「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「百獣の王はライオン」

2025年03月06日 | ニュース・世相

               
黄金の地色に黒い縞模様、頬から下あごにかけて真っ白い髭がのびる。
前足をついた腹ばいで顔をすっくと上げたときの雄姿。そのかっこ良さは他に類を見ない、それはそれ勇壮そのもの。しかも清潔感もあって、まさにあらゆる動物の頂点に立っても決して恥ずかしくないのがトラ。
なのに百獣の王様にはなれない。百獣の王は言わずと知れたライオンであり、和名は獅子と呼ばれる。

このたび、本来なら世界をリードし、世界の警察権を持って久しかった大国の主になったのがトラさんである。このトラさんも、弱肉強食の世界を生きる動物のトラさんと共通するものがあるねーと感じている。
弱肉強食の世界を生きるのだから、弱い者いじめはお手の物。たとえお腹が減っていなくても、目の前を弱い動物が通れば容赦なく襲うといわれているトラ。そこへ行くとライオンは、お腹が減って減ってたまらなくなった時に狩りをする。お腹が減っていなければ小動物を襲わない。この紳士的な鷹揚さが、百獣の王様はライオンなのだ。トラになるよりライオンになれ、と子供のころに親父さんからしっかり教えられた。
残念なことにライオンにはなれなかった、トラにもなれないまま年老いてしまった。

プーさんという寒い国のオオカミに追い回されて命からがらのウサギを、トラは救うどころか「意に沿わなかった」と理屈をつけてオオカミに擦り寄るような態度で世界中をがっかりさせた。が、大富豪のトラを取り巻く周囲から何をやっても称賛の拍手が鳴りやまないのだから、メリカンという国はわかりにくい。同盟国という名の絆も、都合次第では頭越しになんでも先に結論を出されそうで、どうも落ち着かない。

今思い出したが、長い会社勤めの中でも色んなトラと出会ってきたねぇ。ところどころにライオンさんもいてはくれたがおおむねトラがうようよ。しかもキツネまでがトラの威を借りて弱きをくじき強きを助ける側に回る。それは会社時代だけでなく、普通に生きている今もその傾向は大きく変わらないのかな。おっとっと、トラのやり方が気に食わないことを書くつもりが、なんのことはない己の未熟をさらけ出すかっこうになった。
やはり、下手な考え休むに似たりということかもね。

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「食感サイコー、春ワカメ」

2025年03月05日 | 今が旬

             
               釜で刈り取り、水揚げしたばかりの春ワカメ

波除のコンクリート製テトラポットに根付いて、ゆ~らゆ~ら波に漂って成長、新芽を伸ばした春ワカメ。
地域活動を長いこと一緒に頑張った仲間から届けられた。まさに水も滴るこげ茶色のワカメさん。
熱い湯をくぐらせると真っ青に早変わり。伸びた新芽をちょっと失敬、醤油を垂らしてつまみ食い。こりゃ旨い!。潮の香りが鼻をくすぐる。まさしく「今が旬」最もおいしい季節である。

若いころにはこんなものはどこでも採れた。瀬戸内海沿岸に住む人にとってアサリや岩ガキ、それにワカメなど、海辺に下りさえすればすぐ手に入っていた。やがて海が汚れアサリはあっさり姿を消した。工場排水汚染による海水の酸欠などで砂場からアマモが消えた。小魚も住まくなった。いわゆる磯焼け症状でワカメも生えなくなった。

そこへ目を付けたのが、私たち地区社協の「山を守り 川をきれいに 海を豊かに」環境保全活動。
具体的には、冬場に散々お世話になった使い捨てカイロの灰。学校や職域に貯めてもらうお願いをして、春になったら回収し灰を取り出して、目標の海辺に沈める。方法は色々あるが特許申請されたものが多くて、独自に考案したつもりの海洋散布も特許権に抵触したりするケースがある。仕方なし原始的な方法で海洋散布して数年。ようやく効果を表し始めた。冒頭の波除コンクリートのテトラポットに生えるようになり、漁船を横付けにして釜で刈り取るほどになった。同時に磯焼けしていた砂場にアマモが生えて子魚も済むようになった。そんな気の長い話であったが、ワカメの成長がみられるようになってからは、食卓に乗るのは意外に早かった。

多くの人のパワーを結集し、小さな努力を繰り返して今がある。みんなみんなご苦労様。春ワカメサイコー!!

