の夜市だけではなんとも物足りなさがある。

岩国といえば錦帯橋。錦帯橋と言えば「錦川水の祭典・錦帯橋花火大会」が夏のメインイベントとなる。
錦帯橋上空に打ち上げられる花火はおよそ6000発。集まる人は、実行委員会発表で12万人とも言われる。
高いお金を出して遠くの花火ツアーに参加するほどのこともない。と思いつつ、関門海峡の花火大会はすごいらしね、などと言われるとつい心動かされる弱さも持っている。しょせん、隣の芝生が青く見えたり、他人の花が色よく見えたりするある種の錯覚なのだろうが、たまには遠出もよさそうだ。

錦帯橋下川原に陣取った夜店のひしめき。この賑わいを見るだけでも、なんかしら一夜だけは不景気を忘れさせる勢いがある。
そして錦帯橋上側では、優雅に鵜飼い遊覧船に乗った花火見物もある。
但し、これは安・近・短のモットーに反して、高価な乗船料と、早くからの予約と言う面倒臭さもある。

それにしても錦帯橋鵜飼い、来年度の実施が危ぶまれているような噂も耳にする。
高まる人件費、観光客の減少、企業の接待費削減など、色んな要素があるようだが、なんとか川面に映える篝火を消さないで欲しいと勝手ながら思ってしまう。
伝統にすがっているだけでは存続が難しいのかな~。こんな話を聞くと、背筋が冷える。納涼話と言えるのか??

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「よっこらしょ!!」

2013年08月03日 | 晴耕雨読

 
            畑でチョッキン!                       抱えられるかな?

 
     5.7kg。やっとこさ持ち上げて!                 先ずは仏壇にお供えして

天候不順の影響をもろに受けた畑の作物。
特にスイカは、中身が見えないだけにその成長ぶりや、いつチョッキンするか、気がかりで仕方なかった。
「ネエじいちゃん、チョッキンしようよ・・・」と毎日迫る4歳の悠雅君をたしなめ「もう少もう少し」と一日延ばしにしてきた。
ガンガン照りから一気の大雨。こりゃいい塩梅に雨が来たと喜んだ。

さあそろそろチョッキンさせようかと畑にでてみれば、なんと、食べごろの真っ赤に熟れたスイカが2瓢、無残にも割れているではないか。すでにアリンコが黒山とたかり、異臭を放つ。カラスでもタヌキの仕業でもない。自然現象のいたずらだ。
あのガンガン照りに耐えて一気の大雨を、スイカのツルも喜んだろうと思っていたのは大間違い。日照り続きの後の大雨はスイカを割ってしまうのだと言う。不勉強のにわか農夫、そこまでは気がつかなかった。
しまった!これは悠雅君に見せられない。慌てて穴を掘って埋めておいた。

それからしばらくは小玉スイカの熟れたのを3個もいで、美味しく味合わせた。
それでも、「あの大きなのを早くチョッキンしよう」と相変わらずせがむ悠雅君にやっと許可を出し、今年一番の大物「黒スイカ」をチョッキンさせた。「抱えられるかな?」「そりゃ持てるいね」「じゃやってみる?」 持たせると身体を張ってなんとか抱える悠雅君。
体重計で計ってみたら5.7kg。一昨年の7.4kgには及ばないが、取敢えずじいちゃんの腕前を納得させることはできた。

今年もこうして、「スイカができたできた!」と喜ぶ写真をお見せするだけで、ただの一口も味わって頂くわけでもなく、申し訳ないな~と思うてはいるんですぞ。
ブログというものは、そういった点では融通がきかないんよね~。現物をお届出来なくて悪しからず。

こんなやり切れない暑さの中で、またまた自慢話をしてしもうた。
書くほうも少しは遠慮があるが、読まされる側はもっともっと大変じゃね~。

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「暑中見舞い!」

2013年08月02日 | 季節の移ろい・出来事

                  

暑い暑いと一日に何度口にしているのだろう。
エアコン効かせた部屋の中でじっとしているばかりもいられず、あれこれ身体を動かす。するとたちまち汗が噴き出る。
特にこのところの蒸し暑さは、体内の水分をしぼりだすほどで、体力が消耗していくのが分かるような気分になる。

そのように人間は愚痴もこぼすし、逃れられないことが分かっていても不満のひとつも言ってみる。
昨日・今日と、二日続きで小学生の竹細工教室に付き合った。あの体育館の蒸し暑さ。半端ではない。
それでも二日とも、午前8時の準備から12時に終わるまでの4時間、みっちり汗をかく。体重が減るほどの、汗 あせ アセ。

何はともあれシャワー目がけて帰って見ると、出がけには気付かなかったホテイアオイの花が見事に咲いていた。
今年の一番咲きである。誰かに見せたい、見てもらいたい、。
そんな気持ちが、シャツがまとわりつく汗を一瞬忘れ、シャワーを後回しに先ずはカメラをむける。パチリッ!

格好の『暑中見舞い』の写真になった。シメシメ・・・。
yattaro-ブログをひもといて頂いているお方に暑中見舞いをしたためようと思い立った次第。
そこまで言うなら、ホテイアオイの花ことばも添えたいものだ。

『薄紫の清楚な花、ホテイアオイを添えて、暑中お見舞い申し上げます』
「恋の愉しみ」「恋の悲しみ」という、矛盾する感じなきにしもあらずの花ことばを添えて。

浅い経験から言わせて頂くなら、「恋」とは、愉しみの裏に何かもの哀しさ、切なさが付いて回るものだ・・・ということかな。
愉しいばかりの恋などこの世にあり得ない。愉しいがゆえにこの恋を失いたくない・・・などという切なさが生まれる。
やはり人間って、ややこしや~ ややこしや~~

暑いさなか、こんなややこしいことを考えるのはよそう。 兎に角、元気でこの夏を乗り切りましょう、ということに尽きる。

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