「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「さらば!愛しき友よ!!」

2013年09月09日 | つれづれ噺

           
                 ご臨終を迎えた? windows XP デスクトップPC

いつかは来るとわかっていた。
いくら頑張っても来例年4月以降は、惜しいながらも暇を出してゆっくりさせようと思ってはいた。
ところが、そのご臨終間近な日は突然やってきた。一昨日の午前中のことである。

いつも通り、朝の予定のコースでPCを開く。何の違和感もなく正常。ごく当たり前のことである。
30分、1時間と経つうちに何のことやら分からないまま、何か変!出てこなくていい文字が出てきたりする。
おかしい!再起動を試みる。あれあれ文字が化けている。つまり、漢字が全く消えた。数字も英字部分もちっちゃな丸が並ぶばかり。
漢字とひらがなで組み合わされたアイコン表示などは、漢字が消えた上にひらがなはカタカナに化ける。
これではいくら使い慣れた長年の友とは言え、全く判読不能なった。

浅学菲才なPC知識を駆使してあれこれ対策の真似事を講じてみる。ウンもなければスンもない。
何はともあれお友達PC医に無料相談を。電話ではなかなか詳細のやり取りに事欠く。そりゃそうだ、友達PC医はマッキントッシュのオーソリティではあるが、windowsは普段あまりお使いではない。
よし、今度はメーカー相手だ。サポートセンターに電話を入れる。トータル30分電話口で待たされてた。
オペレーターにつながってものの5分話を聞いただけ。「おそらく無理かもしれませんが、こことあそこを・・・」

言われるままにやってみても修復できない。「リカバリーが必要ですね。今回の指導料は頂きませんので、どうぞ時間をかけてゆっくりリカバリーを」とのこと。
自慢じゃないがリカバリーなら何度か経験がある。ヨッシャー、まかせなさい!そうは言いながら、そのあたりから、臨終に立ち会う涙の別れの予感がしてくる。まずはセーフモードでの立ち上げを。これが全く効かない。
リカバリーも専用ディスクを読み取ってくれない。全くの門前払い!
それこそ何をやっても、せせら笑うように、いつも通りの立ち上がりを繰り返し、出てくる画面はかくのごとき文字化け。

丸3日間の奮闘むなしく、しゃーない、あきらめが肝心。せめて最後の写真でも撮って、2003年11月13日から今日までの長い長い付き合いに感謝して引導を渡すことに腹を決めた。ごくろうさん、有難う windows XP。
本体も一度大阪に修理に出した。キーボードは取り替えた。CDROMは早くから動かない。外付けドライブでカバー。
それでも、どれほど多くの人とつなぎ合わせてくれたのだろう。どれほど心の支えとなってきてくれただろう。

落ち込むときも、ルンルンハイテンションな時も、孫たちの笑顔も泣き顔も、その成長の跡もともに見続けてきたデスクトップ。あなたのお役目は十二分に果たし終えた。おつかれさん!!
そして今度は、一段とスリムで軽やかなあずき色ノートPC、windows7とのお付き合いが始まる。
使い慣れたあなたとは異なるややこしさもあるが、まあぼちぼち付き合っていくので、見守っていておくれ。

別れとは、もう人の姿が見えなくなった海辺のように、何とも切ない思いがするものだ。やはり秋か~。

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「成長を見詰めて」

2013年09月06日 | つれづれ噺

単三の乾電池2本を取り替えてやりさえすれば、今なお現役のおもちゃとして遊べるこの、首の短いキリン君。
貼りつけてあった愛くるしいお目目はいつしか剥がれ、今はマジックペンで手書きされている。
それでも本体は頑丈その物。正面右の上側にあるボタンを押せば、「ボク、トットチャン」「可愛いね」などとしゃべる。
下側のボタンを押すと「大きな栗の木の下で」他2曲の音楽も流れる。
4つの車は健在で、押してやるとコロコロと愛嬌振りまいてどこまでも転がっていく。角とシッポのランプも点灯する。

実はこのキリン君、我が家にやってきて11年になるベテランである。
2002年、平成14年4月。「定年退職報告旅行」と銘打って、同級生3人が旅に出た。
目指すは高校時代の恩師が住んでおられる新潟市。再開を果たし美酒を酌み交わす。
懐かしい昔話や、とっておきの思い出話に花を咲かせ、さてお土産を何にしよう。あれこれ探した。

その時、初孫の男の子は1歳2か月であった。
取り敢えずこの程度のものなら十分だろう、と思って買って帰った新潟みやげがこのキリン君である。
いまや中学生になった初孫君。彼に続いて二男のカー君もお気に入りで、幼稚園帰りに家で預かるときなど、格好のおもちゃとして遊んでくれた。そんな彼も今や5年生になった。

そしたら今度は三男坊の悠雅君が、これまた二人の兄ちゃんと同じように、あのボタンを押しこのボタンを押して、しゃべらせたり音楽を鳴らして喜んでいる。まさに兄弟3代にわたって、壊れもせず付き合ってくれている。
いくらで買ったのか憶えていないが、このシンプルなコロコロキリン君が11年、我が家に居続ける。