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「公衆電話」

2025年03月04日 | 思い出話

                  
                   懐かしの公衆電話ボックス

三日連続のあめ・アメ・雨そして大風。卒業式を間近に控えた中三の孫君にとって、この雨この風ばかりはいくらタフな年ごろとは言え、遠距離を自転車で行かせるのもどうかな~と少し気にはなっていた。そこは、孫君の母親も同じ思いだったらしく、最寄りの駅までクルマで送りJRで登校させた。しっかり者の孫君は、人の迷惑顧みず自分が電車に乗る時間に、ばあ様に電話をかけてきて、夕方4時18分に着くから迎えに来て、と帰りのお迎えを約束する念の入れよう。

約束通りばあ様が迎えに出かけたところへ彼から固定電話に電話が入った。「公衆電話からです」と電話がしゃべる声に胡散臭いなーと思いながら出ると「じいちゃん、オレ。電車が遅れているから着くまでばあちゃんに待つよう電話しといてくれ」という。そっか、中学生はスマホの学校持参は禁止事項である。
どが付く田舎の小さな無人駅によくぞ公衆電話があったもんだ。しかも公衆電話の掛け方をよく知っていたもんだ。窮すれば通じるってことか。ひどい雨風に教えてもらった実体験、無駄にはなるまい。

ワタシにとっての公衆電話は、繁華なネオン輝く街から最終電車に乗ってご帰宅に及ぶときの、駅の片隅にある緑色の電話機。十円玉一つコロンと入れて「今から帰る、迎えを頼む」。電報みたいな一報で、アッシー君が最寄りの駅で待っていてくれる。
時代は流れても、便利な世の中になっても、駅前にポツンとたたずむ電話ボックス、公衆電話は、必需品なのである。そばに柳の木でも植えられていたら「絵になる」昭和の断片である。

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「ひな祭り」

2025年03月03日 | 季節の移ろい・出来事

                 

春一番と言ってもおかしくない猛烈な風が吹いている。いつも通る国道188も、潮の加減によっては強風にあおられた波が防波堤を乗り越えて、路面に叩きつけている。そんな波を避けようと不用意にブレーキでも踏めば追突のされる怖れがある。これほどの強風でも山口県は単なる強風。関門海峡を渡った九州では春一番だという。別に春一番と認められなくても、自分たちの感覚ではこの時期のこの強風は「春一番だよね」「うんうん」となる。

まあどっちでもいいようなものだが、3月3日の今日は、本来はお雛祭り「女の節句」である。
孫たちの家には、嫁さんの実家から贈られた近代的な雛飾りが光彩を放っている。それに対して我が家の場合は、50年前の娘の雛祭りに頂いたオーソドックスな七段飾り。朱色の毛氈にお内裏様にお雛様、五人官女の笛太鼓。これはこれで、孫たちは目を見張って喜ぶのだが。残念ながら階段下の倉庫の重しになっている。出すのも仕舞うのも大変だが、足ったり座ったりして飾り付けるのが、我々の力では危なっかしくなった。

そして今一つの3月3日は「ミミの日」だという。耳を傾ける耳寄りな話に、壁に耳あり障子に目あり。良くも悪くも色んな所に登場するお耳さんではある。耳の大きい人とは、耳たぼがでかい人のことではない。人の話をしっかり聴く人のこと、つまり、話す人の悩みも法螺も親身になって聴いて上げる、度量の大きい人のことかな。そういう意味では私なんぞ耳が小さいんだね~。自分のことを他人に聞かせることは多くても、聴く側に回ることの方が少ない。どこにもあふれている一般的なタイプである。

もっと大きな耳の人間になりたかったけど手遅れだね~。今じゃ耳の話になったら、補聴器をついつい真剣に考えてしまう。まだまだ聞こえてるよとやせ我慢しながら、都合のいい話は聞こえても、逆の場合は「聞いてないよ」などととぼける耳のお話。勝手ツンボと言っていたが、今はそんな表現をしてはいけないという、耳の日の耳の話である。

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「弥生ついたち」

2025年03月01日 | 季節の移ろい・出来事

  
   学校長の式辞に耳を傾ける卒業生         退場する卒業生に、在校生から花のプレゼント

弥生ついたち、言わずと知れた高等学校卒業式の日。縁あって今も母校のお招きを受けて、式場に侍らせてもらっている。忘れかけているといえばかっこいいが、ほとんどを忘れている遠い青春の一ページを、敢えてよみがえらせてもらっている幸運に酔っている。そんな1年に一度の有難い一日、緊張を覚えるひと時である。

袴姿も凛々しい校長先生が、148名の卒業生に卒業証書を渡した後、式辞が告げられた。遠い昔に心に刻んで今もそらんじて歌うことのできる校歌の一節一節を、丁寧にひもとき、卒業生に説き聞かせる内容が、実に心地よく、耳に、胸にしみ込んだ。

67年前に入学した当時に歌い始めた校歌であるが、当時は難しい漢文の朗読みたいでなかなか馴染めなかった記憶がある。そんなことだから、我が卒業証書を手にした時の胸の内を思い出そうとしてはみるが、徒労に終わる。ただ一つ強烈に覚えているのは、卒業と同時に学校推薦の職場を得たこと。つまり仕事をすることで「親の苦労を少し減らせる。できるだけ稼いで家計を助けよう」という、現実的な喜びに浸った。

今卒業証書を手にして旅立つ彼や彼女たちには、そんな現実は縁遠いことだろうと思う反面、同じように働いてもなかなか生活にゆとり感が持てなかったり、ありとあらゆる誘惑が忍び寄る危うさとの闘いなど、時代を背景にした色んな選択肢があり、色んな人生がある。踏み間違えさえしなければ、今の方が面白い世の中と言えるのだと思う。一人一人に幸多かれと、入場も退場も手が痛くなるほど祝福の拍手を送った。

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「如月つごもり」

2025年02月28日 | 地域活動

             

聞き飽きたフレーズであるが、1月・2月の時の流れは速い。寒さに凍えているわけでは決してないし、ごく普通に行くべきところには行き、やるべきことは普通にやっているのに、やたら過行く日の速さを感じる。
早くも如月つごもりである。

地元の小学3年生から「ちいきのみなさんに感しゃする会を開きます」という嬉しい招待状が届いたことを書いたが、今日がその実施の日で、少し浮かれた気分で出かけた。
コンピュータールームとなっている普通の教室に、地域の諸先輩およそ20人が招待されていた。児童の数は20人そこそこ。それこそスキンシップそのままに、ゲームやクイズ、歌に寸劇などなど念の入った、文字通り感謝の会が進められた。

子どもたちの素直な発想に、担任の努力が重なってなんとも心地よいひと時を過ごした。
最後に、折り紙でこしらえた花束に、案内状とは異なる児童からお手紙をもらった。竹細工教室・しめ飾り教室、勉強の見守り、登下校の見守り等々一年を通して確かなつながりを持っている「オラが地域の学校」という意識。
お手伝いはするが口を挟まない地域の風土が、小規模の学校を一生懸命盛り立てている。

如月つごもり、いい気持ちにさせられる一日であった。

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「やっと人並みに」

2025年02月27日 | 季節の移ろい・出来事

         

我が家の玄関わきに植わっている八重の白梅。つぼみは大量に付いていて、いつほころび始めてもおかしくないのにつぼみがなかなか膨らまなかった。この写真を撮ったのは2月2日である。あれから優に3週間が過ぎ、如月も終わろうかというのにどうなってんの、とやきもきした一昨日あたりから二輪・三輪、まさにちらほら。

そして昨日・今日の思いがけない暖かさに、あの固かったつぼみが一気にほころんだ。やったぜ。梅のつぼみがほころんだぐらいで何をそんな大げさに・・・という向きもあろうが、手入れをし、水やりを忘れず一緒に春を待ったのよ。
       
それにしても、一旦つぼみが付いてほころぶのは目前の日から、ひどい寒波がやってきてふくらみかけたつぼみを一気にもとの固い小さなつぼみに戻してしまった。つぼみの状態が長く続くと、腹を減らしたヒヨの餌食になりかねない。

こんなわずかなことでも平年通りに行かないと、何かしら不吉な勘繰りが頭を駆け巡る。なにかと不安材料が多すぎる昨今。とにかく異常なく穏便に過ごせる日々は貴重である。
花の時期が長い梅の花。香りと共にしばらく浅春を楽しむとしよう。

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「男性料理教室」

2025年02月26日 | 地域活動

              
                  今日のメニュー

昨年の11月に続く男性料理教室。昨年11月が急用で休んだため、5ヵ月ぶりの出席となった。
この顔を忘れるような薄情者もいないし、簡単に忘れられるキャラでもないようだ。ただ、1回お休みすると、普段が普段だけに包丁の使い方が少し危うくなっているようだった。ニンジンの千切りを任されたが、指を守るのに気持ちがいって随分時間をかけてしまった。もちろん文句など言う人はいない。これが却って甘えになってはいないか。ま、いいか。今さら調理人を目指すわけでもないのだから。

今日のメニューは、主菜「もやしの豚肉巻き」。副菜1「ほうれん草としめじのナムル」。副菜2「ねぎスープ」。デザート「さつま芋のガレット」。以上4種類を、おじさん4人と指導者の女性2人計6人がひと組になって、三つの班に分かれ、それぞれが速さと味と見栄えを競う、かと思えば競わないのよ。みんな仲良しの集まり、醬油はどこ?小さじはどこに置いたの?煎りゴマは?片栗粉は?騒々しく始まる。