定年退職という大きな節目からも、恩師に報告とお礼の旅からも、気の合う3人連れで新潟・佐渡を巡ったあの日からも、
11年という歳月が流れた。
たった一つのしがないおもちゃではあるが、歳月の流れとともに我が家の一角を居場所として、兄ちゃんの成長を見守り、二男君の遊び相手をし、今またやんちゃな4歳児の乱暴な扱いにも耐えている。

何気なく買ってきた一つのおもちゃ。買い主の定年後11年間をどのように眺めてきたのだろう。
買い主としては、「ボタンに仕込まれた言葉以外はしゃべらないおもちゃ」であったことを、もっけの幸いとほくそえんでいるのが目に見える。

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「雨宿り」

2013年09月03日 | つれづれ噺

                  
                       カエルさんの雨宿り

朝のうち、ホンの束の間の明るさが東の空に広がる。
ひょっとしたら久しぶりの太陽を拝めるのかな、気持ちの中でちょっとだけ晴れ間を期待してみる。
なんのことはない、みるみるうちに真っ黒い雲が空一面に。くるかな・・・思うが早いか落ち始めた。それも大粒。

実は午前中にボランティアの予定がひとつ入っていた。
重い大きな木箱を5箱ばかり、軽トラックで運搬するという、雨は要らない青天作業。
保管庫から積み込むまでは辛うじて待ってくれた雨。ところが運搬先でおろす頃にはかなりの降りがきた。
7・8人寄ってたかって大急ぎ。建物の中に抱え入れたとたんに、それこそ向こう先が見えないほどの篠突く雨。

あわてて帰ることもなく、少し小やみになるのを待つ。 これもひとつの雨宿りという構図ではある。
ただ小生の頭に描く “雨宿り” とは、もっと風流なものであるはずであった。
雨宿りという言葉のイメージからすれば、見知らぬ家の軒先に身を寄せ、さーっと来た通り雨をやり過ごす・・・。
そこへ同じような境遇の若いご婦人も軒下に入って来る。思わぬ足止めを食った者同士、恨めしげに空を睨みながら一言二言交わすうちに、思わぬ恋物語に発展する・・・ そんな甘い夢みたいなことをチラッと頭の片隅で想像していたのかな?

ところがどうだ、今日の雨の半端でないこと。通り雨?そんな生易しいもんじゃない。こんな雨で小さな軒先でも借りようものなら、靴もズボンもぐっちょぐちょ。色気も何もあったもんじゃない。
ことほど左様に、今年の雨は、雨宿りの情緒さえかき消してしまうほどの大雨が続く。
幸か不幸か、今日の雨宿りは、いかついおじさんばかりだったので、甘い話などハナから期待もしていなかったが、それにしても可愛げのない厳しい雨ではある。

こんなとき、「あまやどり」と題した気の効いた演歌でもあれば、その歌詞をここに並べようと探してみた。
残念ながら「あまやどり」をタイトルにしたものが見つからなかった。まあいっか、こんな大雨もやがて静かな秋の雨から時雨に変わる。その時を待って、脳味噌をかき回してでも雨宿りをテーマに一句ひねってみるとしようか。

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「月見る月」

2013年09月01日 | つれづれ噺

 
                                 

九月  長月  September  今日から9月。
長く続いた暑さに別れを告げたい人や、「金風」とも呼ばれる秋の風を待ち望む人は多いのだろう。
何を隠そう、涼しさの到来を一番待ち望んでいるのは、だれでもない、吾輩である。
猛暑酷暑と、逃げ場のない蒸し暑さに奪われた体力を、出来るだけ早く元に戻したいと欲張っている。

9月の満月は、1年中で最も明るくきれいに見えるという。心静かに見上げたいものである。
一方では、我が国の歴史の中で大きな自然災害がもっとも発生しやすいのが9月と言われて来た。
二百十日と恐れられ、台風よけの祈りを込めて鎮守様の祭りが準備される季節でもある。
それほどに稲作農家にとって魔の月でもあったのであろう。

9月1日を「防災の日」として、災害防止に備える気運が一番高まるのも、この9月という月である。
今年に限っては、7月、8月の異常気象や秋雨前線停滞で、猛烈な暑さに加え、ゲリラ豪雨や一極集中の長雨によって、日本全国いたるところで大きな爪痕が残された。いまだ復旧のめどさえ立たないところも多々ある。
せめて9月に入った今日から、少しは安穏な日が送れることを望みたいのだが、果たして・・・。

このような災害の状況をあれこれ思う時、あの東日本大震災で被災された方々の無念の思いは如何ばかりか、胸が痛む。
3.11。 たった2年半前の出来事である。なのに「風化させてはならない・・・」などと簡単な言葉を使うことに違和感をおぼえる。
「風化」とは、岩石が土に変わる変化の過程をいう。つまり、「心に刻まれたものが段々弱くなっていくこと」である。
とするならば、いまだ復興さえ覚束ないあの未曾有の大災害に「風化させては・・・」という言葉はあまりにも時期尚早の感強し。

防災をことさら強く思い描く9月。東日本大震災に向けて「あなたは何が出来ますか?」と問われると咄嗟には答えられない。
が、あのテレビ画面にくぎづけされた当日の、押し寄せる津波の悲惨さと恐怖は、生涯忘れることなどあり得ない。
いつどこで何が起きるか分からない自然災害。命を守る行動とはどんなことか、孫たちともゆっくり話し合いたい。

コメント (2)
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