見えにくくなった目を見開いて、調理台の上にぶら下げたレシピとにらめっこ。ワタシの場合は先ず軽いほうから手を出すように心がけている、手慣れた人の邪魔をせんように。今日の場合もニンジンを、と言ったのはよかったが、なんと大根と間違うほどのぶっといニンジン。斜め切りから千切りに。切っても切ってもまだ残ってる。もっとも、料理上手なあなたからみれば、なによニンジンの千切りくらい、とお怒りになる話だが、生徒の私ゃ一生懸命なのよ。「岩国市食生活改善推進協議会」の正規会員で指導に当たる女性も優しいのよ。だから続くのかも。生徒の皆さんも家庭ではこの教室のようなわけには行かないらしい。
教室では笑って過ごせることが、我が家の台所では尖がるのよ。

などなど、色んなことを思ったり反省したり、最後は自分の手で作った料理をみんなで食べて満腹になる。これがいい。来年度も会員契約してきた。元気に参加できるように、少しお腹を引っ込めて、足腰鍛えて。

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「物価と昇給と」

2025年02月25日 | 思い出話

            

冬枯れた隣の空き地に今も青葉を保ち、みずみずしさを誇っている一角がある。遅くに育った大根である。
あの暑かった昨年の秋、一回目に撒いたタネは全部暑さ負けして一本も芽を出さなかった。二度目に植えたのは時期を外した冬前。それでも何とか芽を出し、遅まきながら大根はしっかり食べさせてもらった。そしていまは青い葉っぱをヒヨが朝に夕についばみやってくる。餌の少ないこの季節、キャベツや白菜なら勝手には食べさせないが、ま、大根の葉っぱでよけりゃどうぞお召し上がりを。

それにしても何もかもの値上がりで、年金生活の侘しさが身に染みる。などと嘆いてみたところで仕方がない。昭和40年代の所得倍増論・日本列島改造論に乗っかった右肩上がりのウハウハバブルを一度は体験して来たのだ。5月まで4万円だった給料が、6月になったら7万4千円に跳ね上がっていた。そんな夢のような話を現実に味わってきた。それこそ今は遠い遠い昔の話だが、この物価高の中で思い出すと、あんなこともあったね~などと、少しだけ気持ちが軽くなる気がする。

台所を預かる主婦にとっては、そんな甘い昔話など何の足しにもならん、そこんところも心得てはいるが、企業人を卒業してから、仕事をしない国家公務員が長く続いている。親方日の丸という今の立場で、親方が儲けてくれないことには下々までいい話は回ってこない。いつになるのか分からない高度成長の話。このまま、いい話ばどないまま朽ち果てそうだが、それもこれも自分の一生なのだから逃れようがない。そんなとき、同級生の言葉を噛みしめる「俺たちゃもう20数年、国から養ってもらっている。有難いと思わないとね」。耳に心地よい話ではある。ほどほどの欲で、健康だけは貪欲に。

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「春どなり」

2025年02月24日 | 季節の移ろい・出来事

  

連日の厳しい寒さ冷たさについ引きこもりがちに。
昨年夏のあの猛暑酷暑の裏返しのようなこの冬の厳しい寒さ、いったいどうなているんじゃろう。やはり地球の温暖化による異常気象が、夏の異常高温、冬の異常低温に大きく影響しているだろうか。

そんな愚痴をこぼしている間にも、我が家の庭の片隅に息ずく「寒アヤメ」が初咲きの花を見せてくれた。なんだかんだ言っても季節は確実に動いているのだから、何とも掴みずらい季節の流れではある。
あやめ科特有の花弁が二つ、薄紫の優しい姿で微笑みかけている。これは間違いなく春近しを告げている。こういうのを「春どなり」とでもいうのだろうか。

昨年の夏、あまりにも茂り過ぎた葉っぱが枯れて鬱陶しくなっていたのを、かなり手厳しく取り除く手入れをした。根っこも結構掘り起こして風通しをよくした。却ってそれが寒アヤメを痛めたのではないか、少し気になってはいたが、清楚な花の割には根っこはしっかりしていたのだろう、元気に冬を迎えていた。

この寒さは山口県にも大量の雪を降らせている。ふくの里下関を経由して九州に至る高速の中国道は長時間にわたって通行止めになっていた。こんな状態で「春どなり」かなどと吞気なことを言っていたら、雪かきに追われる地方の人に叱られる。明日から寒さは少し緩むといわれるが、早く雪かきから解放される日が来ることを願いたい。

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